「営業は、武器じゃない」
翌日、朝のうちに神崎が軽やかにやってきた。
「今日、同行いける? クライアント先、ちょっと変わったところだけど、いい感じの人たちだよ」
「はい。よろしくお願いします」
澤村は手帳と名刺入れをポケットに入れ、落ち着いた調子で応じた。
クライアント先は、都内にある小さなデザイン事務所。
入り口には観葉植物が並び、室内には手作りのポスターや模型が飾られていた。
神崎は、慣れた様子で中に入り、スタッフのひとりとハイタッチを交わす。
「おう、神崎くん! 来るたびに空気が明るくなるなあ」
所長らしき男性が笑いながら迎えた。
澤村は驚いていた。
営業というのは、資料と数字で武装して、交渉に挑むものだと思っていた。
けれど神崎は、まるで友人の家に遊びに来たかのような自然さで、言葉を交わしていく。
「今度のプロモーション企画、こういう方向どうです?」
そう言って、神崎は一枚の手描きスケッチを取り出した。
そこに描かれていたのは、企業ロゴと子供のイラストが合わさった、温かな提案図。資料でもパワポでもない。紙とペンで描かれた、一枚の絵だった。
「へえ……いいねえ、これ。ちゃんと“うちらしさ”がある」
「でしょ? あえて手描きで持ってきました」
神崎は、どこか得意げにウィンクする。
澤村は、その光景を黙って見ていた。
スキルや理論じゃない。“人”と“人”がつながることで生まれる信頼。
それは、これまでの職場では見たことのないやり取りだった。
帰り道、澤村はぽつりとつぶやいた。
「……ああいう営業、初めて見ました」
「うちのやり方ね、ちょっと変わってるけど、ちゃんと届くんだよ。数字も大事だけど、“気持ち”が乗らないと、続かないからさ」
神崎の横顔は、まるで澤村よりも年上のように見えた。
心のどこかに、静かに波紋が広がっていた。