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「お前は人間に向いていない」と言われた無表情才女、いっそのこと魔導人形のフリをする  作者: 三日月さんかく
第1章

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8:イセル坊ちゃま



 案内されたのは、屋敷の南側にある子供部屋だ。

 幼い子供に配慮された小さな机や椅子、転んでも怪我をしないように敷かれたふかふかの絨毯に、たくさんのぬいぐるみやクッション。背の低い棚には絵本やお絵描き道具などがきちんと整理されていて、そのどれもが公爵家に相応しい上質な品ばかりだった。

 庭園に面した大きな窓からは心地良い日差しが降り注ぎ、穏やかな風が室内を通り抜けていく。

 なんとも長閑で、この部屋の主への配慮に満ちていた。


 けれど、当の本人は、部屋の隅で縮こまっている。


「イセル坊ちゃま、新しいお世話係を連れて来ました」

「初めまして、イセル坊ちゃま。本日よりイセル坊ちゃまのお世話を務めさせていただきます、マグノリアと申します。なんなりとお申し付けくださいませ」

「…………」


 四歳ほどに見えるイセル坊ちゃまは、垂れ目がちな大きな瞳とふわふわのほっぺたと桃色の唇を持つ、とてつもない美少年だった。

 チラッとこちらを見上げると、すぐに顔を伏せた。


 なるほど。こちらの声は聞こえている。聴力は問題ないようだ。


「では、あとは任せましたよ、マグノリア」

「かしこまりました、侍女長」


 侍女長は心配そうにイセル坊ちゃまを見つめていたが、この方はお忙しい役職だ。いつまでもここにいるわけにはいかない。

 彼女はすぐに気持ちを切り替えて退室していった。


「イセル坊ちゃま、そろそろお茶の時間になりますので、準備いたしますね」

「…………」


 黙ったままのイセル坊ちゃまをそっとしつつ、お茶の準備を始める。


 私は子供部屋に来るまでに聞いた、イセル坊ちゃまの事情を思い返した。


 イセル坊ちゃまはテオドール公爵様の婚外子や分家からの養子などではなく、甥っ子なのだそうだ。

 テオドール公爵様にはゼオン様というお兄様がおられたのだけれど、『俺は公爵には向いていない。吟遊詩人になる』と言って先代公爵様を激怒させ、勘当状態で家を出ていったらしい。なかなか自由な性格の御方だったようだ。

 ゼオン様はそのまま消息不明で、先代公爵様の葬儀の時も、先代公爵夫人の葬儀の時にも顔を出さなかったそうだ。


 けれど一年ほど前に、ゼオン様から突然『俺の息子イセルをフィンドレイ公爵家で預かってくれ』という手紙が届いたらしい。息子を連れて行くから待ち合わせ場所に来てほしい、とも。

 テオドール公爵様はゼオン様に呆れつつも、自分のスペアが必要だった。現在、公爵家本家の血筋は自分一人だけなのだ。

 だから渋々、兄が指定した待ち合わせ場所に向かうことにした。


 待ち合わせ場所は普段は人気のない路地裏だったのだが、そこでテオドール公爵様を待っていたのは凄惨な光景だった。

 ゼオン様と白髪の若い女性が切り殺されており、その周囲には黒いローブを被った十数人の男たちの遺体がゴロゴロと転がっていた。

 テオドール公爵様の見立てによると、ゼオン様が黒いローブの男たち相手に善戦したが、結局相打ちとなってしまったようだ、とのこと。


 そして、濃い血の匂いが立ち込める裏路地の近くから発見されたのが、この男の子だった。

 男の子の髪色や瞳の色はゼオン様とは違っていたし、遺体の白髪の女性とも違ったけれど、顔つきが幼少期のゼオン様にそっくりだったので、テオドール公爵様は連れ帰ることにしたらしい。

