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最弱スキルで追放されたけど、実は世界唯一の最強能力でした  作者: 妙原奇天
第一部

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第九話「王へ向かう歌、門で待つ拍」

 王城へ向かう回廊は、昼より暗く、夜より明るい。壁の織物が月を吸い、足音は毛足の長い敷物に沈む。セレスティアが先、フロエと白頭布の男(“間”の者)が中、俺が殿。砂時計は静かだが、落ちる砂粒がいつもより大きい。許容量は深い。だが重い。


 「王へ向かう歌は——玉座を狙わない」

 走りながら、フロエが低く言う。「狙うのは『王であろう者』だ。王の名を口にせずに、王の歩幅だけを呼び出せる場所」


 「どこだ」

 セレスティアが振り返らずに問う。


 「謁見の間ではない。王の控え室、あるいは記章の間」

 間の者が言葉を継ぐ。「王冠や紋章、式服の柄が吊られている場所。『王であろう』という意志が集まる」


 砂時計を返し、《観測》を沈める。銀線が王城の中へ広がり、息の道、視線の矢、靴の擦れ、布の音。——記章の間が震えている。金糸の房ひとつひとつが拍を持ち、見えない合唱がそこへ合流していた。


 「記章の間だ」


 セレスティアは頷き、足を速める。角を曲がるたび、衛士が短い敬礼で道を開ける。扉の前、二重の紺外套が左右に立ち、儀礼用の槍の先が微かに震えていた。中から音が漏れている。歌……ではない。朗唱。式辞の調子で、言葉が拍に乗せられている。


 扉を押す。記章の間は、思ったより狭い。三方の壁に柄布と紋章、中央に低い台、周囲に大臣と侍従が半円を描く。台の向こうで、一人の男が手を掲げていた。痩せた頬、白い指、口元に正しさの形。声は柔らかいのに、針が立っている。


 「——王たる者、こう歩め」

 男は言う。「王たる者、こう息せよ。王たる者、こう視よ」


 歩幅だけが呼び出される。人の善意に王の型が縫い付けられていく。セレスティアが一歩踏み出した。「執政官、やめなさい」


 男は振り向いた。顔に驚きはない。「ヴァイン卿。王は、まだここにはいらっしゃらない。ならば、王であろう者が場を整えるのが務めだ」


 執政官——名は聞いたことがある。グラール。王不在の儀式を支える才腕として名高い。正しさを職業にした人間。危うい。


 俺は砂時計を返し、銀線を男の言葉へ沿わせた。朗唱の線は三つ。言葉、拍、視線。どれも王冠に結びつく前に、人に刺さる。王の歩幅を「私兵化」するのにもっとも巧いやり方だ。封糸の合唱が作った“群れ”の潮が、ここで型に流し込まれる。


 「街柄だ」

 フロエが柄板の包みを開き、間の者がひとつ掲げる。角に焼印《街柄》。王ではなく、街の歩幅。

 セレスティアが執政官の前へ進み、短く宣言する。「王の歩幅は、王家の所有物ではない。人の運用に移した。今夜、王城の縫い目は『人に縫う』に改められた。——続きは、王が自ら受け取る」


 グラールの瞳が細くなる。「無責任だ。人は忘れる。人は裏切る。だから、柄がいる。私が縫う」


 「私が縫うのではない」

 セレスティアは微かに首を振る。「みんなで稽古する。——運用だ」


 言葉のぶつかり合いは、ここでは遅い。音が場を染める。執政官が掌を返し、言葉を上へ持ち上げると、侍従たちの視線が上向きに揃い、その拍が金糸へ伝わる。危険だ。金糸は良く覚える。ここで“王の歩幅”が固定されると、明日以降も再演され続ける。


