8 結社の計画
恐ろしいもので結社に入って半年も過ぎれば、あらゆることに慣れてきました。
犯罪にかかわる仕事も、ベルナエル様と過ごす夜も。
合理的に、利己的に。全ては生き残るため。
そう考えれば結社に従事するのは一番良い方法に思えましたし、ベルナエル様のそばにいる意味も大きい。
今の私は何も間違えていません。きっと。
「髪、ちゃんと乾かさないと。おいで」
「……はい」
最初のうちはもっと遠慮という名の抵抗をしていたのですが、今ではされるがままです。
髪に残った水気はベルナエル様が撫でるとどこかに消え、次に少量の香油をなじませ、仕上げに櫛で整えられました。
「うん、完璧。きれいだ」
ほとんど枝毛がなくなり、艶と果実の甘い香りを宿したサラサラの髪。自分のものとは思えません。
貴族だった頃よりも状態がいいくらいです。
髪だけではなく、肌もだいぶきれいになりました。顔色も少しマシになったような……。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。今夜は飲む?」
「……やめておきます」
ベルナエル様はご満悦でした。
「嬉しいなぁ。フィアが酒に頼らずに相手してくれるなんて」
「そ、それは……あんな飲み方をしていたら、絶対に体に悪いので。私、長生きしたいんです……」
「ふふ、そうだったね。でもたまには晩酌に付き合ってほしいな。酔ったフィアは最高にかわいいし、素直にいろいろと話してくれるのが嬉しいんだ」
「…………」
「この前にミケーレとリーチェと一緒に飲んだ時も、普段はできない話ができて楽しかったんだよ」
少し不安になりました。
男性三人のお酒の席で、一体何を話したのでしょうか。
もしかしたら、私のことが話題になっていたりして……。
ちょろくて軽い女だと笑われていたり、何か賭け事の対象になっていたり、単純に陰口を言われていたりして……。
想像するだけで落ち込んできました。
「フィア? 何か良くないこと考えてない?」
「えっ」
「まだ俺のことが信用できないんだ?」
ため息を吐かせてしまいました。
相変わらず私の考えていることはお見通しのようです。
「……えっと、あの、ごめんなさい。全く信用していないわけでは」
この半年の間、ベルナエル様はいつでも優しくて、甘くて、私を大切にしてくれました。
本当は、男性陣が私に関する下世話な話をするはずがないということも分かっています。
このような関係になったばかりの頃は、自分と同じ立場の女性が何人かいて、いつか部屋で鉢合わせるかもしれない、などと身構えていたのですが、そのような兆候もなく……。
添い寝だけをご所望の時も呼び出され、ほとんど毎晩一緒にいますし、ちらりとも他の女性の影は見えません。
少し親しくなった諜報部の女性たちにすでに関係がバレていて、先日質問攻めに遭いました。
徹底的に隠していたわけではないので仕方がないです……。
その時に知ったのですが、ベルナエル様が結社の女性に手を出したのは、彼女たちが知る限り初めてのことらしいです。
言い方……と思いながらも驚きました。
彼女たちは何年もかけてベルナエル様に「一晩でいいから」「日頃の努力の成果を見てほしい」「任務を頑張ったご褒美ください」と散々アピールしていたらしいですが、眩しい微笑みで一蹴されてきたそうです。
どうやって落としたんだ、と詰め寄られましたが、私は何も答えられませんでした。
その他の構成員の方々の反応は、予想していたよりもあっさりとしていました。
腫れ物に触れるよう、とまでは言いませんが、極力私に関わらないようにしている気がいたします。
一部からは「極力指令室にいてほしい」と懇願されました。
なんでも私がベルナエル様のそばにいる間は、ミスの報告をしても許してもらえることが多いそうです。
……確かに私はベルナエル様が部下を叱責しているところを見たことがありません。私がいないところではどのような感じなのでしょう。怖い。
ひとまず、女性陣には羨ましがられ、男性陣には遠巻きにされ、ごく一部からは感謝され、ミケーレさんには特に変わらず仕事を教えてもらい、リーチェさんにはなぜか目を合わせてもらえなくなりました。
妬まれたり蔑まれたり、そういった嫌な思いはしていません。
これは組織の気質か、あるいはベルナエル様の威光が大きいのでしょう。
周囲の反応からも分かるように、ベルナエル様が私を特別扱いしているのは間違いないようです。
でもそれがいつまで続くのか。
そろそろ飽きられてもおかしくない、とびくびくしながら私は今夜も彼の腕の中に納まっています。
「フィア、愛してる。大好きだよ」
「…………」
幾度となく告げられている言葉。
いつも返事ができません。
