おまけのその後
あの夜の舞踏会から、季節は静かに移ろい、二人は新しい日常を手に入れていた。
正式な婚約も整い、結婚に向けての準備は穏やかに進んでいる。
ゼイドの私邸のバルコニーには、穏やかな夜風が吹き込んだ。
街の灯りが遠く揺れ、星が瞬く空の下。レイナは軍服姿のゼイドにもたれかかり、目を細めていた。
彼の腕の中は、どこよりも安心できる場所だ。
「ん……こうしていると、ぜんぶ嘘みたいですわ。あんなことがあったなんて」
「現実だよ。君は俺の隣にいて、もう誰にも奪わせない」
ゼイドの声は低く、穏やかに響いた。レイナがくすりと笑って、胸元に額をこすりつける。
「最近のあなた、独占欲が丸出しですわね」
「当然だ。……君を好きになった男が、どれだけいると思ってる」
「うふふ。そういうあなたも、結構有名人ですけれど?」
ゼイドはふっと笑い、レイナの手を取り、指先にそっと口づけた。
「だが俺に触れて、こうして甘えられるのは、君だけだ」
「……そう言われると、悪くないですわね」
小さく言って、レイナはゼイドの胸にきゅっと抱きついた。
「もっと仰って……わたくしだけだと、何度でも、何度でもお聞かせくださいまし」
「……君だけだ。君の笑顔を見るたび、息が詰まる。苦しいくらいに、幸せなんだ」
唇が静かに重なる。そっと、深く。
言葉もため息も、その口づけに溶けていく。
やがて唇が離れると、ゼイドはそっと彼女の頬を撫でた。
その仕草に、どこか名残惜しさが滲んでいた。
レイナは静かに目を伏せ、そして夜空の月を見上げる。
「それにしても、本当に驚きましたわ。まさか、ゼイド様が王族だったなんて」
そう言いながら、レイナは少し前のことを思い出した。
──その日も今日と同じように、こうしてバルコニーで夜の風を受けていた。
すると、ゼイドの側近である若い侍従がやってきて、静かに頭を下げたのだ。
「陛下より伝言でございます。ゼイド殿下が正式に王太子に指名され、レイナ様とのご結婚は国を挙げて祝福されるとのことです」
侍従の言葉に、レイナは驚きで声を漏らす。
「……ゼイド、“殿下”……」
レイナは思わず、ゼイドを見つめたまま小さく息を呑む。
そして、ようやく震えるように言葉を紡いだ。
「王族……でしたの?」
ゼイドは静かに微笑み、少し間を置いて口を開く。
「そうだ。これまで身分を隠していたが、今日から正式に王太子として認められた。これからは堂々と公にできる」
彼の声には誇りと、緊張が入り混じっていた。
レイナはその言葉を噛み締め、胸の鼓動が速くなるのを感じる。
「どうして、これほど重大なことを……わたくしに隠していたのですか?」
ゼイドはひとつ息を吐くと、月明かりの下でゆっくり口を開いた。
「……俺は、陛下の子だ」
レイナの目が揺れる。
「だが──正妃の子ではない。だから、王宮では“存在しない者”として育てられた」
その告白は重く、レイナの瞳が一瞬大きく見開かれる。
言葉を失い、体が微かに震えた。
「陛下には正式な後継ぎ、クロヴィス王子がいる。俺は血は繋がっているが、正統な王位継承者ではなかった。だから、これまで公にされず、誰にも知られずに育った」
ゼイドはゆっくりと、丁寧に語る。
長い年月の孤独と葛藤がその言葉に滲んでいた。
「クロヴィスとは……腹違いの兄弟だ」
そこまで言って、ゼイドはふと目を伏せる。
「もっとも、彼は俺の存在すら知らないがな」
言葉の最後には、諦念とも皮肉ともつかない感情が滲んでいた。
戸惑いを隠せないレイナの視線に、ゼイドは続ける。
「……王位継承を巡る争いが起こるのを、陛下は何よりも恐れていたんだ。俺の存在が、それを引き起こす火種になると──だから、俺はずっと影にいた」
ゼイドの声は淡々としていたが、その奥に隠された年月の重みが確かにあった。
「そして今、陛下が正式に俺を王太子に指名し、隠れる必要がなくなったんだ」
言葉に力が戻り、ゼイドの瞳が真っ直ぐレイナを射抜く。
「君はクロヴィスの婚約者として、王族の一員になる覚悟をしていたと思う。だけど……俺に対してはそうではなかっただろう。こうなった以上、君に負担を強いてしまうことになるのは明白だ」
「だからわがままを言う。俺は王太子として、そして一人の男として、君を必ず守る。だからレイナ── これからの人生を、俺の隣で共に歩んでほしい。喜びも痛みも、すべて分かち合いながら」
──真っ直ぐなその言葉に、胸が熱くなったことが、昨日のことのように思い出された。
今、目の前には、王太子としての威厳を湛えながらも、あの夜と変わらぬやさしさで微笑むゼイドがいる。
あの時、承諾の言葉を告げた瞬間。安堵と喜びがないまぜになったような、ゼイドの表情が、可愛くて愛おしくて、レイナは思わず小さく笑みをこぼした。
「どうした? レイナ」
