婚約破棄された追放悪役令嬢は、平行世界の元婚約者と結婚する
初めから上手くいかなかったわけではない。馬車から外の景色を眺めながら、ぼんやりと思った。今は、国境の辺りだろうか。先ほどから、ひどく身体が揺れる。
レベッカは、ついさっき失った自分の未来について、これからの指針も兼ねて考えてみようとしてみた。しかし思い出されるのは、今夜の卒業記念パーティでの、劇的な断罪劇である。
ーー君との婚約を破棄する。
シャンデリアの灯りのもとで、告げられた。さすがにいつも通りにやり過ごすこともできず、殿下、と声を上げて彼に理由を尋ねようとした。
それは、阻まれた。他ならぬ弟によって。今まで親しくしていた騎士団の息子や、大司教の息子と言った錚々たる顔ぶれが、判を押したような同じような表情で、顔に軽侮を浮かべてこちらを見下ろしていた。
唯一の例外は、王子に庇われている子爵令嬢で、彼女は体を震わせながら、顔をニンマリと愉悦に歪ませていた。必死におびえる表情を作ろうとして、でも自分が作り上げた茶番劇が心底おかしくて、こらえきれなかった笑みをドレスの裾で隠そうと、無駄な努力をしていた。
「すべての証拠が君の罪を明らかにしているよ、レベッカ。もう言い逃れはできない」
「親の立場を利用して、家格が落ちる人間をいたぶる趣味があったなんてな」
「姉と言えど、もう、弟としての情は捨てます。せめて最後くらいは、潔くしてください、姉さん」
身に覚えのない、嫌がらせの数々。今まで必死に否定してきたものが、言い逃れと決めつけられて、罪状に加えられていた。
「君への沙汰は、下した。学園から退学させるほかない。後はご両親が、君のこれからを決めるだろう」
そして今、馬車は、外国に向かって走り続けている。行き先は修道院だろうか。それともまたどこか別の場所だろうか。どのみち、自分は終わったのだ。
力なく、椅子に体を預ける。
「ーー全部、無駄だったなぁ」
信心深い母親は、必ずすべては主の前で明らかにされる。日陰の努力を、主は見られておられる、なんて言っていたけれど、この冤罪はいわゆる救世主の受難劇だろうか。それとも、信仰心を試されているのだろうか。また、泡沫のように思い出される言葉がある。
ーー上に立つものは、宗教を、額面通りに信じてはいけない。救世主の主張する生活は、必ず、我々と相反するものとなる。信じれば信じるほどに、この社会での生活が困難になるーー
遠くで雷鳴の音が聞こえる。一瞬、辺りが白い光に包まれた。馬車が大きく跳ねる。稲妻が、また落ちる。耳をつんざく轟音が、意識まで白く染め上げる。とどめとばかりに、また、雷が落ちた。
いつの間にか、御者はいなくなっていた。ひっくり返った馬車の車輪が、カラカラと回り続けている。どうやってかは分からないが、レベッカは、外に立って、それを呆然と眺めていた。
「おや、珍しい客もあるものだね」
後ろから、静かな声が掛けられる。振り返ると、そこに、一人の老婆が立っていた。
「あなたは……?」
「森の魔女さ。勝手にそう呼ばれているだけだけどね」
「私は……」
「いいさ。いい、いい。ここに来るってことは、そういう運命を背負った人間だって分かってる。そうだろう、レベッカ」
丁寧にくしを通したらしい銀色の髪をなびかせて、老婆は先導するように歩く。レベッカは、頭の中が真っ白のまま、おとなしくついて行った。
何歩もいかないうちに、森の中に、大きな屋敷が現れた。貴族街でも見たことのない、豪華な家だ。
「あなたの家ですか?」
「管理人さね。ふん、年寄り一人にはこんなにデカいのは不要だと言うのに、押しつけられるものだから」
とはいえ、と老婆はちらりとレベッカの方を見て微笑んだ。
「時にはそれが役に立つこともある。あんたに、もっといい未来を用意できたりね」
「未来、ですか?」
「まだ好きなんだろ?あの王子のこと」
急に現実に引き戻される。両手でドレスの裾をつかむ。夜会に出た格好のまま、家を追い出されたのだ。
