平手造酒・Ⅰ
〈ツェッペリン廣島公演有難う 涙次〉
【ⅰ】
タイムボム荒磯の、もぐら國王の許での初仕事の当日。肝戸は空いてゐたので、「もぐら御殿」入口まで荒磯を送つた。たゞ、いつもの涙坐・ぴゆうちやんに對する丁重さはなく、助手席にチャイルドシートを載せ、* 娘・力子をそこに坐らせてゐた。
荒磯は、ロリコンとは違ふレヴェルで、子供好きだつた。力子がプリキュアのファンだと知ると、「お兄さんがプリキュアのドール、買つてあげるよ。キャラは誰がいゝ?」これには肝戸、ちとむつとした。「先生、我が家の家庭の方針で、それはお断りさせて頂きます」‐「あ、だうも濟みません。力子ちやんが、あんまり可愛かつたものですから」(肝戸は、泥棒の片棒を担いで得たカネで、力子にプレゼントをするのは已めて慾しかつた。それは、自分の、** ホテルマン時代の「事件」を思ひ出させる。)
* 当該シリーズ第23話參照。
** 当該シリーズ第21話參照。
【ⅱ】
(人が好い、と聞いてゐたが、家庭の事となると、案外おつかないな、このをつさん)まあそれは口には出さない。何せ、絶好調なのである。谷澤=テオとの仕事も捗つてゐる。息もぴつたり、と云つていゝ。その好調さを、他人の子供の事で、台無しにしたくはなかつた。
「さ、着きました」‐「だうも」‐すると、「もぐら御殿」は周囲の景色に上手く溶け込み、カムフラージュされてゐるが、こゝを目的地にやつて來た者には、一目でそれと分かるやうになつてゐる。(ふーん、工夫されてるんだなあ。流石怪盗の名を恣まゝにしてるだけの事はある。)
と、そこに男が一人立つてゐる事に氣付いた。男‐ カンテラと同じく、着物姿であるが、カンテラのやうに血色が良くなく、何処か躰を惡くしてゐる事が一目瞭然だつた。「あんた、誰?」‐「俺は平手造酒と云ふ者だ。お前を浚ひに來た」‐平手造酒、講談の登場人物としては、「天保水滸傳」その他で、有名である。剣の方は、相当の使ひ手と云へたが、酒で身を持ち崩してゐる。因みに、この物語で、インサートされてゐる短歌は平手みきが書いてゐるが、彼は、造酒のパロディ的存在である。
【ⅲ】
「おい、ちよつと待て。誰に頼まれた?」‐「魔界のさる筋からね。お前さんをさう簡單に、カンテラのとこの猫に取られて堪るか、と云ふ聲が上がつたのだ。ごふ、ごほ、」‐咳き込んで、咽てゐる。見ると、肝戸の黑グロリアは既にそこに停車してゐない。これは... 絶体絶命のピンチ、ではないか?
肝戸は焦つてゐた。この儘では荒磯が誘拐されてしまふ。だが、力子同乘のクルマを放つて置くと、彼女にどんなとばつちりがあるか、分かつたもんぢやない。暫くクルマを走らせ、こゝぐらゐでいゝか、と云ふ地點で、カンテラに連絡。「なに、平手造酒? この間の*『犬吠埼灯台事件』の再來か? 肝戸さんが絡むと、自然、講談の主人公たちが集まつて來るな‐ だう云ふ事だ?(←それには理由がある。後述。)」
* 当該シリーズ第22・23話參照。
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〈八月やこれで最後の夏だぞと思つた人のどれだけゐるか 平手みき〉
【ⅳ】
ご存知の通り(前回・前々回参照)、荒磯は【魔】の出身である。カンテラ一味に養はれて、仕事を当てがつて貰ふなんて、飛んでもない、と云ふ強硬派も魔界には、当然ゐるだらう、とそんな事は讀める。だが、この儘では、もぐら國王にまで累が及ぶだらうし、谷澤との仕事にも支障を來たしてしまふ...
カンテラは國王に連絡した。「......と云ふ譯で、仕事は先送りにしてくれ。あんたも外には出ないやうに」‐「分かつた。タイムボムくんはだうなる?」‐「ま、俺らがだうにかするよ」
肝戸の黑グロリアで、取つて返して、「御殿」入口へ。平手造酒と荒磯、流石に時遅く、消えてしまつてゐる。で、カンテラ・じろさん・テオを乘せたグロリアは、一番近くの「思念上」のトンネル迄急行した。考へてみれば、この便利に使つてゐる、「思念上」のトンネルも、國王が掘つたものだ。荒磯の身柄は、國王のためにも、絶對に取り戻さねばならない。
【ⅴ】
と云ふ譯で、次回、タイムボム荒磯奪還の第2幕となる。それぢや、また。
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〈八月の胸にひやりと過飲かな 涙次〉
PS:平手造酒は、本名を平田三龜と云ふ武士で、こちらは實在した。然し、カンテラたちが立ち向かふ平手は、飽くまで架空の人物である。魔界にはそんな「架空」と「實在」の合はいを生きる者たちが犇めいてゐる。