80:黒竜③
黒竜は大きな瞳をうるうると潤ませて、イセル坊ちゃまを見つめる。
かわい子ぶった黒竜に、心優しい坊ちゃまはあっさりと騙された。
「マグぅちゃん、こくりゅーさんがこんなにふるえて、かわいそうなの。おねがい。もうゆるしてあげて?」
〈そうだよ! もっと言ってやって!〉
イセル坊ちゃまの優しさに付け込んで、黒竜が喚く。
というか、今イセル坊ちゃまが少し手を伸ばせば、黒竜を簡単に浄化出来るのでは?
でも、イセル坊ちゃまの浄化は、人間に対する敵愾心を消滅させて味方にする、というものだ。
すでにこの黒竜は敵愾心を喪失しているとも言えるわね。
そうだわ!
この幼い黒竜に、人間が暮している地域から遠く離れるよう、両親にお願いしてもらうのはどうかしら?
そうすればオウカ神聖王国の危機が解消出来るもの。
「黒竜よ。あなたがこちらの要求を呑むなら、これ以上の戦闘は中止に……」
私が言いかけたところで、上空から大きな影が二つ差した。
しまった。思ったよりも早くに、魔の山の主がお出ましになってしまったらしい。
私は再び臨戦態勢を取った。
先ほどの黒竜よりも一回り大きなドラゴンが二頭、近くにあった巨大な岩の上に舞い降りる。
〈母上ー! 父上ー! 僕を助けに来てくれたんだね!? 見て、母上! 僕の可愛い頬っぺたがこんなに腫れちゃったよ! 可哀想でしょ!? 僕の仇を討ってよ!〉
こいつ、せっかくイセル坊ちゃまが優しくしてあげたのに、まったく……。
やはり幼体の黒竜と比べると、親のほうは筋肉が発達していて四肢が太い。きっと骨格も頑丈なのでしょう。
精神干渉魔法も、親のほうが巧みだと考えられる。
魔法をかけられる前に殴り倒せないと、こちらの精神が持たない。いったい何回殴りつければ倒せるのかしら……。
黒竜たちの急所をじーっと見つめながら考えていると、両親が話し始めた。
〈お黙りなさい、我が息子ハヴァよ。人の子に負けた上に、そのような三下の言動をするなんて。まったく。恥を知りなさい〉
〈は、母上っ!?〉
〈御覧なさい、ラハブ。ハヴァはまだ身も心も未熟だわ。人の作った結界は、わたくしたちにも平和と安全を与え、子育てするには素晴らしい環境だったけれど。やはりわたくしたち黒竜は危険の中でしか強くなれないのよ〉
〈そのようだな、イシュマエル。結界も消滅した今、ハヴァは巣立ちの運命にあるのだ。俺たちも子離れをしなければならない〉
〈えええっ!? 父上、僕が巣立ちの運命ってどういうこと!?〉
どうやら私が殴り倒した黒竜は、ハヴァ君という名前らしい。母親がイシュマエルさんで、父親がラハブさんのようだ。
魔物でも知能が高いと、個体ごとに名前があるのね。
〈そこにいる人の子よ。あなたがハヴァを倒したのですね?〉
イシュマエルが突然私に話しかけてきた。
メスゆえに黒竜の中でも体が最も大きく、顔を近付けられると口から鋭い牙が覗く。
緊張に冷たい汗が流れる。息子を傷付けられたのだから、激怒してもおかしくないわ……。
でも、すでにハヴァが起きている以上、嘘を言っても無駄だ。
「はい。私が殴りました」
覚悟を決めて答えると、イシュマエルは特に感情を荒ぶらせることもなく、〈やっぱりね〉と頷いた。
〈わたくしたち黒竜は、生物の中でも最強に近いと言われているけれど、その時の自分にはまだ勝てない相手というのも現れるものだわ。ライバルというものよ。今のハヴァにとって、あなたがライバルなのだわ。あなた、名前は?〉
「……マグノリアです」
〈マグノリア、あなたはハヴァが己の運命の中で乗り越える壁の一つです。あなたを乗り越えた時、この子はもっと強くなれる〉
えっと……? これは、親に自分の子のライバル認定されたということなのかしら?
