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最弱スキルで追放されたけど、実は世界唯一の最強能力でした  作者: 妙原奇天
第一部

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第六話「裏帳面の名、王家の負い目」

 《ライン書房》の屋根に上がるのは、子どもの頃の遊びに似ていた。けれど今は遊びではない。アリアが軽やかに縁に足をかけ、ミラは紐梯子を結び、俺は懐の針と青い糸の位置を確かめる。夜の風は冷えて、煙突の黒が星を欠いた穴みたいに口を開けている。


 「ここに“裏の裏”があるの?」

 アリアが覗き込み、鼻をしかめる。「煤、すごい」


 「祖父は、煤に“印”を混ぜた」

 俺は砂時計を返し、《観測》を薄く開く。銀の線が煙突の内側に、縦でも横でもない“斜めの筋”で現れる。煤と灰と油の粒が、字のようにまとまっているのがわかる。「——ここだ。指を二本入れて、左へ半回し」


 ミラが細腕を伸ばし、指示どおりに煤の層をなでる。乾いた音。煙突の内側で薄い板が外れ、平たい筒が一本、手探りに触れた。布に包まれたそれを引っ張り出す。重さはない。だが、触れた指の腹に、妙に生きた温度があった。


 「裏帳面……」

 ミラの声が小さくなる。「おじいさま、いつも『おもてには線が足りない』って」


 屋根から降り、裏部屋の作業台に筒を置く。布を解くと、薄い板紙を連ねて綴じた冊子が現れた。表紙の角に、祖父の字で小さく《裏》とだけある。ページをめくると、見慣れた祖父の筆致——細く、正確で、少しだけ斜めに立つ癖。縫い付けた“欠片”の名と、渡した相手、返ってきた時の様子、そして“余白”にだけ書く祖父のぼやき。

 そして最初の頁の下段に、濃い墨で一行——《ヴァイン家、第三隊へ“王の歩幅”の稽古を一夜貸与》。


 「……セレスティアの家名」

 アリアが息を止める。「“一夜貸与”? いつ?」


 祖父は日付も書いている。十七年前。まだセレスティアが騎士学校に入る前、第三隊の隊長は彼女の父だった頃だ。備考には短く、《“歩幅”は返却、柄板は借用先で破損、修繕待ち》とある。


 「柄板……」

 俺は王城で受け取った柄板を取り出し、板口の刻印と裏帳面の記述を見比べる。古い刻印《線守》。確かに同じ系譜だ。だが板口の片側だけ、木目が若い。“修繕”した跡だ。


 ミラが次の頁をめくる。

 《王城記録官補・Fへ、“冬至の火”分配。返却なし(行方不明)》

 《ギルド長代理・Bへ、“市場の値踏み”分配。半返し。笑い多し》

 《封糸会・匿名へ、縫技交換(条件付き)。“袋の口の縫い方”授受。離縁》


 「離縁?」

 アリアが眉をひそめる。


 「縫いの約束を破棄した、ってこと」

 ミラが静かに答えた。「おじいさま、封糸とは最後まで“ゆるく”しか繋がらなかった。袋じゃなく人、って主義の違いで」


 頁を繰るほどに、街の“記憶”が具体の顔を持ちはじめる。魚市場の呼び声を商人ギルドへ縫い戻した話、北外周の見張りの“足拍”を隊士に渡した夜、産婆たちの歌を冬の病室へ散らした朝。祖父は袋を道具として使い、人へ返し続けた。

 そして十頁目——濃い墨、迷いのない筆致。

 《ヴァイン家へ、再貸与。“王の歩幅”の稽古、“封糸会”からの柄板借用について相談。柄板は“王の柄”に似すぎる。使うな、と言った。反発あり。——破袋の兆しを見たので、針を持ち出す》