 「を置く」

 俺は低く言い、青い糸を手首で弾いた。ミラがいない。この場で青い逃げ道を作るのは、俺ひとりだ。——いい。祖父は『自分でほどけ』とも書いていた。

 砂時計を返し、朗唱の線の**“置き場”を半足ずらす。執政官の言葉は天蓋に刺さる直前、横へ反れる。侍従の視線が宙で逸れる。拍はひとつ空振り**する。


 ささやかな失敗が生む間に、フロエが柄板を縦に立てた。間の者が「吸う」の合図を声なく出す。複数の胸が真似する。息が入る。稽古の準備が整う。


 その瞬間、扉の向こうから、独唱が入ってきた。広場で対峙した封糸の女ではない。もっと低く、もっと古い声。祈祷ではない。謡。

 ——王が入る。

 空気が自分の形を思い出すみたいに収まった。


 王は若くなかった。眼差しは静かで、肩の線は細いが、歩幅は人のそれだった。俺は胸の奥で安堵と緊張が混じるのを感じる。“王であろう者”に歌われるより前に、王が自ら聴きに来た。


 「続けよ」

 王は短く言い、席に座らず、記章の間の端に立った。執政官の口元がかすかに引きつる。「陛下、今は——」


 「私は聴き手だ。今夜は」

 王は柔らかく言葉を置いた。セレスティアが一歩退き、胸の裏帳面を握り直す。「陛下。——街柄をご覧ください」


 間の者が柄板を差し出し、フロエが最小の型を指でなぞる。王は踏み板のない床で、半拍遅れて真似た。肩が少しほどけ、息が少し深くなる。稽古は、王にも王でない者にも同じだ。


 執政官が焦るのが見えた。銀線が歪み、彼の朗唱は急になる。俺は針を出さず、掌だけで線を撫でた。王の真似る拍に、街の呼吸を合わせる。王であろう者が歌で王を作るのではなく、王自身が人の拍に混ざる。

 ——王は人である。今夜、それは言葉ではなく、動きになった。


 執政官の朗唱は宙吊りになり、金糸は記録をやめた。セレスティアが一歩進み、執政官の前に青い結びを差し出す。「ほどけやすく」


 「私はほどけない」

 男は結び目を見もせずに言った。「役目はほどけない」


 「役目は人の中に縫うものだ」

セレスティアの声は低く、強かった。「柄に縫い付けるものじゃない」


 俺は砂時計を返し、記章の間の縫い目を薄くなぞった。今、この場を固定しないように。“やり足りないで終える”。祖父の書。

 王が短く頷いた。「——運用の場を、別に設けよう。夜明けまでに」


 執政官の肩が、ほんのわずか落ちた。抗う線はまだ残っている。だが今、縫い留めるべき勝ちは縫えた。


          ◇


 南門。アリアとミラは、門楼の影で見張り歌の芯を読んでいた。門番たちの足が揃いすぎ、出入りの列が凍る。事故は起きていない。今のところは。だが、長くは持たない。


 「足拍で崩せる?」

 門楼の上でアリアが笛を持ち直す。


 「崩せる。けど、抜くのが先」

 ミラが袋の口を開く。「『小路の歌』で、列の角に曲がりを作る。直列を曲線にして、見張りの“一直線”を斜めにする」


 アリアは笑った。「あなた、やっぱりおじいさまの弟子だ」


 見張り歌の主は門の外——野越しの哨戒だ。封糸は遠距離で張るのが巧い。アリアは笛の基音を低く置き、門内の空気に「ため」を作る。ミラは列の四隅に青い結びをつけ、ほどけを仕込む。


 最初の一撫でで、列がたわんだ。怒号は出ない。代わりに、笑いがぽつぽつ立つ。待つことを罰にしない拍が「回れ」を促す。


 「——投げてきた」

 アリアの耳が先に気づいた。外から封板が一枚、風で運ばれてくる。閉じる型で、門の蝶番に**“固さ”**を縫うつもりだ。


 ミラは間に合わないと判断し、青い糸を投げた。結びは小さく、軽い。封板の角にかすめただけだ。だが逃げ道は十分。アリアの笛が無音の吸気を置き、封板は重さを変えた。閉じる前に、開く練習に寄る。


 門の蝶番は閉じない。見張り歌は締められない。外の封糸たちが位置を変える気配。アリアは待たない。拍を裏へ回し、出入りの列に「一寸先は光」を薄く縫う。慎重の半拍。列は流れる。門番の肩の力が抜ける。「助かった」と誰かが言い、笑いが増える。


