第2話 破滅フラグの悪役令嬢
「つまりは単純に材料を投入するだけではなく、そこに魔法の技術を使って釜を混ぜる必要があるのだ……」
やる気出ないなんて言っておきながら真面目に授業する俺……。
俺は研究室隣の講義室で二十人ほどの生徒相手に授業を行っていた。
三学年生Dクラス。
十五歳の年頃の少年少女が教師用より一回り小さい魔法使いローブを身にまとい、小さな釜を置いてその隣に教科書を開き、熱心に黒板の文字をノートに写している。
「諸君らの魔力の波長を素材の本来の波長を同調させることで、素材に眠っている潜在能力を引き出し、完成する薬の効能を高めることができる。これを『潜力解放』という」
黒板に文字を書く。
———『コ只↑М☨↑IF1 RМ1МFΣМ』
なぁに書いてんだ? 俺。
なにこれー? なんて読むのぉ? いやわかってるんだけどさぁー。これで『潜力解放』って読むのはわかってんだけど、めっちゃ変な感じー、ウケる。
絶対に知らないはずの文字が、腕を動かしたらスラスラと書くことができる。
多分ではあるが転生先の悪役貴族で教師の〝ヴァン・レイン〟の体と頭にしみ込んだ知識と経験が、自然と体を動かしてくれるのだろう。記憶喪失になった人間が言語能力や計算能力を失わないのと同じように。
だから全く魔法の知識とかなく、現代でゲームばっかりやっていた俺でも堂々と生徒の前で授業ができる。
それにしても———。
「……ふん、ふんふんふん」
一番前の席で一層熱心に授業を聞いている真っ白な髪の少女が気にかかる。
何度もうなずき、鼻息荒く、俺の言葉一言一句を噛みしめているようにみえる。
彼女の名前はスノウ・ブリューゲル―――大きな目とぷっくりとした頬で朗らかな雰囲気を感じさせる、誰にでも好かれそうな少女だ。
彼女こそがこの世界、この乙女ゲーム世界『ウィザードプリンスさま♪』の主人公だ。一生懸命で努力家で、病気の祖母を治療するためにこの学園に入って薬草調合士を目指している。そうなると魔法薬草学の教師であるヴァン・レインと相性がよさそうなものだが、このキャラクターの性格は差別主義者のカス。庶民であるスノウに対して「庶民が神聖な薬草学の門徒に加わろうなどとは生意気な」と彼女が魔法薬草学を学ぼうとするのを徹底的に邪魔をする嫌な奴。だから、彼女は乙女ゲームの主人公で、俺はそのゲームの中の男性キャラクターなのだが、フラグは立たない。立つのはあくまで……、
「フフ~ン……」
少し離れた窓際の席で、一生懸命に授業を聞くスノウをはにかんでみている赤髪の青年がいた。
スラッとしているアイドルみたいな体系の彼は何を隠そうサンツィオ王国の王子様で名前を———デュオ・サンツィオという。
デュオは『ウィザードプリンスさま♪』の……乙女ゲーのパッケージキャラクターをなんというのか知らないが……ギャルゲーだったらいわゆるメインヒロインのような存在で、王子さまでありながら人を選ばずに人当たり良く接してくれる人気者。困っている人には直ぐに手を差し伸べる人格者であるが、その表面的な笑みの下には人の感情が半質的には理解できないサイコパスな一面も隠れている……といった光と闇の側面を持った人気キャラクター。
スノウは彼と基本的に恋に落ちる。俺ではない。イケメンで性格の良い魔法学園の人気者の王子様の彼と、嫌味な悪役貴族教師とは天と地ほどの差がある。
そして———、
「……フンッ!」
そんな彼女、彼をつまらなそうに見ては鼻を鳴らしてそっぽを向く、金髪の女性徒がいた。
気が強そうな切れ長の目に、高い鼻と細い指先。全身から高貴な雰囲気を漂わせる鳥でいうところの金糸雀を感じさせる。金糸雀は昔、スペイン人が未開の島から貴族に売りつけるためにヨーロッパに持ち込んだ愛玩用の鳥。金色で美しい様が人気で高値で取引され、最も良い毛並みの金糸雀は家一軒と同じ額で取引されていたという。
そんな高貴で高価で高飛車な空気を纏う少女は———アリス・エドガー。
金貸し貴族エドガー家の長女であり、そのエドガー家はサンツィオ王国で最も裕福な貴族の家であり、領地を持っていないにも関わらず公爵の爵位を貰った父親の娘であり、そんな有力貴族の娘であるからして———デュオ王子の婚約者として名を連ねている。
そんな彼女にとって、デュオが興味を抱いているスノウという異性は面白くない。
今もデュオからの熱視線を送られているスノウを憎々し気に睨み、その腹の中でどんないじめをしてやろうかと企んでいるのがありありと想像をつく顔をしている。
そう———彼女はいわゆる悪役令嬢。
乙女ゲーム『ウィザードプリンスさま』で主人公の恋路を邪魔する意地悪なお邪魔キャラである。
俺と同じ。
ただ俺と違うのは、彼女はスノウを滅茶苦茶に虐める。靴をズタズタに引き裂いたり、頭から桶に入った水をぶっかけたり、やりすぎなくらいに屈辱を与える。ヴァン・レインはそこまではやらない。ただ嫌味を言ったり、難しい問題のテストを出して困らせるぐらいだ。
だから俺と違って彼女は徹底的に成敗される。
彼女は王子様の婚約者であり、金持ちであり、その恩恵にあずかろうとコバンザメたちが常に彼女の周りを取り巻く人気者。
そういうキャラとして登場するが、スノウとの決闘に負けてデュオにも見捨てられ、裏で取り巻きたちの陰口を言っていたことが暴露されて全てを失う。
そう———破滅フラグを持っている悪役令嬢だった。
今はクラスの人気者であろうが、いつかは惨めにクラスの隅っこで怯えて暮らす日々になると知っていると同情の念もわいてくる。が、まぁ、俺にはどうすることもできない。
同じ悪役とはいえ、ヴァン・レインはただの嫌味な教師で破滅の未来が待っている生徒を助けるような熱血漢じゃない。
「それでは私が『潜力解放』のやり方を実演する。皆、前に来るように」
口に染みついた言葉をオートマチックに繰り出し、生徒たちに前に来るように促す。
一番前の席に座っているスノウ。そして窓際中ごろに座っていたデュオが立ち上がり、階段状になっているフロアを降りてくる。
「さて、ではこの杓で……、」
釜の中の液体を混ぜようとした時だった。
ガターンッ!
後方で大きな音がした。
そちらを見やると、段差になっている通路に頭から転んだような形で金髪の少女がうつぶせに倒れていた。
そのつややかな金髪は明らかにアリス・エドガーで、
「あ、ごっめ~ん。足当たっちゃったぁ」
彼女の足元に向けて、明らかに引っかけるために伸ばした足がある。
それを繰り出したのは栗色の髪の毛のニヤニヤ笑いを浮かべる女性徒。
「でもいいよね? あんたみたいに婚約を破棄された性悪女なんて、誰も愛しちゃくれないんだからさぁ! ギャハハハハハハハハハハハッ!」
ハハハハハハッ! と彼女の周りにいた女性徒たちも高笑いを上げる。
その光景の前で、アリスは唇を噛みしめて拳を震わせていた。
そうか。
彼女には破滅の未来が待っているわけじゃない。
もはやそれは現在進行形。
既に破滅フラグにより―――全てを失っていた。