54:悩める音楽家
た、大変だったわ……。
私もおしゃれをするのはわくわくするけれど、あまりにも試着する枚数が多過ぎて、最後のほうは息切れしてしまった。
どんな魔物討伐でも、こんなふうに疲れたことはないのに……。
でも、頑張って試着したおかげで、デボラ王妃殿下が「こんなにわたくしの試着に付き合ってくれる人って初めてだわ! マグノリアは本当に体力があるのね」と満足そうだったから、良しとしましょう。
何より、いろんな衣装にお着替えした天使なイセル坊ちゃまもたくさん見ることが出来て眼福だった。
アリーヤ王女殿下やデボラ王妃殿下も衣装を合わせてくださって、全員で揃うと天国のような光景だったわ。
デボラ王妃殿下が「次に衣装合わせをやる時は、絶対にお抱えの画家を呼ぶわ! この光景を描いてもらって、わたくしのブランドの広告にするのよ!」と言っていたくらい、素敵だった。
それに試着に長時間付き合ったおかげで、王城侍女の方々と少し話せるようになったのも嬉しい。
彼女たちはデボラ王妃殿下から指示を受けているので、私の分の食事を用意してくださるし、入浴や睡眠も配慮してもらえるのでとても助かっている。
お忙しいオリバー様に王城内でも暗躍していただかずに済んで、本当にホッとしている。
▽
「マグぅちゃん。ぼく、おにわにいきたいの」
「承知いたしました。アリーヤ王女殿下が午前のお勉強が終わったら、イセル坊ちゃまのもとへ遊びにいらっしゃる予定です。それまでの間なら問題ありません」
「やったー! ピヨンちゃん、おにわまできょうそーなのよ!」
〈イヒヒ。翅のないイセルがあたしに勝てるかしら?〉
翌日から、私は王城侍女や騎士の方々と何度か打ち合わせをして、イセル坊ちゃまにとって快適な環境を整えた。おかげでのびのびと過ごしてくれている。
今も、イセル坊ちゃまは笑顔でトテトテと走って楽しそうだ。
ピヨン様は坊ちゃまの速度に合わせて飛び、私や護衛たちも早歩きでついていく。
庭園に到着すると、イセル坊ちゃまは大きな黒い瞳をキラキラと輝かせて、ピヨン様に尊敬の眼差しを向ける。
「またピヨンちゃんにまけちゃったぁ。ピヨンちゃんはとってもすごいの」
〈イセルは足が二本しかないわりに頑張ってるわよ。それより今日は何をして過ごすの? アレはダメってマグノリアから言われているし〉
ピヨン様がアレとぼかして言ったのは、聖力の修業のことだ。
お二人に、王城で暮している間は人目のあるところで聖力の修行はしないでほしいとお願いしている。王城の人々の噂になって、オウカ神聖王国の使者の耳にまで届いてしまったら困るからだ。
次代の聖人候補というだけで狙われているのに、妖精の指導を受けているだなんて知られたら、相手側はますますイセル坊ちゃまに執着してしまうでしょう。
まだ使節団が到着するまでに数日かかる見通しだけれども。
「う~ん。ブランコはアリーヤさまもいっしょがいいし……、じゃあ、たんけんする?」
〈そうね。王城の庭園はすっごく広そうだから、探検し甲斐があるわね〉
すると、どこからかヴァイオリンの音色が聞こえてきた。
「わぁ! だれかがおうたをしているの! ピヨンちゃん、マグぅちゃん、ききにいこう!」
〈探検はどうするの?〉
「おうたをさがすたんけんなの!」
〈ならいいわよ〉
「承知いたしました」
吟遊詩人だったというゼオン様の影響でしょうか。イセル坊ちゃまは音楽全般がお好きだ。
ヴァイオリンの音の発生源を探して庭園を進んでいくと、美しいステンドグラスが特徴的な音楽堂が現れた。
窓から中を覗き込こむと、王家に仕える演奏者たちが練習していた。皆様、真剣な顔つきだわ。
「きっと、オウカ神聖王国の歓迎の催しに向けて練習しているのでしょう」
「とってもすてきなの」
〈なかなかいいじゃない〉
私も音楽会に出席することを考えると、途端に緊張で体が震えそうになるけれど。
今は考えるのはやめましょう。
「何が素敵なものか!! このままでは最低の音楽会になってしまう!!」
突然、男性の怒鳴り声が聞こえてきた。
ひぇ……っ! 怒鳴り声は本当に苦手だわ……!
