44:イセルの修業
最近のフィンドレイ公爵家は活気に溢れている。
王家からの推薦でやって来た新しい使用人たちも仕事に慣れ始めて、上手く業務が回っている。おかげで、もともと公爵家に勤めていた使用人たちの仕事量も通常に戻り、長期休暇なども取りやすくなってきた。
私の仕事量も落ち着いた。繁忙期以外はフィンドレイ公爵様のお手伝いにいかなくてもよくなったのだ。
イセル坊ちゃまの子守り係の仕事に集中出来る……、のは良いことのはずなのに、少し寂しい気持ちになるのはどうしてなのかしら?
「マグぅちゃん、ぼく、おべんきょうがおわったのよ!」
イセル坊ちゃまが家庭教師から授業を受けている間、私は壁際で静かに控えていた。
授業が終わると、イセル坊ちゃまが嬉しそうに私の元へ駆けてくる。
「お勉強お疲れさまでした、イセル坊ちゃま。ベルナデッド女史、本日も授業をありがとうございました。授業での坊ちゃまのご様子はいかがでしたか?」
見ていたのでイセル坊ちゃまのご様子はわかっているけれど、フィンドレイ公爵様へ報告するためにベルナデッド女史からの評価を聞いておかなければならない。
ベルナデッド女史ももちろん心得ているので、さらりと答えてくれた。
「イセル様は以前より話し方がお上手になりましたよ。それに知的好奇心も旺盛です。今日はネルテラント王国の歴史をお話ししましたけれど、どんどん質問してどんどん覚えていきますわ。今後が非常に楽しみです」
ベルナデッド女史は穏やかな微笑みを浮かべて、イセル坊ちゃまを褒めてくださった。
横で話を聞いたイセル坊ちゃまは少し恥ずかしそうに「えへへ」と笑う。妖精のピヨン様は〈イセルの将来が楽しみなのは当然でしょ〉と誇らしげに胸を反らしていた。
「それでは、本日はこれで失礼いたします」
「ベルせんせい、さようなら! またあしたなの!」
「ベルナデッド女史、ありがとうございました」
「はい。さようなら、イセル様、マグノリアさん、ピヨン様」
退室するベルナデッド女史を見送る。
ベルナデッド女史はかつて王城で女官として働いていた。『鬼女官』と呼ばれるほど有名な方らしい。
……私も機会があったら、ベルナデッド女史に官吏試験や女官の心得などをぜひお聞きしてみたいわ。
そんなことを考えていると、イセル坊ちゃまが声をかけてきた。
「マグぅちゃん、おにわにいこう! ぼく、ピヨンちゃんとしゅぎょーすることにしたの!」
「イセル坊ちゃまの自由時間になったので、お庭に出るのは構いませんが……、修行ですか?」
「うんっ」
▽
イセル坊ちゃまの言う『修業』とはいったい何かしら?
私は子供の頃に受けた護身術の授業を思い返す。
危険人物から誰かを助けられるような格好良い人になれれば、きっとお友達が出来ると信じていたので、私は先生から与えられた課題にとても真剣に取り組んでいた。
その結果、身体強化が出来るようになって、先生から『もうこれ以上教えることはない』と言われるようになったっけ……。
この大陸の人々は誰でも魔力を持っているけれど、魔法を扱える魔法使いになれるのは少数だ。その代わり、ある程度訓練すれば魔力を身体強化に使えるし、魔導具を作れる者もたくさんいる。魔道具自体は誰でも扱える。
だから身体強化自体はそれほど珍しくないのだけれど、先生は妙に私を褒めてくれたのよね。
でも、ああいう激しい運動は、イセル坊ちゃまにはまだ早いと思うのだけれど……。
「ピヨン様、あまりイセル坊ちゃまのお体に負担をかけるような運動は控えていただきたいのですが……」
庭にある広い芝生スペースに向かう途中、私はこっそりピヨン様に話しかける。
数か月前に広場で起こったワイバーンの出現は、不幸な偶然ということになった。本当は『妖精の災い』が原因だけれど、肝心のピヨン様があまりに小さいために、領民や冒険者たちには蝶々やトンボくらいにしか見えなかったのだ。叔父様たちは魔物の一種と思っていたし。
というわけで、ピヨン様の存在は公にはされていない。
もしかしたら冒険者ギルドのギルドマスターあたりなら、突然現れた魔物と現場にいた光る昆虫で、真実を察してしまうかもしれないけれど……。
フィンドレイ公爵様は『私からの説明で、冒険者ギルドも納得してくれた』とおっしゃっていたので、大丈夫なのでしょう。
角度によって虹色に輝く透明な翅を羽ばたかせていたピヨン様は、私のお願いにおかしそうに答えた。
〈修行って、運動をすることじゃないわよ〉
「では、いったい何をするのですか?」
〈聖力の修行に決まっているじゃない〉
こちらの会話を聞いていたイセル坊ちゃまが、キリッとした表情で私を見上げた。
「あのね、マグぅちゃん。ぼく、ピヨンちゃんにおそわって、つよくなるの。マグぅちゃんをまもれるくらいに!」
「イセル坊ちゃま……」
「ピヨンちゃんがトカゲさんをよんじゃったとき、ぼく、なにもできなかったの。とってもかなしかった……。だからね、こんどはね、ぼくがちゃんとマグぅちゃんをまもるのよ!」
「そんなことを考えてくださったのですね……。ありがとうございます、イセル坊ちゃま。私はとても幸せです……っ!」
こんなにお小さいイセル坊ちゃまが、私を守ろうとしてくれるだなんて。
そのために修行をしようとしてくださるなんて。
もう、その気持ちだけで嬉しくて、今なら私、ワイバーンを何頭でも討伐出来るような気がするわ……!