これからも息子と時々戦ってほしい、なんて頼まれたら、すごく嫌だわ……。
などと考えていた私に、イシュマエルはとんでもない要求を押しつけてきた。
〈というわけで、これからはマグノリアにハヴァを託すわ。この子をしっかり教育してちょうだい〉
「……はい???」
〈いったいどういうことなの、母上ぇぇぇぇぇ!!? 僕を捨てるってことぉぉぉ!!?〉
〈だから、巣立ちの運命だとラハブも言っていたでしょう。結界が破れた今、ハヴァはこれから一頭で生きていかなければ。でも、あなたはまだあまりにも未熟だから、強者にあなたの支援を頼んだのよ〉
〈そんな……!! 僕だって、配下たちがいればなんとかなる!!〉
〈火竜たちはあなたの配下ではなく、わたくしの配下よ。あなたは自分の配下を手に入れなさい〉
〈父上!! 母上を止めてよ!!〉
〈ハヴァよ。しょせんオスはメスの配下でしかない〉
〈いやだぁぁぁ!!!〉
困惑する私をそっちのけで、黒竜一家の家族会議が繰り広げられていた。
このままでは黒竜の子育てを押しつけられてしまうわ。いったいどうすればいいのかしら……。
ほかの人たちのほうに助けを求める視線を向けると、イセル坊ちゃまとピヨン様が「こくりゅーさんもいっしょにくらすみたい。ぼく、こくりゅーさんとまいにちあそぶのよ」〈あたしの弟が増えるってことね〉などと、ニコニコしている。
ギルドマスターや冒険者たちは「現代にドラゴンスレイヤーが誕生するってことじゃな」「すげぇ! さすがは俺たちの殺戮人形!」「黒竜にも一度乗ってみたいわ」と、はしゃいでいる。
私と同じように困惑しているのはテオドール様やオリバー様やロイド様くらいだったけれど、二人の会話は「領地のどこに黒竜を住まわせればいいんだ?」「竜舎を建てるんですかね? 餌代もすごいだろうし。どこの予算から捻出すればいいんだ……」「厩舎の傍はやめてください。馬が怯えます」なんて、非常に現実的だった。
フィンドレイ公爵家を退職予定なのに、そんな責任を負うわけにはいかないわ……!
「あの、イシュマエルさん! 息子さんを預かるなんて無理です! 人の住居は飛竜種には小さいですし、食事を用意するのも大変です。私に戦いを挑むだけならまだしも、ほかの領民に迷惑がかかるようなことは……!」
〈すべて問題ないわ。ハヴァは自分の食事くらい自分で狩れるし、人の生活圏にいる間は人を食べないように言い聞かせてあげる。それに、住居もそれほど広い敷地は必要ない〉
「ですが……!」
〈ハヴァを任せるお礼に、これを差し上げるわ〉
イシュマエルは、人間の手で抱えるくらいの大きさの水晶玉みたいなものを私に渡した。
とってもキラキラしていて綺麗だけれど……。
「これはなんでしょうか?」
〈黒竜の宝珠よ。古代の人の王たちはこれを権力や叡智の証だと考え、ドラゴンを追い求めては、次々と滅んでいったものよ〉
王朝が亡びる原因になったレベルの秘宝を、ひょいと渡されても困りますぅぅぅ!!
周囲からは大きな歓声が聞こえてきた。
「わぁ~! とってもきらきらのほうせきなの!」
「いいものを貰ったじゃない」
「テオ様、あれってフィンドレイ公爵家が所有してもいいんですかね? それとも王家に献上案件ですか?」
「まずは王家に相談だろう」
「すげぇ!! 黒竜の秘宝を手に入れたぞ!!」
「こんな歴史的瞬間を見ることが出来るなんて、今回参加してよかったな!!」
ひぇぇぇぇぇ……。私が宝珠を断るなんて微塵も思っていない発言ばかりが聞こえてくるわ……。
〈じゃあ、わたくしたちはもう行くわ〉
「行くってどこにですか!?」
〈安心して。人の棲息地にはもう飽き飽きしているの。大陸のずっと奥へ、久しぶりに旅行へ行くつもり。配下たちも連れて行くわ〉
イシュマエルはハヴァに顔を向ける。
〈本当に行っちゃうんだね、母上、父上……〉
〈むしろ、あなたは結界のせいで巣立ちが遅かったくらいよ。元気でね、ハヴァ。強くなるのですよ。マグノリアに勝てたら、わたくしたちの元まで遊びに来てもいいわ〉
〈……わかったよ。僕も黒竜だ。立派な母上や父上のようになるために、頑張ってこの野蛮人を倒すから。それまで元気でいてね〉
〈達者で暮らすのだぞ〉
「はい。父上」
イシュマエルは夫と配下を引き連れ、本当に大陸のさらなる奥地へと飛び立っていった。
一人息子のハヴァを私に押しつけて……。