 ミラは額の汗を拭い、青い糸の結び目を数えた。「——大丈夫。『見張り歌』、逃げた」


 アリアは笛を下ろし、夜気をひと口吸った。「喉がやっと生き返った」


          ◇


 王城へ戻る道で、俺はふと立ち止まった。胸の砂時計が軽く鳴る。誰かが呼んでいる。声ではなく、癖で。

 ——祖父だ。いや、祖父の書の余白が呼んでいる。裏帳面の、まだ読んでいない最後の頁。


 小部屋へ戻る時間はない。だが、線を通じて、余白は触れる。俺は砂時計を返し、記録の縫い目へ浅く触れた。銀線が裏帳面の最後の頁の空白を縫い、失われた一文の縁が浮かび上がる。


 〈——王は人の中に散れ。人は王の中に集まるな〉


 息が、深く入った。方向だ。袋ではなく、散布。私兵化を避けるたったひとつの言葉。

 セレスティアが横で目を細める。「読めたのね」


 「余白が教えた」

 俺は笑う。「ほどけやすく」


 王の控え室に戻ると、運用の机が用意されていた。王、セレスティア、ギルド、工匠、フロエ、間の者。そして、空席がひとつ。封糸にも呼びかけは送ってある。来るかどうかは相手の柄だ。


 俺は封板を机に置き、布をほどく。角の青い結びが小さく鳴り、開く練習の型が表に向いた。「これを稽古に落とす。閉じるためではなく、開くために。王であろう者に向かう歌の置き場を、横へずらす」


 王は頷いた。「私は聴く。私が王であるのは、人が歩くからだ」


 セレスティアが裏帳面を開き、王に一行を読み上げた。「〈王は人の中に散れ。人は王の中に集まるな〉」


 執政官グラールは、沈黙のまま席に座っていた。彼は悪人ではない。正しさが好きな人だ。正しさは時に袋になる。——ほどけやすく。


 会議が進む中、扉が一度だけ控えめに叩かれた。薄灰の外套。合唱の女ではない。別の封糸の縫い手だ。顔は覆わず、手に針を持たず、紙だけを持っている。

 > 違う柄で来た。

 > 歌ではなく、沈黙で。

 > “間”の席をひとつ。


 王は頷いた。「——座れ。歌でも沈黙でも、運用できる」


 封糸の女は、青い結びに目を落とした。「ほどけやすく……それなら、話ができる」


          ◇


 夜明けが近い。東の空の布目が薄くなり、王都の呼吸がひとつ深い。アリアとミラが南門から戻る頃、記章の間は稽古場に変わっていた。王は椅子に座らない。立って、半拍休む。セレスティアは負い目を胸に抱いたまま、鎖ではなく柄に変えていく。工匠は芯に戻しをかけ、フロエは写しを練習帳に落とし、封糸は袋をほどき、縫い代を人に渡す。

 執政官は沈黙を守る。耳だけが聴いていた。


 俺は砂時計を返し、胸の砂を数える。落ちる。だが、怖くない。青い逃げ道は脈を保ち、針は懐で軽く鳴る。

 祖父の声が、紙ではなく、癖で聞こえる。やり足りないで終えろ。次の線が、次を呼ぶ。


 扉口に、バルトが顔を出した。「おーい、観測士。城下西でもう一曲、誰かが“朝の市の歌”を始めやがった。今度は良い方だ。人が起きるやつ」


 アリアが笑い、ミラが「ほどけやすく」と呟く。

 俺は頷いて、王を見、セレスティアを見、フロエと間の者と封糸の女を見た。敵と味方の線は、もう一本ではない。縫い代になった。


 「——行ってくる」

 俺は祖父の針を確かめ、青い糸を結び直す。結び目は小さく、緩く、強く。

 王都は布。記録は癖。人は柄。

 針は両刃。だからこそ、切れて、縫える。


 朝の光の一寸先に、俺たちはまた歩幅を置く。


(第十話「朝の市、運用の机」へつづく)

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