73:聖王の奥の手
忍者が隠れ身の術で使う布は魔物から取れる特殊な糸で出来ていて、表側はその場の景色に同化するけれど、裏側は透けていて、周囲を偵察することが出来る優れものだ。
私は布越しに、入室してきた男性に視線を向ける。
……この人が、聖王ランドルフなのね。
繊細で儚げな美貌のせいで、年齢がわかりにくい。二十代前半に見えるが、確か三十代だったはず。
背丈はテオドール様よりも低く、体格もほっそりとしている。
身に着けている衣装や装飾品はけして派手ではないが、そのどれもが最上級品だった。全身の総額だと、元ラインワース子爵領の収入の何年分になるかしら……。
プラチナブロンドの髪は腰までの長さがあり、それを低い位置でゆるく結んでいた。伏せがちの長い睫毛もけぶるように美しく、聖王が一度微笑めば、それだけで周囲の人々に『聖王は心清らかな人だ』と信じ込ませることが出来る迫力があった。
この人が誰かを悪女だと名指しすれば、多くの人が信じてしまうでしょうね……。
でも、私はこの人がどれだけ酷いことをイセル坊ちゃまたちにしたのかを知っている。
騙されたりしないわ。
「おや。食事中でしたか。……よかったですねぇ。まともな食事が出てくるなんて。あなたのような無能な働きしか出来ない聖女には、残飯でももったいないくらいだ」
「い、いやですわ、ランドルフ様……! こんなに質素な食事しか出なくても我慢しているのに、残飯なんて……!」
そういえば、聖女ヴェネッサは食事を抜かれるのが嫌で結界に聖力を注いでいると聞いたわね。
ヴェネッサは聖王に食事を取り上げられないよう、体でテーブルを隠した。
「結界一つまともに維持させられないくせに、あなたは本当に身の程知らずですね。これならサブリナのほうが聖力が多く従順で、よほどマシでしたね。おまけにあなたは口を開けば嘘ばかりですし」
「……ランドルフ様だって大噓吐きじゃない! お姉様のことを悪女だって言っていたけれど、実際は自分のしでかしたことをお姉様のせいにしてただけ! 私がこのことをバラしたら、破滅するのはあなたよ! 聖人君子の聖王様!」
ヴェネッサはカッとなって言い返した。
すると聖王は突然、儚げな顔立ちには似合わない、悪辣とした笑みを浮かべた。
「そうなのですよ。このままでは私は聖王の座から下ろされてしまう。明日、フィンドレイ公爵からイセルに関することを正式に責め立てられれば、逃げ場がありません。私の栄華が終わってしまう。下等な国民たちから罵詈雑言を吐かれ、嘲笑われるなんてこと……私には耐えられない! 私はいつまでも『美しく清らかな王だ』と崇められる存在でいなければ!」
わ、わぁ……! 選民思考の強い人だわ……! 怖いぃぃぃ……!
私は息を殺して隠れながらも、恐怖にプルプル震えていた。
「どうすればフィンドレイ公爵の追及から逃れられるのか、私は考え、そして名案を思いつきました。そう、実に簡単なことです。私は無理やり従わされた被害者で、本当の加害者は……ヴェネッサ。あなただということにすればいい」
「はぁぁぁ!!? お姉様の息子を拉致しようとしたのはランドルフ様じゃない!! 私には関係ないわ!! フィンドレイ公爵とやらに、私はちゃんと証言するわよ!! ランドルフ様が犯人だって!!」
「あなたは自分が犯人だと証言しますよ。『自分の代役にイセルがほしかった。結界維持を盾に、聖王陛下を従わせた。聖王陛下は憐れな被害者にすぎない』とね」
「だから! そんなこと、私は言わないってば!」
「言うのですよ。……私の奥の手によってね」
聖王がそう言って、衣装の合わせから取り出したのは――……九曜サクラの紋が入った香袋だった。
ルビウスが使っていた媚薬というか、惚れ薬と同じものだ。
同じ空間にいる私にも効果があるので、慌てて自分に浄化をかける。
持っていてよかったわ、テオうさちゃん。
ヴェネッサのほうは香袋の匂いを思い切り吸い込んでしまったのか、すでに目がとろんとしていた。
「明日、私の言うとおりに証言が出来ますね?」
「……はい。ランドルフ様。私がイセルの拉致を企てた本当の犯人です」
「サブリナとゼオン・フィンドレイの殺害を計画したのも、あなたのせいにしておきましょう」
「はい。すべて私が指示しました」
「よろしい。では、明日は悪女らしく、下品なほど着飾っておきなさい」
「承知いたしましたわ、ランドルフ様」
洗脳されたヴェネッサの様子に、聖王は満足気な表情を浮かべた。
そしてそのまま、聖王は聖女の部屋を退室していく。
廊下の足音が聞こえなくなってから、私は姿を現した。
「……どうしましょうか、この方。悪い人とはいえ、さすがにこの状態は放っておけないですよね……」
ぽわ~んとした表情で中空を見上げているヴェネッサは、自分の聖力では惚れ薬の効果を浄化することが出来ないようだ。聖力が少ないというのは本当のことらしい。
私は仕方なく、二回目のテオうさちゃんを使った。
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『乙女ゲーム開始前に死ぬ予定の薄幸モブなのに、悪役王子に拾われて逃げられません!』
集英社Dノベルf
【あらすじ】
教会付属の孤児院で暮らすティアレーゼは15歳のある日、高熱で前世を思い出した。
前世では病弱で学校にも通えず、成人前に亡くなってしまった。
現世こそ健康に長生きをして人生を謳歌する、と決意するティアレーゼの前に、光の大精霊ルミニスが現れる。
なんとティアレーゼは光の加護者で、乙女ゲーム開始前に死んでしまう『ヒロインの先代加護者』だったのだ。
このままではゲーム通りに、強欲司祭から悪徳男爵に売られて、闇堕ちして死ぬことに気がつき、未来を変えるためにルミニスと奮闘することにした。
その最中に、ティアレーゼは瀕死の青年を助ける。
彼の正体はなんと、ゲームの悪役王子・エドヴァルドで……。
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