エピローグ 風嵐侘助・渡瀬秋桜
あの夜から数日後、風嵐侘助は大貫山茶花と共に麻雀部の部室を訪れていた。扉を開けて中に入ると、既に誰かが麻雀卓に着いていた。一人は麻雀部の部長であり、彼らを招いた張本人である渡瀬秋桜だ。もう一人は、夜須トラヒコである。渡瀬は、入ってきた二人を一瞥すると、卓に着くよう促した。
「わざわざ呼び立ててごめんなさい。まぁ、特に話すこともないから、早速始めるよ。」
渡瀬はそう言ってスイッチを押した。サイコロが転がり、起家は侘助となった。渡瀬が再びスイッチを押すと、卓の中の牌が混ざり合い、四人の前に山がセットされた。「なるほどな」侘助は呟き、配牌を取る。三人もそれに続き、対局は始まった。
「初めまして、と言うべきか。まぁ、同学年に対してこの挨拶もなかなか奇妙とは思うんだが、やはり初めましてというのが正しいか。俺は夜須トラヒコだ、よろしく。」
牌をツモり、手出しの八筒を切りつつ夜須が言った。北家の彼の手は、捨牌から考えてまだ出来上がっていないように見える。侘助は特に答えることもなく、山から自分の牌をツモってきて、自身の手牌を見つめた後、九萬を切った。
「チー。・・・それにしても、ヤスが拉致られたんじゃなくて、匿われてたとは驚いたよ。如月さんもややこしい真似をしてくれたよ、全く。おかげで大慌てだ。」
侘助の切った九萬を鳴き、七萬と八萬、それから先ほどの九萬を並べながら山茶花が言った。彼は三巡前にも渡瀬の捨てた一筒をポンしており、手はそれなりに進んでいるようだった。そうして、手牌の中から四索を打った。力強い打牌に、三人は同時に彼の聴牌を察知した。夜須は早々にオリる算段を始めた。いつもの渡瀬ならば、ここで選択するのはオリなのであるが、とある人物の存在によってその選択を決めかねていた。侘助である。対局が始まって以降、彼は粛々としたままなのだ。例えば、有効牌が来れば喜ぶし、来なければ悔しがる。どんなに強い打ち手でも、そういった感情は表情の何処かに現れるものであるが、彼にはそういった変化が見られないのだ。加えて、捨牌も彼女の判断を鈍らせる要因となっていた。大抵の場合、捨牌を見れば大方の手牌や待ち牌を予測することは可能であるが、それが出来ないのである。まるで方向性の感じられないその捨牌に、渡瀬は頭を悩ませ、仕方なく四索を合わせ打ちした。
そして次順、ついに風嵐が動いた。八萬を打ち、リーチを掛けたのだ。これには山茶花も小さく唸って顎に手を当てた。それから、侘助の捨牌にある一萬を切った。親のリーチに無理して対抗することも無い判断してオリたのだ。渡瀬が自分の牌をツモると、それは七萬だった。侘助の捨牌を確認する。比較的萬子が多く、一四萬のスジが切られており、さらにさっきの八九萬。ペンチャンを嫌ったターツ落としだろう。それに、彼女のツモった七萬は最後の七萬だった。夜須の捨牌に一枚、山茶花が鳴いて晒した一枚、そして渡瀬の手に二枚だ。普通に考えれば、この牌は通る。安牌だ。渡瀬は牌を切った。
それと同時にロン、と言ったのは侘助だった。静かに手牌を倒す。
「一発、裏一枚・・・7700だ。」
「・・・残り二枚からペンチャン待ちで引っ掛けリーチなんて、無謀じゃない?しかも、なんで混一にとらなかったの?これだけ萬子を引けたなら、出来たでしょう?」
「一番ベストな和了を選択しただけだ。勝負事に肝心なのは、スタートダッシュだ。」
「あぁ、なるほど、納得・・・。」
渡瀬は、あの夜、真っ先に仕掛けてきた侘助の姿を思い出し、小さく頷いた。それから自身の額に巻かれた包帯を撫でて、こう言った。
「君のことは好みじゃないけど、君の打ち方はかなり好きかも。・・・仲直りってわけじゃないけど、これからも麻雀部に顔を出して、部員の指導とかしてくれないかな?もちろん、君が良ければの話だけど。」
彼女の提案に、侘助はそっぽを向いたまま答えた。
「・・・気が向いたらな。」