現代のからかさ
日本にはからかさ、という名前の傘の妖怪がいる。元々は唐と呼ばれるかつての中国から来た傘という説があったり、からくり傘を略したものだと思われていたりとその起源は謎に満ちている。
一応、唐傘という和傘に精霊が宿った付喪神ではないかとも思われているが真相は定かではない。
そもそも日常生活で和傘を使う人なんて見たこともないし、からかさというおばけについても、水木しげるの作品で聞いたことがあるくらいだ。普通に生きていく上でからかさという言葉を使うこと自体稀というか、よほどの妖怪好きでない限り聞いたことすらないという人が多数なのではないだろうか。
ではなぜ今更こんな話を始めたのかというと、到底信じられるものではないが、見てしまったのだ、からかさを。いや、正確には和傘ではないのでからかさと呼べるのかさえ怪しいが、私は確かにビニールで出来たからかさを目撃した。
あれは近所のコンビニに行った時のことだった。日はとっくに暮れてしまい、学生達も寄りつかない時間帯。小腹が空いたので肉まんでも買って食べようかな、と思って向かった先にそいつらはいた。
生憎の雨で視界がぼやけていたからもしかしたら私の見間違いだったかもしれない。けれど私が入店する時には傘立てにあったビニール傘が二本、私が店を出る時には無くなっていたのだ。
傘がひとりでに歩く、なんてことは絶対にないのだからこれは確実にからかさもとい、ビニール傘に宿った付喪神が化けてどこかに去ってしまったのだろう。
幸いにも折り畳み傘を持ち歩いていた私は無事に済んだが、店内にいたサラリーマンらしき人物と立ち読みをしていた男の人(もしくは外国人っぽい従業員達かもしれない)はおそらく濡れて帰るか新しいビニール傘を買うことを余儀なくされた、と思うと胸が痛む。
ところでみなさんはビニール傘のからかさを実際に見たことはあるだろうか。例えば梅雨の時期なんかにはゲリラ的にそこら辺に湧き出るのでもし興味があったら見つけてみてほしい。
別に梅雨の時期ではなくても実は案外身近なところでからかさを見つけるのは簡単だったりする。
私の友達も自分のビニール傘がからかさになってどこかに去っていった経験があったり、なんなら私が学生の頃の一学年上の先輩が他人のビニール傘のからかさに飲み込まれて食べられてしまうところを見たことがある。
日本ではビニール傘のからかさに飲み込まれてしまうことは日常茶飯事で、みんなどこか諦めてしまっているのがとても悲しい。
不燃ゴミの日に、見るも無残な姿になったビニール傘のからかさを見つけると切なくなってしまう。
いつの日か自分や誰かのビニール傘が他人のからかさにならないようにしていきたいな、と私は思っている。まぁでもこの世に雨が降る限り、人がビニール傘を使い続ける限り、現代のからかさはこれからも人々を飲み込み続けていくのかもしれない。