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11:思い出の歌



 イセル坊ちゃまの子守り用魔導人形になってから、あっという間に二週間が過ぎた。

 隠し通路と魔石を売ったお金のおかげで、私の食事問題はなんとかなった。

 入浴のほうも、ガラス職人の多い工房街に早朝から深夜まで営業している銭湯を見つけたので解決した。ガラス工房は窯の火を絶やさないので一日中人がいる。早朝や深夜などいつでも休憩出来る時に汗を流しに来るのでしょう。


 二週間のあいだに、イセル坊ちゃまに変化が見えてきた。

 読唇術で意思疎通の可能な相手が出来て、心に少し余裕が生まれたのだと思う。イセル坊ちゃまはだんだん自分の殻に閉じこもる時間が減ってきた。


 そして、あることをした時、イセル坊ちゃまは初めて私に笑顔を向けてくれたのだ。


『マグぅちゃん、もっかい。もっかい、おうたうたって』

「承知いたしました」


 それは音楽である。

 家庭教師から習っていたので、私は歌も楽器も弾くことが出来た。

 子供を喜ばせるには音楽も有効だろうと考え、侍女長に頼んでピアノをお借りすることにした。すると、フィンドレイ公爵家にある立派な音楽室の使用許可が出た。定期的に調音しているグランドピアノがあるらしい。


 イセル坊ちゃまを音楽室にお連れしてピアノを弾くと、なぜか一緒に来た侍女長と家令が「まぁ。マグノリアはピアノも完璧なのですね。素晴らしいですわ」「以前、公爵家で演奏会を開いた音楽家となんら遜色がないな。今度は音楽用の魔導人形もほしいものだ」と感心していた。


 そして、肝心のイセル坊ちゃまはというと、小さな手を叩きながら体を揺らし、満面の笑みを浮かべていたのだ。

 イセル坊ちゃまの笑顔は本当に天使のようで、私までデレデレしてしまう。表情筋はまったく動いていないけれど。


「ゼオン様は音楽がお得意でした。きっとイセル坊ちゃまもゼオン様に似て、音楽がお好きなのでしょう」

「家庭内でゼオン様が歌をお聞かせしていたのかもしれないな」


 侍女長と家令はしみじみと言って、イセル坊ちゃまの笑顔を嬉しそうに見つめていた。


「では、イセル坊ちゃま。ピアノの音に合わせて発声練習をしてみましょう」

「おいおい、マグノリア。声の出ないイセル坊ちゃまには酷ではないか?」

「いいえ、家令。リハビリは必要なことです。書物によりますと、まずは軽いハミングから始めるのがよいとのことです」


 街で図書館を見つけたので、読唇術のやり方を復習するとともに、心因性失声症についても調べてみた。

 治療法は基本的にカウンセリングと音声治療らしい。カウンセリングは公爵家の専属医師が行っているので、私がお手伝い出来るのは音声治療だ。

 最初は息だけでもいいのでハミングをしたりして、徐々に息に母音を乗せられるように訓練し、単語や会話へと移行していくそうだ。

 他国には専門の言語聴覚士がいて、音声治療を行ってくれるらしいけれど、ネルテラント王国にはいないので、医師と相談しながらイセル坊ちゃまの音声治療をして行くのがいいでしょう。

 ……公爵家の専属医師とお話するのは緊張するけれど、イセル坊ちゃまのためだもの。魔導人形のフリをしていればきっと大丈夫……! 侍女長や家令とは会話が出来ているし!


「イセル坊ちゃまはどんな歌がお好きですか?」

『ちょうちょのおうた! ママがすきなおうたなの。パパがいつもママのためにうたってくりぇるの!』

「ちょうちょのお歌ですか……」


 ネルテラント王国で有名な、蝶に関する童謡を何曲か弾いてみたけれど、イセル坊ちゃまは『じぇんじぇんちがうのよ、マグぅちゃん』と首を横に振っている。

 侍女長と家令がまたしても「マグノリアはイセル坊ちゃまの話が分かるのですか」「読唇術まで可能だとは、メイソン氏は本当に天才魔導具師だな」と感心している。


 私はふと、オウカ神聖王国周辺の国々で有名な蝶の童謡を弾いてみることにした。

 するとイセル坊ちゃまは『これ! このおうた!』と言って、一緒に歌い始めた。


『ちょーちょは~ まりゅで~おんなのこのおリボン~ はるの~こみちを~ ちょーちょのおリボンで~ ゆくのよ~』


 両親との思い出の歌を、イセル坊ちゃまは楽しそうにハミングする。まだ彼の喉からは息の音しか聞こえないけれど、とても胸を打つ音楽だ。

 侍女長と家令は涙ぐんで瞼を押さえ、私も視界がうるうるしながらピアノを弾く。

 涙が零れてしまったら、冷却水だといえば納得してもらえるかしら?





 そして、ふた月が経つ頃には、イセル坊ちゃまは声を取り戻した。


「マグぅちゃん、あのね、きょうはおにわであしょぶの! ぼくね、うしゃちゃんをもってゆくのよ!」

「はい。イセル坊ちゃま。承知いたしました」


 片腕にはうさぎのぬいぐるみを抱え、もう片方の手で私の手をしっかりと握ってくるイセル坊ちゃまは、もうすっかり元気な四歳の男の子に見える。

 黒い瞳をキラキラと輝かせて笑っていた。


「あのね、あのね、マグぅちゃん。きょうはちょうちょをみりゅのよ。マグぅちゃんのちょうちょ」

「はい。花壇のほうなら蝶が多いかもしれません。ご案内いたします」

「ちょーちょは~ まりゅで~おんなのこのおリボン~ マグぅちゃんもいっちょにおうたして!」

「畏まりました。はるの~こみちを~」

「「ちょーちょのおリボンで~ ゆくのよ~」」


 屋敷の窓から侍女長と家令がこちらを笑顔で見つめて、「マグノリアを導入して本当によかったです」「ああ。メイソン氏の報酬にはたっぷりと色を付けよう。お礼の手紙も用意しなければ」などと話していたことに、私は気付かなかった。

 ましてや――……。


「イセルが話せるようになり、あれほど懐くとはな……」


 フィンドレイ公爵様までもが私を観察しているとは、露程も思わなかった。


お読みいただきありがとうございます!

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