 本人に事情を聞くことが出来れば、さらによかったのだけれど――……、彼は喋れなかったのだ。


 公爵家の医師によると、声帯や喉には異常はなかった。

 事件に巻き込まれたイセル坊ちゃまに怪我がなかったのは、本当に不幸中の幸いだった。

 きっと凄惨な争いを目撃してしまった精神的ショックから声を失ってしまったのだろう、とのこと。

 心因性失声症と呼ばれるものである。私も以前書物で読んだ。


 話せないイセル坊ちゃまのお世話はとても大変で、辞めていく使用人が多かったらしい。

 その結果、フィンドレイ公爵家はメイソンさんに『子守り用魔導人形』を依頼することになったのだ。


 けれど、心因性失声症は自然に治ることもあると言われている病だ。私がサポートしなければ。


「イセル坊ちゃま、お茶の準備が出来ました」

「…………」


 フィンドレイ公爵家に来たばかりの頃のイセル坊ちゃまはずっと泣いていたそうだが、三ヵ月も経てばそれも落ち着き、今はこうしてぼんやりしていることが多いらしい。

 私は十三歳で両親が事故死してしまったけれど、イセル坊ちゃまはこんなに小さいのに、両親が殺される現場にいたなんて……。

 不幸を比べても仕方がないことだけれど、とても可哀想な子だわ。


「……失礼いたします」


 床に座り込んだままのイセル坊ちゃまを持ち上げると、イセル坊ちゃまはびっくりしたように顔を上げた。

 ハクハクと口を動かす。その動きから推察すると、たぶんイセル坊ちゃまは『きゃあっ』と悲鳴を上げたのだと思う。


「驚かせて申し訳ありません。お茶の準備が出来たので、テーブルに移動しましょう」

「…………」


 読唇術の本は数冊しか読んだことがないけれど、イセル坊ちゃまの口は『おねぇさん、だぁれ?』と動いていた。


 先ほど侍女長と一緒に挨拶をした時、イセル坊ちゃまは確かに顔を上げたけれど、視界に映ったものをただ見ただけで、きちんと認識はしていなかったみたいね。


 私は改めて自己紹介する。


「私はマグノリアです。イセル坊ちゃまのお世話を担当することになりました」


 イセル坊ちゃまは口を『まぐ、まぐぅ……?』と動かし、困ったように眉を八の字にする。

 か、可愛い……!

 私の名前が難しくて困っているイセル坊ちゃま、天使みたいだわ……!


「マグで構いません」

『マグぅちゃん』

「はい。マグぅちゃんです」


 私が頷くと、イセル坊ちゃまはハッとしたような表情で自分と私のことを交互に指差した。


『マグぅちゃん、ぼくのこえ、きこえりゅの?』

「声は聞こえませんが、イセル坊ちゃまの口の動きを見れば、お話されたいことが分かりますよ」

『ほんと? マグぅちゃん、しゅごいのねぇ』

「お褒めいただき恐縮です」

『みんな、ぼくのおはなちがわかりゃないの。ぼくもね、ぼくのこえがきこえないの。でも、マグぅちゃんはわかりゅのね』

「はい。分かります」


 そうか。今までの使用人たちは読唇術が出来なかったのね。

 イセル坊ちゃまのほうも、伝えたいことが使用人に伝わらなくて、どんどん悲しくなってしまい、ますます自分の殻に閉じこもるようになったのかもしれない。


 とはいえ、私も家にあった書物を数冊読んだだけなので、今度復習しておこう。

 公爵家の図書室の本を使用人が読むわけにいかないので、貸し本屋さんかな。……あ、でもお金がないんだった。

 ……フィンドレイ公爵領の規模なら図書館もあるかもしれない。


「さぁ、イセル坊ちゃま、お茶をどうぞ」


 私はイセル坊ちゃまをテーブルまで運び、椅子に座らせる。

 イセル坊ちゃまはテーブルに用意されたお皿を覗き込んで、目を大きく見開いた。


『うしゃちゃん!』


 私が子供の頃、母が私を喜ばせようとしてパンケーキにジャムでチューリップの絵を描いてくれたことがある。

 そのことを思い出して、イセル坊ちゃまのパンケーキに添えられていたカットフルーツとクリームを使い、うさぎの形にしてみたのだ。

 芸術的に盛り付けてくださった公爵家のシェフには申し訳ないけれど、子供にはこちらのほうが嬉しいと思うのだ。


 思った通りイセル坊ちゃまはうさぎのパンケーキに集中し、ほかのことは忘れたようにフォークを動かしている。お茶の代わりに用意したミルクもごくごくと飲んでくれた。

 よかった。まだ周囲に興味を示すことが出来るなら、回復の芽はちゃんとあるもの。


 お茶の時間が終わると、イセル坊ちゃまは椅子に座ったままウトウトし始めた。

 どうやらこのままお昼寝の時間のようだ。


 私はイセル坊ちゃまを部屋の奥にある寝室に寝かせる。

 イセル坊ちゃまは寝入る直前に、小さく口を動かした。


『パパ、ママ……』


 私はイセル坊ちゃまの眦に浮かんだ涙をハンカチでそっと拭い、彼が眠ったことを確認する。


「……オウカ神聖王国について、フィンドレイ公爵家の方々はすでにご存じなのかしら」


 枕の上に広がるイセル坊ちゃまの見事な黒髪を見つめながら、私はぼんやりと呟いた。

 イセル坊ちゃまの瞳も、黒曜石のような美しい黒だった。

 これは非常に珍しい色だ。


 あまり知られていないことだけれど、黒い髪や瞳の色は、オウカ神聖王国で代々大切にされている聖人・聖女の色なのだ。


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