「いいえ……わたくしは、幸せだなぁと思いまして」
レイナはふわりと笑みを浮かべ、ゼイドを見上げる。月の光を受けたその瞳は、やわらかに潤んでいた。
「……あのときも、今も、ずっとあなたは私を守ろうとしてくださっている。だからこそ、わたくし……そんなあなたを、心から尊敬しているのです」
そう言って、そっと彼の胸元に手を添える。重ねた手に込めたのは、言葉以上の想い。
「でも、どうか忘れないで。これからは、わたくしもあなたを守るつもりですわ。──ただの令嬢ではなく、あなたの婚約者として」
その静かな言葉と決意に、ゼイドの瞳が微かに揺れる。
「……ありがとう。そんなふうに言ってくれる君に……俺は何度でも、恋をするよ」
レイナは微かに笑った。
この人の隣でなら、自分はもっと強くなれる──そう思えた。
ゼイドが、そっと彼女の肩を抱く。
夜風の中、ふたりの影が重なる。
そしてその距離が、自然に消えていった。
──この人の心を、今度は自分が守りたい。
互いの想いが、深く静かに交わる、優しい夜だった。
***
二人が優しさを分け合ったあの夜から、一週間。
朝の光が差し込む庭園で、レイナは紅茶のカップを手に、穏やかな笑みを浮かべていた。ゼイドの隣という居場所が、ようやく日常になり始めている。
花咲くテラスには、やわらかな風が吹き、鳥たちのさえずりが音楽のように空に溶けていく。
レイナは、ふと手元のカップを見つめて、ぽつりと呟く。
「……こんなふうに笑っていられる日が来るなんて、まるで夢のようですわ……」
「夢?」
ゼイドが眉を寄せ、レイナの横顔を覗き込んだ。
レイナはゆっくりと頷いて見せる。
「わたくし、実は父が早くに亡くなって、母も貴族としての身分を守るために必死でした。家柄は立派でしたけれど、実のところはいつも綱渡りでしたの」
「……そうだったのか」
初めて聞く話に、ゼイドは少し同情の色を寄せた。
「だから、小さな頃から“令嬢らしく”しなければ、母を困らせてしまうと思って……ずっと、いい子で、誇り高く生きるように育てられてきました」
レイナの瞳が、ほんのりと潤む。
「だけど、時々……ただ誰かに、甘えてみたいと思うこともありました。好きな人の前で、弱さを見せてみたいと──でも、そんなこと、許されないとずっと思っていたんです」
ゼイドは無言で、そっと彼女の手を握る。
「今は……」
レイナは目を細め、手を握り返す。
「今はもう、背伸びしなくてもいいのですね。こんなふうに、好きな人の隣で笑って、甘えてもいいのですね……」
そう思うと声が震え、視界がゆっくりとぼやけた。
ゼイドはそっと微笑むと、レイナの額へと口づける。
「君がどんな君でも、俺はすべて受け止める。もう、君は一人じゃない。これからは、ふたりで歩いていこう」
そのまっすぐな言葉に、レイナの胸がほんの少し震える。
そして、ふと──まっすぐな瞳を見た瞬間、遠い記憶の少年の姿が蘇った。
「……もしかして、あの子は……ゼイド様だったのかしら」
「ん?」
「ずっと昔のことですわ。王宮の片隅で、一度だけあなたを見かけたことがありますの」
ゼイドは小さく目を見開き、レイナの言葉に耳を傾けた。
「母と一緒に献上式を見学していた時、警護に立っていた少年がいて……その瞳はまっすぐで、でもどこか寂しげで。ずっと心に残っていたのです」
まるで夢語りのように、レイナは静かに言葉を紡ぐ。
「あの頃の私はまだ幼くて……でも、あのまっすぐな瞳に、なぜか心を奪われたのです。こんな人と共に歩む未来があったならって──」
胸の奥にずっとしまっていた想いを、そっと差し出すように言葉にすると、不思議なぬくもりがレイナの中に広がっていく。
ゼイドはしばらく黙っていたが、やがてわずかに眉をゆるめた。
「ああ……少年なら、きっと俺だろう。大人に交じって、影の王族として警護に立たされていた頃だ」
「まさか、その少年が、今こうして私の隣に立っているなんて。運命とは、本当に不思議なものですわね」
レイナの言葉に、ゼイドがふっと息を吐く。肩の力が抜けて、どこか照れたような空気が流れた。
「そうだな……運命だ。きっと俺たちは、昔から繋がっていたのだろう」
その瞳は、確かな温もりと誓いに満ちていた。
「これからはずっと、俺のそばにいてくれ」
その声に、レイナは深く頷き返す。
「ええ……ずっと、ずっとあなたのそばで」
鼓動が重なり合い、柔らかな時間がゆっくりと流れていく。
春の陽光が二人を包み込み、世界が甘く優しい愛で満たされているかのようだった。
ふたりは見つめ合い、笑い合う。
──遠い日、すれ違ったふたりが、ようやく重なった奇跡の今を、胸に。
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