56:音楽会②
オリバー様とロイド様とは入場口の前で別れ、私とテオドール様は音楽堂の中に入る。
すると、広い室内から音が消えた。
入場は爵位が下の順からのため、公爵位を持つテオドール様が貴族階級では最後だった。
なので私たちが入場するまでは、中から貴族たちの賑やかな声が聞こえていた。「お久しぶりです、伯爵様」「ご夫人もお元気そうで」「オウカ神聖王国の使節団にご挨拶がしたいですわ」「本日の音楽会ではいったいどのような曲が演奏されるのでしょうね」などと、賑やかに親交を深めていたのに。
本当に瞬時に場が凍りつき、私たちのほうへ視線が一斉に向く。
「……あのフィンドレイ公爵様にパートナーがいらっしゃるぞ」
「いつもお一人で参加される公爵様が……?」
「イヤァァァァ!! フィンドレイ様に恋人が現れたの!?」
「う、嘘でしょう、お父様!? フィンドレイ公爵様と結婚させてやるって、わたしに言ったじゃない!? 誰なの、あの女は!?」
「落ち着きなさい、周囲に聞かれてしまうぞ……っ」
騒めきがどんどん大きくなり、ご令嬢たちはもはや阿鼻叫喚といった状況になってしまう。
想像以上にテオドール様はご令嬢たちの憧れの君だったらしい。
「行くぞ、マグノリア。私たちの席は前のほうだ」
「は、はい……っ」
テオドール様は周囲の反応など一顧だにせず、堂々とした足取りで通路を進む。
私は相変わらず表情筋は動かないけれど、周囲から聞こえる声にどんどん蒼褪めていた。
指定の席に座れば、ますます会場中から強い視線を感じて、体が縮こまってしまう。
隣の席に座るテオドール様が、ふいに私の顔を覗き込んだ。
「魔導人形も状況によって、緊張した表情をするのだな」
「え? テオドール様は、私の無表情がそこまで読み取れるようになったのですか!?」
「そうだな」
以前もテオドール様は、私のカチコチの無表情からなんとなく感情を読み取っていた。
私の感情を読み取れる人は、血の繋がった両親くらいしかいないと思っていたのに。
びっくりして、私は目が丸くなる。
「今は驚きを表している表情だ。マグノリアの製作者は本当に芸が細かいな」
「ど、どうしてそんなに、テオドール様は私の感情がわかるんですか……?」
「……んー。どうしてと言われてもな。私も感情表現が苦手だから、なんとなく察してしまうんだろう」
「そうなのですか……」
テオドール様は私よりずっと感情表現が得意だと思うけれど。
でも、イセル坊ちゃまやオリバー様に比べれば、表情に変化がないかもしれない。
「では、私とテオドール様はちょっぴり似ているのですね」
なんだか嬉しくてテオドール様を見上げると、なぜか彼は難しい表情をしていた。
「魔導人形と似ているのか、私は……」
ハッ!!! 私と似ているって、つまり人間じゃないって言っているのと同意だわ!!?
私のばかばかばか!!! 叔父様みたいな酷い言葉をテオドール様に言うなんて……!!!
「申し訳ございません、テオドール様!! 私と似ているだなんて大変失礼なことを……!!」
「いや。気を悪くしたわけじゃない。マグノリアに似ているのは嬉しいと思う。ただ……」
テオドール様は自嘲気味に笑った。
「いっそ私も人形だったら楽だろう、と思っただけだ。あるいは、きみが人間だったなら……」
「テオドール様……?」
どこか悲しげな色を浮かべるテオドール様の瞳を見つめていると、入場口からクリストファー国王陛下とデボラ王妃殿下の姿が現れた。アリーヤ王女殿下はおらず、ご夫婦だけだ。アリーヤ王女殿下まだお小さいので、公的な行事にはあまり参加していないのだ。
お二人の後ろからは、オウカ神聖王国の使節団と思われる方々が十名ほど続く。
この人たちが、イセル坊ちゃまを狙う聖王ランドルフの手先なのね……。
私は緊張感からますます硬い表情になった。
「皆に紹介しよう。こちらがオウカ神聖王国使節団の方々だ。我がネルテラント王国と友好関係を築くために遥々やって来てくださった。皆には敬意を持って歓迎してほしい」
クリストファー陛下がそう言って使節団の方々を手で指し示すと、今度は使節団側が「国王陛下よりご紹介にあずかりました、私はオウカ神聖王国で外交を務めております……」と、挨拶を始めた。
