姫咲向日葵 その7
5月12日
もうすぐ午後8時になる。私が廃工場に到着すると、既に先客がいた。入口の前に、男が立っていた。始め、その男がスキンヘッドであるということしか分からなかったが、入口に近付き、中から漏れる僅かな明かりで、男が見知った顔であることに気付いた。
「お久しぶりです、雷桐さん。どうしたんですか、こんなところで?」
私に声を掛けられた雷桐カツヒコは、振り返り私の顔を確認してから、漸く返事をした。
「ああ、姫咲さんじゃないか、久しぶりだね。まぁ、ちょっと後輩の様子を見に来たんだ。何やら面白いことになっているようでね。君は?」
「私は、主役が来るまでの前説です。差し詰め、私はハンバーグのつなぎです。」
私の言葉に、雷桐さんは小さく肩を揺らした。言ってから、ふと思った。そういえば、この喩えだと、これから来る彼女はハンバーグということになる。ハンバーグからあんな威圧感が出てたり、長々と説教されるのは嫌だなと、可笑しな想像をして、私も少し吹き出してしまった。
「“鬼姫”がパン粉や卵とは、その主役は大物だな。これは、良いハンバーグが出来そうだ。」
雷桐さんは言いながら廃工場の扉に手を掛けた。工場特有の重厚な引き戸がゆっくりと、しかし着実に開いていく。人が一人通れるぐらいになったところで、私は中に足を踏み入れた。工場内には全くと言っていいほどに物がなく、それが工場内を妙に広く見せていた。中央部に小さなランプが置かれており、辺りを煌々と照らしている。ランプより少し奥に、継ぎ接ぎだらけの一人用のソファが置かれていて、そこには体の大きな男のシルエットがあった。そして、ランプのすぐ横のドラム缶に、同級生である崩焔寺鈴蘭が縛り付けられていた。反対側にも誰か縛られていて、明かりを背にしているため、よく見えないが、おそらく、大貫山茶花で間違いないだろう。
「二人とも、助けに来たわよ。鈴蘭、お疲れ様、頑張ってくれてありがとう。山茶花も、お疲れ様・・・と言いたいところだけど、どうせ、痛い目にあうのが嫌だから、自ら進んで捕まったんでしょう?」
「ハハ、本当に、僕の先輩方はよく僕のことを理解してくれている。まさか、僕を自由研究の題材にしてるわけじゃないッスよね?」
自分が捕まっているのも関わらず、山茶花はいつものように軽口を叩いた。
「・・・そうね、今後、自由研究の機会があったら、どうすれば君が本気を出してくれるのかを徹底的に調べることにするわ。」
「言っておきますけど、ギャラは要交渉なんで、悪しからず。」
たぶん、私が彼の本気を見ることは一生無いだろう、そう思った。ひとまず会話を終え、更に前に進む。と、何時の間にか背後にいた雷桐さんが、私の前に出た。ずんずんと先に進んで行き、ランプを挟んで、ソファに座る大男と対峙した。
「よう、御原。しばらく見ない間に、だいぶ貫禄がついてきたみたいじゃないか。」
「・・・兄貴、アンタは、しばらく見ない間にだいぶ縮こまっちまったなぁ。」
大男は、随分と間延びした話し方だった。言ってから、むくりと立ち上がり、雷桐さんと同様にランプの前まで出てくる。男の体は、まさしく大男という表現が相応しいほどに大きかった。