5:爵位返還
さっそく王家に宛てて、手紙を送った。
一応叔父様にも爵位返還について話そうとしたのだけれど、「バーネルが遊び仲間の伯爵家のご令息から別荘に誘われたらしい! ご家族でどうぞと言うのでな、私らも行ってくる! 湖ではボート遊びが出来て、音楽会も開かれるらしい! 楽しみだ!」と、こちらの話を聞かずに旅行へ出かけてしまった。
叔父様たちはよくラインワース子爵家の名前を使って貴族のフリをしているが、私より貴族生活をエンジョイしているわね。
居たら居たで爵位返還の妨害をしてきそうなので、放っておきましょう。
叔父様たちが旅行へ行っている間に、王家から代官が数人やって来た。返還手続きに関する書類を携えて。
「正直、よく続いたほうだと思いますよ、ラインワース子爵領は」
黒縁眼鏡を掛けた代官が、叔父様に売り払われて最低限の椅子とテーブルしかない応接室を見回し、しみじみと言った。ほかの代官たちも頷いている。
「ラインワース子爵領の銀鉱山が廃坑した時点で、王家はこの地が立ち行かなくなり、返還になると考えておりました。先代が早逝されたためマグノリア嬢の代になってしまいましたが」
そうか。それで返還についてこんなにサクサク話が進むのね。
いっそ祖父の代で王家から返還を促されていたほうがよかったのに。
けれど、一般的に貴族という生き物はプライドが高いから、爵位や領地をそう簡単に手放さない。最後までしがみつこうとするはずだ。
返還を促すより、立ち行かなくなってから自主的に返還させたほうが王家も楽なのでしょう。
「お若いご令嬢がよく四年間も領主の仕事をなさっていたものですよ。先代では赤字でしたが、マグノリア嬢の代では黒字になっておりますし」
「それは……冒険者業も兼任していたので、レア素材のおかげで……」
「そういえばマグノリア嬢は冒険者登録をされているのでしたね。爵位返還後はそちらの道に進まれるのですか? マグノリア嬢なら代官の仕事も出来ると思いますが。官吏登用試験を受けられる気はありませんか? 歓迎いたしますよ」
「あ……、えっと、その、まだ、何も……」
初対面の人とは特にコミュニケーションが難しくて、焦ってしまう。
代官たちはそんな私の様子を見て、暫し口を噤み、「……まぁ、代官の仕事は書類仕事だけではなく、こうやって他人と話すことも多い仕事ですから。向き不向きもありますが」と言った。
失望されたことだけは分かった。
「では、最後の書類にサインを書いてください。あとは城で受理をします。今後は私がこの地に派遣されて、管理していくことになります。屋敷の明け渡し日はいつにしましょうか?」
「えっと、そうですね……」
こうして返還手続きが終わり、ひと月後にはこの屋敷も領地も王家の預かりとなることになった。
▽
屋敷を明け渡す日になっても、叔父様たちは旅行から帰ってこなかった。
私は黒縁眼鏡の代官に、残された領民たちのことを何度もお願いする。
ちょうど私の旅立ちを見送りに来てくれた領民が何人かいたので、紹介もしておいた。
「こちらの農家のベンさんは糖尿病なので、甘い物を食べているところを見かけたら止めてください。アンお婆さんは指先が強張っていて細かい作業が難しいので、文字を書く時は代筆してあげてください。あと、ロンお爺さんは去年女帝蜂に刺されてしまって、二回目があると危険なので蜂に近寄らないよう気にかけてあげてほしいです。それから……」
「分かりました。分かりましたから。領民に関する注意事項は書面でもいただきましたから十分です」
代官はちょっと疲れた表情で、私の話を止めた。
紹介された領民たちも「マグノリアお嬢様は細かいんだから」と苦笑している。メイスンさんや受付のお姉さんも半笑いを浮かべていた。
他人と喋ることが苦手なくせに、いざという時は怒涛の勢いで喋ってしまう。コミュニケーションが下手な人間の特徴そのままで恥ずかしい。
猛省するけれど、もちろん顔には出ない。
「マグノリア嬢の荷物はそれだけですか? 少なくありませんか?」
代官は私のトランクを見ていた。貴族のご令嬢なら一泊二日の荷物だって入りそうにない、小さなサイズである。
もともとドレスはたいして持っていなかったけれど、すべて売り払って、平民用のワンピースを二着買った。一着は今着ていて、もう一着はトランクの中である。
他には冒険者用の服と愛用のガントレット、寝衣に下着、筆記用具と小さなナイフ、石鹸やブラシなどの衛生用品、ちょっとした食料と飲み水が入っている。
「だ、大丈夫、です。それほど長旅にはならないので……」
「失礼ですが、この後はどこへ行くつもりですか? 王都でしょうか? それとも魔物討伐で金銭を得ながら、定住先を探すということでしょうか?」
「いえ、フィンドレイ公爵領です。お仕事の紹介状をいただいたので……」
「なるほど。フィンドレイ公爵領なら主要街道が通っておりますから、馬車を乗り継げば、四、五日で着きますね」
代官は納得したように頷いた。どうやら荷物の少ない私の行く末を心配をしてくれたらしい。
……そんなに怖い人じゃないのかも。
領民たちのことも、きっと悪いようにはしないだろう。
「みんなのことをよろしくお願いします、代官様」
「心得ております。マグノリア嬢もお気を付けて」
「はい」
こうして私は代官や領民に見送られて、元ラインワース子爵領であり現王家直轄地から旅立った。
そういえば、代官に叔父一家のことを警告していなかった。領民に関してはあれほど説明したのに。
そのことに私が気付いたのは、隣の領地から出ているフィンドレイ公爵領行きの馬車に乗り込んだ後のことだった。