外交を務めている伯爵に続いて、文官や騎士などが次々に挨拶をする。
「ルビウス・カッターモールです。ネルテラント王国の文化を学ぶために使節団に参加いたしました。ぜひ、皆様からいろいろなお話を聞かせていただきたいですね。よろしくお願いいたします」
最後に自己紹介をした赤髪の美青年に、私は息を飲む。
まさか、オウカ神聖王国使節団のメンバーだったなんて……。
結婚詐欺師だと思っていたけれど、姓があるということは彼は貴族階級だ。一介の侍女からお金を巻き上げる必要なんかない。借金やギャンブルといった理由があれば別でしょうけれど……。
……もしかすると、あの場限りの冗談だったのかもしれないわ。揶揄われたのよ。
だって、周囲のご令嬢やご夫人たちがうっとりした表情でルビウスを見つめているもの。先ほどまではテオドール様にパートナーが現れたと大騒ぎをしていたのに、すっかりご機嫌な様子だ。
これほどモテる男性が、無表情な魔導人形を相手にする理由がないわ。
私はそう納得していたけれど、隣のテオドール様が「あの男、使節団の者だったのか……」と呟き、再び黒いオーラが現れた。
入場口付近での挨拶が終わると、国王夫妻は使節団の人々を引き連れて私たちのほうへやって来た。
フィンドレイ公爵家の席の手前が、王家と使節団の席なのだ。
「まぁ、マグノリア! とっても素敵だわ! このドレスを生み出したわたくしって、本当に天才!」
今日は一段と華やかで優雅な装いのデボラ王妃殿下が、ゆったりとした足取りで私に近付き、褒めてくださった。
試着した姿はお見せしたけれど、髪のセットやお化粧までしっかりと合わせた姿を見せるのは初めてなので、デボラ王妃殿下に合格点をいただけてとても嬉しい。
「あれ? マグノリアだ! また会えて嬉しいよ! まさかきみに王城内で再会出来るなんて、俺たちってやっぱり運命で結ばれているんじゃないか?」
デボラ王妃殿下の横から、ルビウスがひょっこりと現れた。
ルビウスは大袈裟に驚きながらも、赤い瞳を嬉しそうに細めて笑った。
「運命だなんだと勝手に盛り上がらないでくれないか? マグノリアは我がフィンドレイ公爵家の家宝だ。所有権は私にある」
「ハハハッ。あなたにもまたお会い出来て光栄です、マグノリアのご主人様。俺はこれでも、オウカ神聖王国の公爵家の三男坊でしてね。自由に出来る金銭はそれなりにあるのですが、この美しい魔導人形をいくらなら売っていただけますか?」
「ふざけるな。私は家宝を売り払うほど落ちぶれてはいない」
ルビウスに挨拶を返す間もなくテオドール様が私の前に立ち、バチバチと睨み合っている。
出来ればルビウスに探りを入れたかったけれど、今は難しそうだわ。
「ちょっと、マグノリア。どうしてすでに使節団の方と知り合っているの?」
「いえ、その……」
顔を近付けてヒソヒソ話しかけてくる王妃殿下に、王城へ到着する前の出来事をお話する。
そういえば、あれは使節団が到着する前の出来事だったから、ルビウスは先発隊として王都入りしていたのかもしれない。
「ふぅん……。先発隊がいたなんて話、使節団からは聞いていないわね。あとで調べてみるわ」
「よろしくお願いいたします、デボラ王妃殿下」
「でも、それはそれとして、フィンドレイ公爵の反応が面白過ぎるわね。何時間でも眺めていたい見世物だわ」
「そんなに面白いでしょうか……?」
デボラ王妃殿下の言葉の意味がよくわからず、首を傾げていると。
急に後ろから肩を叩かれた。
誰かと思って振り向けば、ここ数日お話していた指揮者のマールさんが立っていた。何やら非常に焦った様子だ。
マールさんは開幕直前でお忙しいはずなのに、どうして観客席にいらっしゃったのかしら?
「マールさん、ごきげんよう。一体どうされたのですか?」
「マグノリアさん、ちょっと耳を貸してほしい」
不思議に思いつつも、人気のない壁際に移動してマールさんの話を聞くと、彼は周囲に聞こえないように小声で頼み込んできた。
「どうか助けてくれ、マグノリアさん……! ピアニストが音楽会に出演出来なくなって、オウカ神聖王国の曲を弾ける者がいないんだ……!」
「ええ……っ!?」
突然の事態に、私は困惑の声を洩らした。