それでもイセル坊ちゃまの護衛として、声の主を確認しなければならない。
私は恐る恐る、怒鳴り声が聞こえたほうに向かう。
壁の角から覗き込むと、そこには関係者用出入り口と思われる扉があり、付近に積まれた木箱の一つに腰かけている男性がいた。体型は痩せぎすで、髪は鳥の巣のようにモジャモジャしており、テーブル代わりに使用している木箱の上には大量の楽譜が散乱している。
イセル坊ちゃまの背後で控えている王城侍女や騎士たちが彼をまったく警戒していないので、どうやら王家に仕える音楽家の一人のようだ。
「おじさん、どうしたの? どうしておんがくかい、すてきじゃないの?」
イセル坊ちゃまが音楽家に近付こうとするので、私が前に出てガードする。
先ほどまで怒鳴っていた音楽家は、幼いイセル坊ちゃまを見て毒気が抜けたのか、警戒態勢を取る私を見て正気に戻ったのか、「……いや。怒鳴ってすまん」と呟いた。
彼はマールと名乗った。
「悩んでいるところにお前たちの暢気な声が聞こえてきて、ついカッとなってしまった。八つ当たりだったな。申し訳ない」
「ぜんぜんいいのよ」
イセル坊ちゃまがマールさんの隣の木箱に腰かけようとするので、手伝う。
「それで、マールおじさんはどうしておんがくかいがすてきじゃないの?」
「……あー、きみに話してもわからないかもしれないが、実は、今回の音楽会に相応しい曲が足りないんだ」
マールさんはオウカ神聖王国使節団を歓迎する音楽会で、指揮者を担当するらしい。
音楽会では、まずネルテラント王国伝統の曲を披露する予定だそうだ。そちらのほうは常日頃ほかの演奏者たちも研鑽を積んでいるので、大きな問題はない。
「問題は後半なんだ。他国を歓迎する音楽会なんだから、相手の国の曲も披露したい。だが、オウカ神聖王国に関する情報が本当に少なくてな。あちらでどんな曲が愛されているのかわからない。これでは不完全な音楽会になってしまうから、困っているんだよ」
「マールおじさん、だいじょうぶよ! ぼく、わかるのよ! ママのふるさとのおうた! パパもよくうたってくれたの!」
「ん? どういうことだ?」
私は慌てて、イセル坊ちゃまの情報をぼかして伝える。
「……坊ちゃまのお母様はオウカ神聖王国の周辺地域の出身なのです。その地方の民謡を聞き慣れていらっしゃいます」
「あぁ、なるほど。周辺地域なら、オウカ神聖王国の文化も流れてきて当然か!」
どうやら納得してくれたらしい。
マールさんは木箱から下りてイセル坊ちゃまの前に跪くと、頭を下げて頼み込む。
「なぁ、坊ちゃま。ママのふるさとの歌ってやつを教えてくれ! 報酬はいくらでも払うから!」
「じゃあ、ちょうちょのおうたをうたってあげるのよ」
イセル坊ちゃまは得意げな表情で、「ちょーちょは~ まるで~おんなのこのおリボン~」と歌ってみせた。
マールさんは今聞いたばかりの曲を、急いで譜面に起こしてみせる。
やはり王家お抱えなだけあって天才肌のようだ。
マールさんは書き終わった譜面を見つめ、「いい曲だ」と満足そうに笑う。
「しかし、ちと短いな。もう一、二曲くらいほしいな。お坊ちゃま、ほかに知っているオウカ神聖王国の歌はないかい?」
「……うーん。ママ、いろいろおうたをうたってくれたけれど、ぼく、じょーずにうたえないの……」
どうやらイセル坊ちゃまは曲のメロディは覚えているけれど、歌詞はハッキリと覚えていなくて、披露することが出来ないらしい。
「坊ちゃま、曲だけハミングしていただけますか? 私が歌詞を知っている曲があるかもしれません」
「わかったの!」
オウカ神聖王国の周辺国まで知られているような歌なら、私も記憶しているはずだ。
イセル坊ちゃまにお願いすると、彼はさっそく鼻歌を歌い始めた。
何曲か歌ってもらうと、いくつか知っているものがあったので、歌詞を紙に書きだしていく。
マールさんのほうは再び譜面を起こしていた。
「いやぁ、二人とも、本当に助かったよ! これで最高の音楽会になるよ! 本当にありがとう!」
「どういたしましてなの!」
「私は坊ちゃまのお手伝いをしただけですので」
イセル坊ちゃまが覚えていたのはどれも短い童謡なので、王家に仕えるほどの演奏者たちなら、音楽会までに完璧に仕上げてくれるでしょう。
「マールおじさん、おんがくかいがんばってね!」
「当分はここで練習しているから、よかったらまた遊びに来てくれ!」
マールさんに見送られて、その日のイセル坊ちゃまの冒険は無事に終了した。




