第六話 眠り
ドナトス修道士は、生首のコスドラスと共にアラペトラ国を目指す旅を改めて始めました。
当初は木箱に入ってドナトス修道士に背負われていたコスドラスですが、自分も移動中は周囲の景色を見たいとうるさく要求するので、ドナトス修道士は頭をひねり、立ち寄った修道院で譲ってもらった大きな布を、首から下げる頑丈な物入袋に器用に仕立てました。
そこにコスドラスに入ってもらい、目の部分に細い横穴を開けて外が見えるようにしました。少々嵩張りますが、幸い生首はとても軽いのでぶら下げて歩いてもさほど負担にはなりません。
でも大きな村などの人目の多い所や、どこかに泊まる時には木箱の中に移って大人しくしてもらいます。何かの拍子にコスドラスを見られては騒ぎになりますから。
首から物入袋を下げ、杖をつき荷物を担いで歩くドナトス修道士の姿はかなり奇妙でしたが、見かけた人々は若い修道士の修業のためだろうと、特に気には留めませんでした。
少し揺れるのだけは我慢する事になりましたが、それでもコスドラスは喜び、時には景色を眺めながら小声で歌を歌っていました。何の歌ですか? とドナトス修道士が尋ねると「古い歌さ」とだけ答えました。
「コスドラスは、アラペトラ国に到着してからはどうするつもりですか?」
人目のない木の下に座って休憩しながら、ドナトス修道士は物入袋から出て欠伸をするコスドラスに問いかけます。
「別に考えていない。まあ無事に到着してからゆっくり考えるさ」
確かに、長い徒歩の旅ですし危険が全く無いとは言えません。まずアラペトラ国に到着する事を目標にした方がいいでしょう。アラペトラ大修道院の学問所には高名な学者も何人か在籍していますから、到着後に彼らにコスドラスの事を相談しようとドナトス修道士は考えました。
ただ生首という姿のコスドラスが「異端扱い」をされる危惧はありますが、正式な修道士である自分が付き添って説明すれば大丈夫でしょう。
「コスドラス、アラペトラ国に到着したら私は大修道院に入るつもりです。それであなたの事は学者などに相談してみるつもりなのですが……」
「ああ俺は別に構わんよ。驚かれるだろうが、坊主の国なら見世物にされる事もないだろう」
「でも異端扱いの心配はあります。その、不愉快な目にあうかもですが……もちろん私がきちんとあなたの事を説明しますから」
「異端扱い? ふーん。そういやお前さんも俺を悪魔とか言ってたな。大丈夫だよ、やばい事になったら俺が大聖堂で聖歌を高らかに歌ってやるよ」
コスドラスが特に気を悪くした感じもなく了承してくれたので、とりあえず心配するのはやめておきました。
少しだけ荷物の重くなったドナトス修道士は杖を持ち旅を続け、ゆっくりと進みました。
徒歩の旅ですから、雨に降られて濡れたり、森の中で野宿をしたり。激しい風が吹き荒れ、広い河を小舟で渡るのに何日も待ったりしました。
その間色々と会話はしましたが、相変わらずコスドラスは自分自身の過去の事は、ほとんど喋りませんでした。
ただ、どうやら偶然出会った教会の辺りが彼の生まれ育った故郷であること、胴体の行方はわからないこと、妻子などはいなかったことがわかりました。
そしてコスドラスが生首になってから何十年もの年月が経っているのもわかりました。最初、それを知った時にコスドラスは驚いたようでしばらく考え込んでいました。が、「今も昔も世間は大して変わってないな」というのがコスドラスの口にした言葉でした。
実際はドナトス修道士の生まれた頃に大きな戦があって、幾つかの国の名前などが変わっていますが、彼は興味が無いようでした。
「でも神の教えは変わっていませんよ」とドナトス修道士は真面目に諭しますが、コスドラスはふんと馬鹿にしたように鼻で笑いました。「神の奇蹟」で生首という不思議な状態で生きている彼がそんな不敬な態度をとるのを、ドナトス修道士はひどく不思議に感じるのでした。
そんなある日の夕方。二人はとある村に辿り着きました。
珍しくドナトス修道士は発熱で体調を崩していて、それ以上歩くのが辛くなっていました。コスドラスもさすがに心配したのか「今夜はこの村のどこかの家に泊めてもらおう」と主張します。
