大貫山茶花 その9
ヤスの家のインターホンを押すと、彼の母親の声が聞こえた。
「はい、どなたですか?」
「こんにちは、おばさん。大貫です。」
「あらあら、いらっしゃい!すぐ開けるわね!」
少し待つと、おばさんが扉を開けた。おばさんは見た目ほぼ20代、女子大生と
言っても通用するぐらい若々しかった。とても高校生の息子がいるとは思えない。
かく言う僕も、おばさんに初めて会った時はヤスにお姉さんかと尋ねたほどだ。
「どうしたの?トラヒコならしばらく前に出掛けたわよ?」
「え、そうなんですか?そうか、昼飯でもどうかと思ったんだけど・・・。」
「ごめんなさいね、また遊びにきてね。まぁ、ただの散歩かもしれないから、近所を
探せば居るかも・・・。あ、そうそう、もしあの子と会ったらコレを渡してくれない
かしら?連絡が取れないと色々と不便だろうし。お願いできるかしら?」
そう言っておばさんがヤスの携帯電話を取り出した。この様子だと、どうやら
おばさんには行き先を伝えていないらしい。僕はおばさんの頼みを了承し、携帯
電話を受け取った。お願いね、と言いながら軽く頭を下げたおばさんに、僕は
もうひとつ尋ねた。
「ちなみに、右と左、どっちに向かって進みましたか?」
おばさんは少しだけ怪訝そうに子首を傾げたが、左に進んだと教えてくれた。
礼を述べると、おばさんは微笑みながら家に入っていった。
「さて、駅までのルートのスタート地点に立ったわけだが・・・。何か違和感が
あるんだよなぁ。ヤスは何故この道を選んだ?」
そう、あいつは基本的に左側を嫌っている。何やらジンクスがあるらしく、歩く
ときは僕の右側を歩き、T字路は右に曲がる。昔、左側に進んで酷い目にあった
ことがあるらしいが、詳しいことは聞いていない。
要するに、あいつが左側に進むこと自体異常なのだ。考えられる理由は3つ。
かなり切迫した状況に置かれていたか、誰かを欺く為に敢えて左に進んだか、
ただの気紛れか。自分で考えておいて何だが、3つ目は有り得ないな。あいつは
ああ見えて完璧主義だから、気紛れなんてまず起こさない。2つ目もやや薄い。
あいつのジンクスを知っているのは俺か渡瀬さんぐらいだ。となると、必然的に
1つ目の理由が濃厚だな。そして、その答えのヒントになるかも知れない物が、
僕の手元にある。
ヤスの携帯電話。おばさんの信用を裏切るようで気が引けるが、そんなことを
言っている場合ではない。僕は携帯電話を開き、まずメールを見させてもらう。
だが、昨晩の僕とのメールが一番新しい履歴だった。これじゃない、続いて着信
履歴を見る。そこには、黒蜜学園の生徒ならば誰もが知っているであろう名前が
残されていた。
「・・・そうか、思い出した。あの子、如月マイか・・・!」