姫咲向日葵 その8
御原と呼ばれた大男は、更に一歩踏み出して、雷桐さんとの距離を詰めた。彼はやる気だ。今にも飛び掛りそうなほど、殺気がにじみ出ていた。一方の雷桐さんだが、こちらには、微塵の殺気も感じられなかった。御原をじっと見つめるだけで、何のモーションも起こさない。果たして大丈夫だろうか、そう心配した時、不意に雷桐さんが口を開いた。
「御原よ、俺は別に、お前と戯れる為に来たわけじゃない。お前が何やら楽しげなことをやってるもんだから、少し様子を覗きに来ただけだ。」
「・・・兄貴、アンタの都合なんざぁ、関係ねぇさ。実は、前々から考えてたんだ。アンタからリーダーの座は奪ったから、次は“豪腕”の二つ名を貰っちまおうってなぁ。」
「別にくれてやるよ、そんなもの。俺にはもう不必要なものだからな。ただ、お前は色々と分かってない、分かってないんだよ。お前は、オルトロスのリーダーを俺から奪ったと言ったが、それは違う。譲ったんだ、俺が、お前にな。」
呆れたような声で言う。わざとらしく大きな溜息を吐き、相手を挑発する。御原は、その挑発に乗った。大きく一歩踏み出したかと思うと、次の瞬間には、その巨大な握り拳を勢い良く振り下ろしていた。
「・・・前言撤回だ。貫禄どころか、何もかもがまるで変わってない。」
御原のパンチに対して、雷桐さんは一切動じなかった。そして、気が付けば、御原の拳は上に向かって弾かれていた。一瞬、何が起きたのかわからなかった。私の位置からでは一連の動作が見えづらいというのもあるだろうが、それにしたって、あの少ない動作で、一体どうやって攻撃を払い上げたのか、皆目検討もつかなかった。
私の疑問を他所に、雷桐さんが動いた。パンチを弾かれて、御原のガードがガラ空きになった。それを見過ごさず、素早く懐に入り込み、鳩尾に掌低を打ち込む。巨体がくの字に折れ曲がる。続けざまにローキック。御原が膝を付いたところで、留めのハイキックが首に直撃した。御原の体が崩れ落ちる。余りにも綺麗な攻撃だった。彼の動きは、まるで清流のように緩やかで、それでいて、あの巨体をわずか三手で沈める激流のような凄まじさも兼ねていた。
空いた口が塞がらない。度肝を抜かれた、という表現が、今の私にはピッタリのような気がした。呆気にとられていると、ドラム缶に拘束されたままの鈴蘭がもぞもぞと動きながら、私に助けを求めてきた。私は小走りで彼女に駆け寄り、ロープを解いた。
「・・・部長、あの人は何者なのですか?あの厳ついパンチを、手の甲で軽々と弾き上げてたんですけど・・・。」
「彼は私の知り合いよ。“豪腕伝説”って、聞いたことないかしら?」
「確か、とある男がたった一人で関鬼連の幹部数人を叩き潰した、って噂スよね。」
私の質問に反応を示したのは、意外にも山茶花だった。こういうことにはあまり興味が無いと思っていたけど。
「・・・彼が、その“豪腕伝説”の主人公。当時、街の不良ばかりでなく、関鬼連の幹部連中ですら、彼との直接的な戦争は避けたらしいわ。」