「自分でもおかしいとは思うのです。でも、私はなぜか……殿下、アルフレド様を嫌いになることができなくて」
「人間なんてそんなもんさ。裏切られても、踏みにじられても、それでも嫌いになりきれないなんて、よくある」
その逆も然りだね、と老婆は鍵束を取り出しながら言った。
「ふとしたことから、愛情が冷めちまうことも、憎悪に変わることもね。何もきっかけなんていらないのさ。すべてはそうなる運命であるかのように」
運命。車輪。魔女。主教が駆逐したはずの民間伝承の片鱗をあちこちに見つけて、レベッカは一瞬、気が遠くなった。
ーー主教が司教を置くかわりに迫害したのが、当時賢者と呼ばれた者たちだ。宗教は、古来よりの巫女であり、知恵のあるものを魔女と呼び、森の奥へと追いやった。かくして賢者は、邪な心で妖術を扱う嫌悪すべき老人というイメージを押し付けられた。
ーー一般に、運命の女神は老婦人の姿で現れる。彼女たちが司るのは車輪だが、これは糸巻き車が転じたものだと言われている。
「あなたは、運命の女神なのですか?」
「そう見えるかね。人間が、概念をそのように定義するなら、そのようになっちまうのさ。あたしゃ、ただの管理人にすぎないというのに」
家の扉を開ける。顔の見えないメイドたちが、出迎えた。ふとよく見ると、老婆は一歩歩くごとに若返っているようだった。彼女が鍵束を振りながら、先へ先へと歩いていく。やがて、一つの扉の前に止まると、そこの鍵を開けた。
「行ってやんな。あんたの運命が待ってるよ」
ドアの先は、華やかな学園に繋がっていた。さっき追い出されたはずの場所に、レベッカは恐る恐る足を踏み入れる。しかし、誰も彼女に気づかないようだった。
「えい、この女狐っ!」
声が上がった。はっとして、顔を上げる。自分を冤罪の末に追放させた子爵令嬢が歯を剥き出しにして、短剣を取り出した。そのまま走り出した彼女は、腰だめに抱えた短剣を、ずぶり、とアルフレドの近くにいた少女の胸に突き立てた。
「レベッカっ!」
自分の名が呼ばれた。倒れ伏す女を横抱きにしたアルフレドが、衛兵に指示を出す。人波をかき分けるようにしてそっとのぞき込む。
そこにいたのは、短剣を胸に刺されて倒れ伏す自分だった。顔は白く、血の気はない。そんな彼女を何とかこの世につなぎとめようと、アルフレドが傷を押さえている。
「死なせない!死なせるものかっ!君は、私の……!」
「アルフレド、さま」
弱々しい笑みを浮かべた自分が、アルフレドの頬に手を伸ばす。血がべっとりと頬についても、王子は気にするどころか、ますます強く、その自分の体を抱いた。
レベッカは、あり得たかもしれない可能性に、目の奥が熱くなった。
たとえ死んだとしても、この自分のように信じてもらい、確かな愛情が返されていたらどうだっただろう。レベッカは、死にゆく自分に、羨望と、目も眩むような嫉妬を覚えた。
その瞬間に、すべての時間が止まった。
「レベッカ」
呆然と、アルフレドが自分を見つめる。膝の上の、彼のレベッカではなく、こちらの自分を。
彼の後ろに、さっきの老婆が立っている。
「ここにいるのは、あんたの潔白を信じた結果、逆上した子爵令嬢からあんたを守りきれなかったあんたの元婚約者さね」
「そしてこっちは、あんたに信じてもらえず追放されてなお、あんたのことを思い続けている元婚約者」
「これほど綺麗に、欠けた者同士の縁が結ばれそうなことは、見たことがないねぇ」
仲人のように、老婆が二人の間に立つ。アルフレドは今、正しくレベッカを認識していた。レベッカもまた、彼が、自分が死んだ後、すべてを捨てて森へ来て、ここに迷い込んだことを知った。
「殿下」
つん、と鼻の奥が塩辛い。アルフレドは、目を伏せる。
「私はすべてを捨てた。君を守ることができなかった。もし君が、私のレベッカであったなら、君の世界の私のような、愚かな真似はしなかったろうに」
