3 誘惑 ※ヒーロー視点
フィアに聞かせた言葉に嘘は一つもないけれど、俺は本当のことを一つ話していなかった。
今夜は彼女が結社に入社するに足る人物かどうかの最終面談。
……と同時に、間諜の適性があるかどうかを確かめる試験でもあった。
そう遠くない未来に滅亡の危機が待ち受けている今、情報は最も重要なもの。
若くて美しい女が結社入りを希望しているとなれば、できれば間諜にしたいというのが現総裁の方針だった。
控えめな物腰とおとなしい性格に隠れてしまいそうだけど、フィアは人間にしてはなかなか美しい顔立ちをしている。
しっとりとした艶のある灰色の髪に少し青みのある滑らかな白い肌、憂いを帯びたラズベリーピンクの瞳。
十八歳という年齢とはアンバランスな退廃的な空気を纏っている。
夜が似合う女は良い。つい秘密を共有したくなる。
そのうえ学者の家系の貴族令嬢として育ち、魔術の知識と社交界のマナーも十分に身に着けていて品もあるのだから、訓練次第でどんな男だって手玉に取れるだろう。
素材だけならば、彼女は諜報部員にうってつけの人材だ。
別に、任務の度に体を使って情報を取ってこいなんて言わない。そういう任務はそういうことを楽しめる女性が務めている。
フィアのような子に任せたいのは、国王の愛人や貴族の妻として社交界に潜り込む長期の任務だ。
組織のバックアップを受けつつ、上流階級の男のもとで良い暮らしをしたらいい。ある程度なら相手を選ばせてあげられる。
「その、婚約者だった人がやったことを考えると……まるで結婚詐欺、みたいな」
「そうだね。入籍していなくとも結婚詐欺といって差し支えないと思うよ。ひどい男だね」
俺の言葉に勇気をもらったのか、彼女は真っ赤な顔で頷いた。
「そうですよねっ。結婚詐欺師! ろくでなし!」
ダメだな、フィアは間諜には向かない。
酒に弱すぎる。
その上、酔うと口が軽くなって己の身の上を簡単に語ってしまうなんて最悪だ。
……まぁ、俺と目を合わせた時の反応から「ちょっと無理そうだな」とは感じていた。
間諜に適性のある女性だったら、俺の気配に怯えつつもしっかりと媚びた視線を送ってくる。
秘密結社に入ろうという度胸のある女性ならばある程度は覚悟が決まっているし、成り上がるための最上の餌が目の前に現れたら食いつくものだ。
比べてフィアは、男に対しての苦手意識がかなり強いようだ。
男によって不幸のドン底に突き落とされたのだから無理もないか。
苦手なものと向き合うことを避けるため、酒に逃げてしまっている。
この様子ではいくら訓練してもハニートラップなんて不可能だろう。
「――その時に思ったのです。この天空に神なんていない。こんな世界、終わってしまったほうがいい、と。天空神も、あの男も、絶対に許せません!」
可哀想に。
この世界には悲劇なんてありふれているけれど、フィアはあらゆる不幸を凝縮した四年間を過ごしたらしい。
フィアの身辺調査の結果には目を通してきた。
その元婚約者の男はなかなかに悪事の才能がある。素人にしてはうまくやった。
騙されたフィアの家に隙があったのは確かだが、政略結婚の相手がここまで徹底的に自分たちを破滅させるなんて普通は考えない。
フィアとその両親は、運が悪かった。
俺は仕事柄、自らの手で悲劇のシナリオを作って幾度も実行してきた。
たくさんの人間を不幸にしてきたし、俺がかかわらずともフィアよりもずっと悲惨な目に遭っている人間は山ほどいる。
だからといって、彼女の不幸が軽んじられるものではない。
可哀想なものは可哀想だと思う。
「それで、フィアはウチに入って隕石群から生き延びたいんだね。おじいさんの推察通り、その目的は叶うよ。我らの邪神の復活が叶えば」
「……わ、私、仲間に入れてもらえるのでしょうか?」
自分の身の上を話し終わって少し冷静になったのか、彼女は泣きそうな表情をしていた。
「いいよ。きみは将来有望そうだから。おめでとう」
実は、彼女の結社入りはほとんど確定していた。
星が落ちることを知っている人間を組織の外には置いておけない。
ましてや彼女は祖父の遺産によって、隕石群の観測方法を知っている。まだ何も知らず、平和にのほほんとしている国々にその情報を持ち込まれたら困るんだ。
「ほ、本当ですか? 私、役に立てるでしょうか?」
さて、彼女の所属はどうしようか。
間諜には向かない。
なぜか体力テストは意外なほど好成績だったが、今から優秀な暗殺者や戦闘員になれるとも思えない。
じゃあ、工作員や運び屋?
微妙だな。基本的に目立たないよう行動する必要があるのに、貴族然としたこの容姿では受けられる任務が限られてしまう。もったいない。
となると内勤の事務処理しかない。情報整理の試験は問題なかったし、魔術の適性もあるし、誰も文句は言わないだろう。
……でもなぁ、かわいい女の子がいると浮つく奴がいそうで困る。
つまらない事務仕事なんかさっさと終わらせるに限るのだが、彼女がいることで作業効率が落ちそうだ。
「大丈夫だよ。きみは美しくて聡明で努力家だ。どんなことだって挑戦できるし、今はできないこともいずれはできるようになる。だけど、頑張りすぎちゃだめだよ。自分を責めてこれ以上傷つく必要なんてない。きみは何も悪くないんだから」
俺がほとんど無意識で紡いでいる言葉に、嘘は一つも含まれていない。
だけど、薄っぺらいよな。
所詮人間を下に見ている悪魔の言葉だ。
それでも自己評価が低くて、何年も罪悪感に苦しみ、酒に酔っている彼女には効果があるだろう。
フィアはしばらく動かなかった。
やがて口の前で祈るように指を組み、嗚咽をこらえるように肩を震わせる。
「ごめんなさい、私、誤解していました……優しいんですね。人間よりも優しい。私、全然ダメなのに……嘘だと分かっていても、嬉しいです。嘘でも、そんなことを言ってくれる人はいなかったから」
初めてまともに目が合って、今度動けなくなったのは俺の方だった。
彼女の言葉に感動したのではない。
ただ、見惚れた。
上目遣いの潤んだ瞳、紅潮した桃色の頬、甘えるような震え声。
なんて綺麗に泣くんだろう。
今が、フィアンメッタという人間の人生の中で最も美しい瞬間に違いない。
本当に奇跡のような一瞬だった。
ついでにいえば、腕を寄せて胸元が強調されたことによる視線誘導まで完璧。
俺は口説かれているのか?
完全に油断していたがゆえに、動揺が大きい。
それほど強烈なカウンターだった。
いや、分かっている。これは純然たる天然だ。
フィアは何も意識していない。
これほどの境遇に身を置きながら、なんて純粋な魂なのか。
絶対に悪の秘密結社の構成員には向いてない。
思わず笑みがこぼれた。無意識に笑ってしまったのは久しぶりのことだ。
彼女に間諜の適性はなくとも、天性の色仕掛けの才能がある。
……俺特効で。
ああ、本当に可哀想だな。
悪魔に目を付けられるなんて、不幸以外の何物でもない。
なんて可哀想でかわいいんだろう。
絶対に幸せにしてあげる。
「嘘じゃない。フィアはとても魅力的だよ。俺は、もっともっときみのことが知りたい」




