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70:月夜の庭



 旅の支度が整い、いよいよ明日、オウカ神聖王国に向かって出立する。

 いくつかの国を越え、時には野宿もし、突然襲ってくる魔物や盗賊などを退治しながら進むことになるのでしょう。

 きっと次の街で宿を取るまでは入浴もままならないので、私は今日のうちに使用人用のお風呂でしっかりとお湯に浸かった。


 全身ホカホカになったので部屋に戻ろうとすると、廊下の窓からテオドール様の姿を見かける。どうやらお一人で庭に出ていらっしゃるようだ。

 夜勤の護衛たちが公爵家の敷地内を巡回しているので安全なはずだけれど、今はこの周辺にはいない様子。

 なら、ここは私が護衛として、テオドール様の気が済むまでお付き合いしましょう。


「テオドール様、お庭の散歩でしょうか? 私が護衛としてご一緒いたします」

「マグノリアか」


 庭に出てテオドール様に近付くと、彼は少し申し訳ない顔をした。


「なんだか寝付けなくてな。オリバーでも控えさせておくべきだったな」

「ではオリバー様を呼んできましょうか?」

「いや、必要ない。きみが護衛をしてくれるのだろう? 少し私の話に付き合ってくれ」

「はい」


 テオドール様は月を見上げて話し始めた。


「以前きみに、私の両親について話したことがあっただろう? 公爵領を統治することにも向かず、人の親になる資格もないような人間だったと」

「……はい」

「私の心は、兄上や使用人たちに育ててもらったと思っている。けれど、この肉体を生みだしたのは確かに両親で、私にも同じ非道な血が流れている……」


 重い話に、なんと相打ちを打てばいいのかわからない。

 テオドール様が明かしてくださる心の傷を、私は唇を噛み締めて聞いた。


「もしかすると私は、自分一人で生きている時はそれなりにまともでも、自分の子供が生まれたら、両親と同じようになるかもしれない。我が子を愛せず、自分が過去に両親から受けた仕打ちに対する復讐のように、我が子につらく当たるかもしれないと……考えていた。だから私はずっと縁談を避けていた。不幸な家庭など築きたくはないからな」


 虐待の被害者が加害者になるという体験談を、私は昔読んだことがある。

 たぶんテオドール様もそういった書物を読んだことがあるのでしょう。そして自分と照らし合わせ、誰のことも不幸にさせないために、女性と距離を取ってきたのだと思う。


 そんな努力をするテオドール様が、まるで誰も傷付けないように自ら檻の中に入る猛獣のようで、その憐れさに胸がギュッと痛んだ。


「マグノリア、そう暗い顔をするな。以前の話だ」

「……今は違うのですか?」

「今は違う。というか、この間、王城でカッターモールと話した時に過去となった」

「牢屋での尋問の時でしょうか?」

「ああ」


 テオドール様は穏やかな微笑みを浮かべて、私を見つめた。


「カッターモールに尋問していた時、私は頭に血がのぼっていた。理性を無くして怒鳴っていたが、……私はイセルを守るために本気になっていたんだ。そのことに後から気付いて、私はホッとしたよ。もちろんイセルは兄上の子供だから、大切に育てる覚悟を持っていたが。私でも『我が子』を愛せるのだと、ようやくわかった」


 その言葉を聞けて、私もホッとした。

 テオドール様が両親から受けた仕打ちをまた一つ克服されたのだ。


「イセル坊ちゃまのために矢面に立たれたテオドール様は、とてもご立派でした」

「そうか? ……本当は過去の自分が両親からしてほしかったことを、イセルにしてやることで、自分を慰めているだけなのかもしれないがな」

「それでも十分ご立派です」


 いつかテオドール様に実子が生まれても、きちんと慈しめるのでしょう。

 テオドール様が幸せな家庭を築くことを思い浮かべると、私はとても嬉しくなった。


 ……でも、テオドール様の隣に立つご夫人のことを想像すると、胸の奥が妙に重くなる。

 何かしら、これ……。夕食に出た手羽先の煮込み料理が骨ごと柔らかかったから、思わずそのまま食べちゃったけれど、やっぱり骨は食べちゃダメだったかも……。


「そうか。マグノリアにそう言ってもらえるのは、嬉しいものだ。ありがとう」


 テオドール様は照れたように笑ったあと、真剣な表情に変わった。


「明日からはいよいよオウカ神聖王国に向かう。マグノリアには責任の重い役目を果たしてもらわなければならないが、イセルのためによろしく頼む」

「もちろんでございます、テオドール様」


 私が深くお辞儀をすると、彼も安心したようにまた微笑んだ。


「……なんだかもう少し、きみといたいな。その辺を歩かないか?」


 テオドール様はそうおっしゃって、私に手を差し出した。まるでエスコートするみたいに。

 これではどちらが護衛かわからないわ。


 すぐにエスコートを断ればよかったのに、私は一瞬迷ってしまった。

 護衛にあるまじきことに、私はテオドール様の手を取りたくなってしまったのだ。

 王城で何度もエスコートしていただいた弊害かしら……?


「……困ったな」


 テオドール様が私の反応を見て、小さく溜息を吐く。


 なっ、何を困らせてしまったのかしら!?

 たぶん今の私は無表情でフリーズしているだけに見えると思うのだけれど、もしかして不自然過ぎて、魔導人形らしく見えないとか……っ!?


「きみは今、その優秀な人工頭脳で『護衛対象からエスコートしてもらうわけにはいかない。けれど雇い主の命令に従わないわけにはいかない』と考えて、膨大な知識の中から最適解を導き出そうとしているんだろう」


 ……いいえ。そういうわけではないです……。


「けれど私には、そんなきみが『悩んでいる普通の女性』に見える。きみはただの魔導人形なのにな」

「え、あ……、私、は……」


 これって、人間だとバレて、様子を探られているのかしら……!?

 せっかく入浴したのに、冷汗をダラダラとかいてしまう。


「それに、先ほどまでは気付かなかったが、なんだかマグノリアからいい香りがするな? まるで石鹸や洗髪剤の香料のようだ。きみは全身生活防水だが、さすがに入浴するはずがないだろうし……」

「さっ、先ほどまで自己メンテナンスをしておりまして……っ! 特別製の機械オイルを使ったので、その香料かと……!」

「あぁ、なるほど。魔道具師メイソン氏のお手製の品か」

「ハッ、ハイ!!!」


 私はこの人に、どこまで嘘を重ねてしまうのかしら……。


 ……いえ。黒竜討伐まで終われば、イセル坊ちゃまの身の安全は確定する。

 嘘を吐き続ける日々も、もう終わりに近づいているんだわ。


 別れを意識すると、先ほどよりももっと胸の奥が苦しくて、テオドール様の顔が見られない。

 テオドール様も、エスコートのために差し出してくださっていた手を、いつの間にか下ろしていた。


「やはり、今夜はもう部屋に戻る。散歩は無しだ」

「……で、では、お部屋までお送りいたします」

「いや、いい。マグノリアは部屋に戻りなさい」

「ですが……」

「……魔導人形のきみをほしがったくせに、きみがただの女性であったならと、今更どうしようもないことを考えてしまう愚かな男の見送りなど、我が家の家宝にさせるわけにはいかないからな」


 ど、どういう意味かしら……?


 困惑する私に背を向けて、テオドール様は本当に一人で、屋敷のほうへと帰っていった。


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