「アルフレド様。そう思っていただけるだけで、あなたの世界の私は、それだけでなく、私も、どれだけ救われたことでしょう」
「私は……」
お互いに言葉を失って、ただ、涙ぐむ。老婆が居心地が悪そうに、頬を掻く。
「すれ違うのも可能性、失うのもまた可能性、思い続けるのもまた可能性さね。人間は、自分以外の自分を、別の人間に捉えるけれど、あたしから見れば皆同じ。ゆえに異なる可能性が、異なる可能性と結ばれたところで、それは、もつれた糸をいったん切って、結びなおしたようなもんさね」
ほら、と老婆が、二人を急かす。
「二人で一緒になるのも、別れるのも好きにしな。でも、ここに来たんだから、あたしの屋敷の手入れを手伝ってもらうよ。ほら、来な」
新しい生活が始まった。
一人は婚約者を死なせ、もう一人は婚約者に追放された男女が、共に暮らしている。
生活は下町の男と女のように、洗濯をして、掃除をして、狩りをしたり、森の木の実を拾ったりと、学園やそれからの生活を思えば全く縁のない生活だったが、すべてを失っていた2人からすれば、毎日が新鮮な驚きに満ちていた。
白い煙がたなびくような森の中に、広がる青空。陽の光がさす中で、やがて2人は始まりのぎこちなさも忘れて、昔のように笑い合った。
ふとした瞬間に、そう言えばこの人は、自分の世界の婚約者ではないということを思い出すのだが、それ以外はすべて同じで、昔の思い出話にさえ花が咲く、相づちとともに振り返られることもあり、やがて2人は、共に過ごす時間が増えていった。
「アルフレド様」
「レベッカ」
二人は下町の平民のように、同じ布団にくるまって、いつまでも昔の思い出を語り合った。
そんなある日のことだった。森の中を、激しく疾走する馬車があった。
老婆が顔を上げ、嘲るように呟く。
「ふん、森の結界を破ってきたね」
馬車は森の靄を蹴散らすようにして、屋敷の前で止まった。どやどやと、男たちが降りてくる。
かつて、レベッカを追放した者たちだった。騎士団長の息子、レベッカの弟、大司教の息子に、王子、アルフレド。
「ここに、公爵令嬢のレベッカはいないか」
すっかり威厳のある声で、王子アルフレドが言った。
「公爵令嬢なんていないけど、いたらどうするんだい」
「これまでの非礼を詫びて、帰ってきてもらう」
「それはあんたの決めることじゃないさね」
「公爵家の許可は取ってある。それにすべては冤罪だった。もう、汲々と、世を忍んで暮らす必要はないのだ」
レベッカ、とかつての婚約者が声を張り上げる。老婆が、馬鹿にしたような顔で、この世界の彼をまじまじと見つめた。
冤罪で追放し、愛するものを守ったと思ったら、それは偽りだった。今度こそ真なるものを取り戻そうとして、この男なりに必死なのだろう。
「会いたきゃいいさ、会えるもんなら」
つぶやいて、老婆が屋敷のドアを開けた。
ガチャガチャと靴音を響かせて入っていった彼らは、足を止めた。子供のようにはしゃぐレベッカと、彼女を慈しむ目を向ける、アルフレドの姿が、全員の目に飛び込んできた。
それだけではなかった。
レベッカには、弟がいた。いついかなる時も姉について離れず、たとえ殿下と言えども、姉さんを任せるのは嫌です!と頑としてわがままを言う弟。
殿下でなくとも俺は、アルフレド様の剣ですのでと、アルフレドとレベッカを守り抜こうとする、たった一人の騎士団がいた。まったく、式は始まっているのですよ、と神父役を任された司教の息子に、いつまでも弟とレベッカをめぐって言い争いを続ける、子供のようなアルフレド。弟もアルフレドも、子供のように笑っている。
立ち尽くす王子に、一瞬レベッカが気づいて、そちらを振り返った。白いドレスを着た彼女は、何事もなかったかのように、視線を弟と、アルフレドの方に戻し、仕方がないんだから、と笑い合う。
立ち尽くす彼らは、観客であった。つつがなく、何者でもないアルフレドとレベッカの、結婚式は続いていくのであった。




