書籍1巻発売記念SS『モーニングルーティーン』
私は朝四時半にスッキリと起床すると、すぐにベッドから起き出した。
眠ろうと思えば何時間でも眠れるけれど、冒険者業でたびたび僻地まで遠征していたせいもあってか、私は短時間睡眠にも慣れていた。短い時間でスヤァ……と熟睡が出来る。おかげで日付変更線を超えてから眠っても、思考もはっきりしているし、体の疲れも取れていた。
……あれ? でも、私ってそもそも疲れたことがないわね……? きっと、身体強化のおかげでしょう。
私は冒険者服に着替えてから、使用人棟を抜け出す。
もはや手慣れた動作で隠し扉に入り込み、地下水路を通ってフィンドレイ公爵家を脱出。
そのまま川辺で準備体操をしてから、まだ太陽が昇らず薄暗い街に向かって、早朝ランニングを始めた。
元ラインワース子爵領にいた頃から体を動かすのが好きだった。最初は『お友達がほしいから素敵な人になりたい』という動機から始めたことだけれど、身体強化魔法を開花してからは、体が自分の望むとおりに動くことが楽しくなった。叔父様たちの散財のせいで冒険者業を始めることになった時は、今まで体を鍛えてきてよかったと思った。筋肉に関する努力は私を裏切らないのだ。
今はイセル坊ちゃまの護衛として動ける体でなければいけないので、毎日この時間帯に体を鍛えている。
まだ寝静まる家々の間を、私は淡々と走っていく。
フィンドレイ公爵領は元子爵領と違って、お店がたくさんで、住民も多いため、様々な家を見かけることが出来て面白い。
庭先に並べられている鉢植えの変化だとか、窓越しに見える置物が今日も変わらずに置かれていることだとか、外飼いの犬が私に会う度にキャンキャン吠えていたのに最近は下僕みたいに振舞うことだとか。……私、魔物の匂いでも染みついているのかしら……?
一時間ほどかけて街を一周し、私は汗を流すために工房街にある銭湯へ寄る。ガラス職人向けに早朝から深夜までやっている穴場なのだ。
「……おっ、おは、おはようございます……っ!」
「はい、おはよーさん。回数券一枚ね」
「ひゃいっ……!」
受付のお婆さんに回数券を手渡す。
毎朝入りに来ているので、十枚綴りの回数券を購入してあるのだ。まるで常連客みたいで嬉しい。……まぁ、受付のお婆さんとは挨拶止まりの関係だし、この時間帯だとお客さんに全然会わないので、常連客らしい人間関係は築けていないのだけれど。
お婆さんからタオルを受け取ると、私は誰もいない女湯に入り、三十分ほどのんびりする。
お風呂から上がると、ちょうど六時くらいになる。この時間になると、近くのパン屋さんが開くのだ。
私は受付のお婆さんから牛乳を買い、銭湯を出ると、そのままパン屋さんにダッシュする。
「あら、おはようございます。今日も朝から早いのですね」
「おはっ、おはようごじゃ……っ、ございます……っ」
「今日は塩パンがおすすめですよ。よかったら買っていってくださいね」
「はい……っ」
パン屋の若奥様はとても気さくで(もしくは商魂逞しくて)、私のような無表情でコミュ障な人間にも本日おすすめのパンを教えてくださる素敵な方だ。
私は勧められるがままに塩パンを始めに手に取り、ほかにもたくさんパンを選ぶことにする。
私は魔導人形のフリをしているせいで、ほかの使用人と一緒に賄いを食べることが出来ず、夜にこっそり外食しに行くまで食事が出来ない。朝食と夕食の一日二食生活中である。
食べられる時にいっぱい食べないと、お腹が鳴って、人間だとバレてしまう……っ!
「ベーコンとチーズを挟んだパンと、クリームといちごの入ったパンと、あと、そのお砂糖の掛かったパンもください……っ!」
「毎度ありがとうございます。おまけにパンの耳もつけておきますね」
「パ、パンの耳!? い、いただいてもよろしいんですか……!?」
「はい。あと、今日もお店の前のベンチを使っていいですよ」
「あ、ありがとうございます……っ!」
初めて!! 初めて、お店の方からおまけをいただけたわ……!! 嬉しい……!!!
私は店先に設置されているベンチに座り、銭湯で購入した牛乳と、焼きたてのパンで朝食にする。
おすすめされた塩パンより先に、おまけのパンの耳を食べることにした。だって記念すべき初めてのおまけだもの。
おいしい……!! 口の中の水分を持っていかれちゃうけれど、すごくおいしい……!! これが、他人から優しくしてもらった証の味……!!!
空が白み始めて、山の稜線の向こうから朝日が姿を現し、眩しい光が差し込む。朝の澄んだ空気が、入浴後のさっぱりとした肌や髪を包み込んで、とっても気分がいい。街中が刻一刻と明るくなっていき、領民の姿がチラホラと見え始めた。
ああ、なんて自由で幸せな生活なんだろう、と不意に思う。
魔導人形のフリだなんて馬鹿なことを始めちゃって、自分の首を絞めてばかりいるけれど。
それでも、こんなふうに外の世界を見て、一言でもいいから誰かと言葉を交わして、お店の商品やサービスを自分の稼ぎで手に入れられると、私はまだ人間社会で働くことを諦めなくてよかったな、としみじみ思う。
「今日も頑張って、人間社会で生きよう」
朝食が終わったら、公爵家に戻って着替えて、七時からお仕事だ。
私は幸せな気持ちでパンの耳を食べた。