「ですが、ピヨン様。その聖力の修行は、坊ちゃまに危険はないのでしょうか?」
〈大丈夫よ。危険なことなんてないわ。もしあったとしても、イセルに関しては妖精の私が付いているし〉
「付いているというか、ツイているんですね」
危険があれば幸運度でカバーする感じなのね。
そういうわけで、イセル坊ちゃまの聖力の修行が始まった。
ピヨン様の指示に従うイセル坊ちゃまは、ただ目を瞑って直立しているだけのように傍からは見える。けれど実は、体内を巡る聖力を感じて、コントロール出来るように練習している最中らしい。
「確かに危険はなさそうです」
〈だから言ったでしょう。イセルが自分の聖力をもっとコントロール出来るようになったら、色んなことが出来るようになるわよ。今はあたしにくれる光の玉を作るくらいだから〉
「ほかにどんなことが出来るようになるのですか? 結界ですか?」
聖女サクラが張ったと言われる魔の山の結界を想像しながら尋ねると、〈そんなのは初歩よ〉と返ってきた。
〈傷や病を癒やしたり、呪いや悪しきものを浄化したり。究極的には『自分が悪と判断した対象』を消滅させることも出来ちゃうんだから〉
「そんなことまで出来るのですか!? 聖女や聖人は本当にすごい力をお持ちなのですね。オウカ神聖王国に関する書物には結界の維持についてしか書かれていなかったので、存じ上げませんでした……」
〈それはそうでしょうね。オウカ神聖王国の人間たちは絶対に知らないもの〉
わぁ~、イセル坊ちゃまは本当にすごい血筋なのね、と感心していると。ピヨン様があっけらかんと答えた。
〈初代聖女サクラの聖力は、異世界から来た力ゆえにこの世界に馴染まず、反発することしか出来なかった。その反発力を最大限に使ったのが『結界』とも言えるわね〉
「結界が黒竜の力に反発したのですね」
〈けれど彼女はこの世界の者たちと交わり、子をなした。その子もまた、次の子孫を生み、聖女サクラの聖力はどんどんこの世界に馴染んだ力に変化していったの。もう反発するだけじゃなく、いろんなことが出来るわよ。その事実を人間たちだけが知らないの。本当におかしいったらないわよね。イヒヒヒヒっ〉
「なるほど。そうなのですね……」
妖精は自然界に属した存在だから、人間とは違うものが見えているのでしょう。
聖力の変化についても、人間以上に理解しているのだ。
初代聖女サクラは、最強の結界師だったということね。
では、この世界に馴染んだ聖力を持つイセル坊ちゃまは、どんな力の使い方をするのかしら……。
「……あれ?」
それってつまり、初代聖女サクラほどの強力な結界を張ることが出来る聖人や聖女はもう絶対に現れない、ということなのかしら……?
ふと恐ろしい考えが頭を過ったけれど、オウカ神聖王国の聖女や聖人が代々行っているのは『結界を張ること』ではなく『結界の維持』だ。結界を張り直すことではない。
無から有を生み出すより、有を維持し続けるほうがエネルギーは少なくて済むはずだわ。
……そう思うのに、どこか不安がぬぐえない。
次に冒険者ギルドへ行ったら、ギルドマスターに聞いてみましょう。
私はイセル坊ちゃまとピヨン様の修行を見守りながら、そう思った。