 部屋の空気がわずかに重くなった気がした。アリアが笛を指先で転がし、セレスティアの横顔を思い浮かべたように目を細める。


 「彼女が関わってた、とは限らない。父親の代よね」


 「けれど、家は家だ」

 俺は乾いた喉を湿らせる。「“王の歩幅”は、王だけのものじゃない。『王は人である』って、今夜、縫い直したばかりだ。……でも、『人』の側がそれを“私兵化”したら、歩幅は『軍靴』になる」


 ミラは押し黙り、指で青い糸の結び目を直した。祖父の筆致の横、余白に小さく書かれた一言が目に入る。

 《王の負い目は、王家ではなく、“王であろう者”にある》


 「“王であろう者”……」

 アリアがゆっくり復唱する。「王家の血、ではなく、『王の歩幅を私物化したい者』」


 俺は柄板の裏を指でなぞる。王城で受け取った板口の温度——誰かの最近の手。セレスティアのものではない。もっと粗く、慎重さに欠ける、と感じた手。

 「第三隊の誰か、あるいは……王城の記録官補“F”の系統が絡んでる」


 ミラが小さく頷いた。「“F”はフロエ。古い記録官の家系。封糸とも行き来があったって、おじいさまが」


 「繋がるわね」

 アリアは椅子の背に身体を預け、「で、どうするのかを決めないと」と現実へ戻す。「セレスティアに、この“ヴァイン”の頁、見せる?」


 「見せる」

 自分でも意外なほど、迷いはなかった。「隠せば、裏切る線が生まれる。俺は『人に縫う』と決めた。なら、彼女にも“負い目”を渡すべきだ。——所有ではなく、運用のために」


 ミラが安堵にも似た息を漏らし、すぐ真顔に戻る。「封糸は、今夜の“失敗”で焦ってる。『王に縫う』の逆をやりたがるから、きっと動く」


 「動く前に、手を打とう」

 俺は裏帳面の別の頁を開く。末尾近く、最近の日付。

 《北塔の影に、“白頭布”の男。歩幅は王に似ず、だが線を跨ぐ癖。柄板の削りが甘い。——見覚えのある足》


 白頭布。今夜、王城の屋根で見た男だ。そこへ祖父の一文——《見覚えのある足》。

 「祖父は、あの男を知っていた」


 アリアが椅子を蹴って立つ。「追う?」


 「いや、呼ぶ」

 俺は砂時計を返す。銀線が裏部屋から街へ伸び、煙突を通って夜気に散る。市場の残響、王城の呼吸、路地の足音。そこに、祖父の“呼び方”を混ぜる。針は使わず、声でもなく、癖で呼ぶ。青い糸の結びを指で弾き、机の上の針を軽く鳴らす。カンという小さな音が、銀線の束で遠くへ飛ぶ。


 静かな数呼吸ののち、店の鈴が、短く二度鳴った。

 扉が軋み、影がひとつ入ってくる。白い頭布。背は高いが、歩幅は妙に一定。目は細く、どこか欠けた笑いがひび割れている。


 「夜分に失礼」

 男の声は、乾いた布を擦るような音。「——ラインの子。師匠には世話になった」


 「祖父はあなたを知ってた」

 俺は裏帳面を開いたまま、視線で示す。「“見覚えのある足”って」


 男は目だけで頁を見、ふっと笑った。「記録屋らしい書き方だ」


 「名を」

 アリアが一歩詰め、笛を指先で転がす。


 「フロエ。王城記録官補——だった者」

 白頭布の下で、眉がわずかに動く。「今はただの“写し屋”。そして、封糸でも王でもない、*あわい*にいる者だ」


 “F”。祖父の帳にあった頭文字が、ゆっくりと音になる。


 「柄板は、あなたが弄った?」

 俺は手元の板を軽く傾ける。


 「半分は」

 フロエはあっさり認めた。「半分は、ヴァイン家の古い工房。『王の歩幅』の柄は、王のためだけにあるべきだと、彼らは信じていた。私は、柄は“歩幅を教えるため”にあるべきだと思っていた。似ているようで、違う」