村を出た山の上に最初の目的地の修道院の建物が小さく見えていますが、もう無理だと感じたドナトス修道士は道沿いの一軒の大きな家に近づき、裏口の扉を叩きました。とにかく体を休めたかったのでたとえ納屋のようなところにでも泊めてもらおうと思ったのです。
さすがに木箱に移動させる余裕も無いので、物入袋の中でコスドラスも目立たないように息を潜めていました。
呼びかけに応じて、小柄で生真面目な雰囲気の女性が扉を開けました。きっちりとまとめた髪、質素な衣装に前掛け。この家の召使いでしょう。
彼女は修道士の顔を見た瞬間、「まあ修道士様! とてもお顔の色が悪いですよ」と叫びました。
「突然訪れて申し訳ありません。急に体調が悪くなりこの先の修道院まで辿りつけそうにありません。こちらの納屋の隅で一晩休ませてもらえないでしょうか?」
「納屋ですって? とんでもありません、ぜひこちらの部屋でお休みください」
女性がドナトス修道士の腕をとって屋内へと案内します。すぐに小さな部屋に入ると荷物を降ろさせて寝台に寝かせてくれました。
「お楽にしていてください。すぐに暖かい食事と薬湯をお持ちします」
てきぱきと面倒を見てもらいドナトス修道士がほっと安堵した時、部屋の入り口に恰幅の良い初老の男性が姿を見せました。この家の主のようです。
「ジータ、これはなんの騒ぎだ?」
召使いの女性はジータという名前のようです。
「病気の修道士様をお助けしたのです、旦那様」
ジータがはっきりと返事をし、男性が横たわるドナトス修道士を見て渋い表情になりました。
「確かに具合がお悪いようだ。しかし今の我が家にはお世話する余裕も部屋も……」
「私の食事をお分けしますし、この私の部屋と寝台を使っていただいて私は調理場の隅で休みます。そこならば旦那様やご家族の迷惑にはならないでしょう。神様にお仕えする方を見捨てるなどとんでもない事です」
男性は諦めたように溜息をつきました。
ドナトス修道士はかすれた声で「ご迷惑を……」と男性に話しかけましたが、彼は手を振りながら「いやもうお気になさらずに。ジータは困っている人を見ると放っておけないのですよ」と諦めたように言うと姿を消しました。
ドナトス修道士は申し訳なさでいっぱいでしたが、高熱でそれ以上頭が働きません。やがてジータが器に入れた暖かいスープを持ってきてくれました。
「これは……あなたの分の食事では……?」
心配するドナトス修道士の言葉にジータはくすくす笑いました。
「私は他にも食べる物がありますから大丈夫です。旦那様に腹を立てないでくださいね。決してケチな方ではないのですよ。ただとても心配性なだけなのです」
勧められるままにスープを食べ、少し苦い薬湯を飲むとやがてドナトス修道士は眠ってしまいました。ジータは寝具を整え、灯りを消すとそっと部屋を出て行きました。
生首のコスドラスは一部始終を枕元に置かれた物入袋の中から見守っていました。
何か考えがあるのか、そのまま眠らず動かずじっと時が過ぎるのを待ちました。
深夜、家の中が完全に静かになった頃。
物入袋から飛び出たコスドラスが跳ねて扉に近づくと、奇妙な事に音もなく開きました。ドナトス修道士が眠っている気配を確認してから、そのまま廊下に出て音を立てないように用心しつつ家の奥へ移動します。
かなり広い調理場に辿り着くと、釜戸の横に布にくるまって眠っているジータを見つけました。コスドラスは彼女の膝にそっと飛び乗ると静かに話しかけました。
「眠りの世界にいる者よ。そなたの願いを言ってみよ」
今まで誰も、ドナトス修道士も聞いた事がない威厳に満ちた声です。
ジータは目を閉じたまま、かすかに眉をひそめました。
「願い……ゆっくり眠りたいです……毎朝毎朝、朝早くからパンを焼かないといけません。でも私は疲れています。でも料理人がいないので私がパンを焼くように奥様に命じられています……辛いです……もっと眠りたいです……」
最後の声は少し涙声です。コスドラスは膝の上でくるりと回転しました。
「わかった。明日の朝はゆっくり眠れるようにしてやろう。安心してもっと深く眠りなさい、そなたの疲れが全て消えるように」
ジータの寝息がゆっくりになりました。本当に深く寝入っているようです。
コスドラスは彼女の膝から降りると、高く跳ねて調理台の上に乗り辺りを見ながら呟きました。
「パンの焼き方なぞ知らないがな。まあ連中が知っているだろう」