それが苦しい。
最近の私はずっと彼のことを考えています。むしろそれ以外考えられないというか……。
刺激的な日々に溺れて、少しずつ少しずつ過去が遠い出来事になっていきました。
「フィア、ついてきて」
支部内で私たちの関係が周知のものになってからというもの、ベルナエル様は視察と称して私を様々な街に連れて行きました。
服やアクセサリーを買い、レストランで食事をして、歌劇場で舞台を観て……。
やたらと私にお金をかけたがるので恐縮してしまいました。
「どうせ“星”が降ったらなくなってしまうものばかりだ。今のうちに楽しんで、欲しいものを手に入れておかないと損だよ」
そう言われてしまえば、強く否定することもできず……。
そもそも現在ベルナエル様主導で進めている国家の転覆も、隕石群が降ってくる前に資源を回収するというのが主な目的です。
どうやらこの国は、隕石が直撃して跡形もなくなる不幸な国の一つとのこと。
「もう衝突する位置まで分かっているのですか? すごい……」
「ああ。天体観測ではなく、占星術による予言で分かっているんだ。ウチの最高幹部の一人が星詠みの達人でね」
驚くべきことに、結社は五十年近く前から腐食の隕石群の到来を把握していたらしいです。
そこから彼らは綿密な計画を練り、ずっと世界の裏側でとある目的のために暗躍してきました。
「人間たちも馬鹿ばかりじゃない。フィアのおじいさんのように隕石群に気づいた学者も多くいるし、すでに生き残るために動き出している国もあるんだ。天空神が守ってくれると妄信している愚者もいるみたいだけど……隕石が近づくにつれ、現実に迫る死を意識する」
私は浅はかでした。
隕石群が落ちると突き止めた者は案外たくさんいて、それを知った国が何もしないわけがありません。
都市を守る魔術結界の強化、隕石を打ち砕く大砲の発明、腐食の魔力に対抗する魔術薬……。
一部の国や機関がそういう研究を始め、手を組んで生き残るための計画を進めているそうです。
「でも人間は愚鈍だからね。あらゆるしがらみに邪魔されて、思うように計画は進まないだろう。もう間に合わないよ。だって、全員が助かる方法なんてない。どこを守り、どこを見捨てるか、絶対に言い争いになって計画は破綻する。何もしなくても上手くいかないだろうけど、俺たちが必ず失敗させる」
秘密結社〈妖精幻翅〉の目的は妖精女神の復活。
そして、妖精女神を崇める唯一無二の国を創ること。
数年以内に隕石群が衝突しない国の一つを乗っ取る。
同時に、隕石群が到来することを世界中の民に伝えて混乱をもたらすそうです。
「俺たちはいち早く隕石群の到来を知り、衝突場所を把握し、被害を予測できている。腐食の魔力への対策も万全だ。俺たちに従えば生き残れる。そうなれば、人間たちの多くは必ず俺たちを支持する。この世界は再び妖精女神の支配下になるだろう」
妖精女神は特殊な毒を持っています。
その毒は人類の体を変質させ、腐食の魔力にも侵されない強靭さを与えてくれるそうです。
「人ならざる者にする、というよりは、人間を急激に進化させる毒だね。時が来るまで他の構成員には内緒だけど、結社の会員証にその毒が含まれているよ。砕いて一欠片でも飲み込めば、進化が始まる」
「っ!」
「といっても、誰でも簡単に進化できるわけじゃない。会員証を長く持っているほど、進化に適応できる確率は高まる。適応できなければ死ぬ。フィアは……大丈夫だと思う。俺の魔力にも慣れているから」
呆気に取られてしまいました。
私はすでに、隕石群から生き残るための方法を手に入れていたようです。
「救われるため、人々は妖精女神に頭を垂れるだろう。女神は人々の信仰により復活する力を得て、逆に天空神は力を失う。隕石群の腐食に抗えずに消滅するんだ」
「え……」
「何を驚いているの? 今でもちゃんといるんだよ、天空神は。妖精女神だって神話じゃないんだから当たり前でしょ」
「そ、それはそうかもしれませんが、でも……」
だったらなぜ、天空神は私を助けてくれなかったのでしょうか。
あの元婚約者の男が天罰を受けなかった理由は?
どうして妖精女神を信仰する者たちの悪行を見逃しているのでしょう。
「存在していても、地上を見守るだけで自分では何もしない神だ。たまに勇者や聖女みたいな英雄を地上に遣わせるくらい……でもこの時代に英雄はいない。俺たちの計画を覆せる駒はないんだ。本当に無能な神だよ。いや、地上に目を向けすぎていて、背後に迫る滅びの隕石群に気づけなかったのかも。だとしたら皮肉だよね」
ベルナエル様は心の底から嬉しそうに空を見上げていました。
「“星”が降る日、この世界で最初に死ぬのは天空神だ。そして新しい世界が産声を上げる。楽しみだね、フィア」