 「だから、封糸とも手を組んだ?」

 アリアが鋭い。


 フロエは肩をすくめる。「あれは“袋を持ちたがる”。私は袋が嫌いだ。——ラインの子。君の祖父は、袋を道具として扱い、人に返す術を持っていた。私は、それを“写しとして残す”術があると思った。柄板は、そのための型だ」


 ミラが青い糸をきゅっと握る。「でも、今夜、霧が喰いに来た」


 「それは計算外だった」

 フロエの声が微かに沈む。「結界が弱る周期は知っていた。だが“袋を破る速さ”を誰かが早めた。……君の師が、見誤った」


 ミラは言葉を失い、唇だけで「ごめんなさい」と形を作った。

 俺は青い糸を指で弾く。「謝罪は縫い目を弱くする。次の手を」


 フロエは裏帳面に指を置いた。「君は『人に縫う』を選んだ。なら、柄板は“歩幅の練習帳”として必要だ。王のでも、封糸のでもない、“街の柄”。——作るか?」


 空気が、針の先で鳴る。

 アリアが目だけで笑う。「面白いこと言うじゃない」


 「ただし条件がある」

 俺は針を示し、砂時計を指で叩く。「“写し”は複製ではなく、稽古に限る。持ち出さない。柄板は《線引き》が管理し、ギルドと騎士団が“見張る”。所有ではなく、運用。……それから」


 「それから?」


 「ヴァイン家の古い工房に、今も“王の柄”が残っているなら、今夜のうちに“ゆるめる”。私兵化の線を切る」


 フロエの目が細くなった。

 「王家に刃向かうつもりか?」


 「“王の柄”を王家から剥がすんじゃない」

 俺は青い糸を結び直し、結び目をわざと緩くする。「“私兵の柄”を、王から剥がす。王は人だ。『人の歩幅』に縫い直した。この街の“王の負い目”を、王家の血じゃなく、“王であろう者”から外す」


 短い沈黙のあと、フロエは初めて、少しだけまっすぐ笑った。「——師匠の子だ」


 「行くなら、案内はできる」

 彼は白い頭布を結び直し、「古工房は北の下町、古い織機の倉。ヴァインの家人は今は少ない。だが“柄を守る者”はいる。封糸も匂いを嗅ぎつけてくるだろう」


 アリアが笛を腰に差した。「音で乱し、縫いで抜く。得意分野」


 ミラは袋を三つ選び、腰に付ける。「『冬至の火』『足拍』『小路の歌』。人に返す準備、できてます」


 俺は柄板を布で包み、裏帳面を懐にしまい、祖父の針を確かめる。砂時計は静かだ。だが、その静けさは“枯れ”ではない。“深まり”。青い逃げ道は結ばれ、緩く、息をしている。


 「ひとつだけ」

 フロエが踵を返す前に言った。「セレスティア・ヴァインには、君から見せなさい。『負い目』は、他人に渡すと“鎖”になる。自分で受け取れば、“柄”になる」


 俺は頷いた。「彼女に渡す。鎖ではなく、柄として」


 扉の鈴が風で鳴った。三度。行け、戻れ、進め。祖父の合図が混ざったみたいな音。

 《線引き》は四人目(仮)を加え、夜の下町へ向かった。

 道は狭く、屋根は低く、織機の音が遠くで眠っている。街は“人の柄”でできている。ならば、“王の柄”も、人の中でほどけるはずだ。


 角を曲がるたびに、影がひとつ、ふたつ、屋根の端で動く。封糸の気配。

 アリアが肩で笑い、「また祭りね」と囁く。

 ミラが青い糸を結び直し、「ほどけやすく」と付け足す。

 フロエが白頭布の端を押さえ、「君の師は、いつも“逃げ道”を残した」と懐かしむ。


 俺は砂時計を返す。銀線が夜の布目に立ち、先の角、次の門、古工房の影を描く。

 許容量は、まだ落ちる。だが、怖くはない。

 針は両刃。ならば、刃の片方を「街」に、もう片方を「俺」に。

 切り結ぶのでなく、縫い合わせるために。


 ——次章「古工房の柄、私兵の影」へ続く。

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