97話 それはまさに絶世の
八〇〇年間、謎に包まれていた召喚陣。その正体を暴く時が来たのだとラディアンは勇み立つ。
一族の悲願達成という瞬間に立ち会えるのだ。喜びもひとしおだろう。
メアたちの話によると、四体の神獣を同時召喚していた前任者でさえ、それ一体で魔力が底を尽きてしまうほどの存在。神を自称する者が現れるだろうとのこと。
「ようやく会えるというわけじゃな」
感慨深いのはなにもラディアンだけではない。
かつて少女が使役した五体の召喚獣。これですべてが出揃うことになる。
メメクを旅立つことにした当初の目的が、ようやく果たされる時がきたのだ。
「あぁ。これで一つ、目標達成だな」
ケルベロスに封印されていなければ、という話ではあるが、野暮なことは口にすべきではない。確認すれば自ずと答えは出る。
「それじゃあ、試させてもらう」
召喚陣を使用した通常通りの契約。幼少期にはさんざん失敗を重ねたが、召喚する相手が大量の魔力を必要としているのならば、これはむしろアルの得意分野。意気揚々と召喚陣に触れた。
「ここに王の復活は成った」
人を象り顕現した姿はこの世のものとは思えないほどに神々しく――。
「よくぞ余の下へと舞い戻られた」
まさに権威の象徴。放たれる威光は筆舌に尽くしがたい。
「苦節八〇〇年。我らが宿願――」
交差させた両手に握った二本の杖を揺らし、威風堂々、高らかに言葉を放つ。
「――今こそ果たす刻!」
力強い声が大きな部屋に反響する。
音が鳴り止みほんの少しの静寂。頭を小さく振り余念を払ったアルは、疑問を呈した。
「すまない。話が見えないんだが、最初から説明してくれ」
「そうか。王には記憶がないのだな」
「王? 記憶? それは俺のことを言ってるのか」
「如何にも。では、改めて名乗ろう。余はオシリス。神である」
「俺はアルだ。なぜ俺を王と呼ぶのか。そこから話してくれ」
エアリエルの時と同様、アルは一つずつ疑問を解消していくことにした。
「八〇〇年前、我らは敗北を喫した。復讐を誓う王へ、余は力の一端を授けた。冥界へと送られる魂を保護し、再度、現世に落とす能力【王の復活】。十四度目にして、ようやく機会が巡ってきたのだ」
オシリスが語る内容は信じがたいものだった。
人の魂は死後、冥界へと送られる。そこで数多の魂と混じり合い、そして現世に生み落とされる。他の魂と混じらないよう保護し、現世へ送ることで記憶すら維持したまま復活させようと試みた。が、それはうまくはいかなかった。
「奇説、珍説の類だな。アルはこの話、信じられると思うか?」
「正直、ここまでくると半信半疑かな。でも、確かめる術はある」
一歩前へと踏み出したアルは、オシリスを見据える。
足首まで隠れるほど長いローブ。首元には豪華な刺繍が施されているが他の部分は白一色で、腰には赤い帯を巻いている。
大きな装飾がなされた長い帽子を被り、手に持つ杖は左右で違いを見せる。右手には先の曲がった杖。そして、左手の杖は先端から何かがぶら下がっていた。
「オシリス。契約を交わそう」
アルが半信半疑な理由はここに帰結する。
オシリスの能力で自身が生まれたと言うのなら、なぜ契約が切れているのか。維持したままなら疑う余地はなかった。
もちろん、相手の言葉を否定したいわけではない。魂が同じだとしても体は違う。それが契約解除の原因とも考えられるからだ。
ならば、契約を交わして加護を確かめる。そのうえで感情に触れる。偽証など不可能なのだ。
「今一度、王と契りを」
「あぁ。【シリス】と名付ける」
「王の選択、行く末。しかと見届けよう」
その瞬間、アルの全身に言い知れない何かが駆け巡った。
(こ、これは――)
単純な力とは異なる奇妙な感覚。その性質を確かめるべく、アルは加護に意識を傾けた。
沸き立つ力の名は【死と再生】。他の加護とは根本からして異なる感覚だが、メアと契約を交わした時に準ずる大きな変化が起きたことは理解した。
「加護は……ちょっと違うみたいだ」
「今の一瞬で理解したと言うのか」
自身よりも高い理解力を示すアルに、ラディアンは驚きを隠せなかった。そんな者などこれまで見たことがないのだと言う。
「詳細まではまだだけど、傾向くらいならすぐに解る。それよりも――」
得られたのは破壊と再生、対極をなす二つの力。どちらもシリスの語った能力とは別物だと考えたアルは、その先にある力に手を伸ばした。
「それよりも?」
「加護の中に特別な何かを感じた。少し、時間がほしい」
「既に力に目覚めているのか」
「あぁ、それは間違いない」
メアと同じく特殊な能力を持っている。微かにだが、確かな感覚を捉えた。
ただ、こちらは少々時間が掛かる。実際に効果を目の当たりにしたメアの【不死不屈】でさえ小一時間ほどの時を要したのだ。契約したばかりのシリスを理解するには一朝一夕で、とはいかないだろう。
「ふむ。ならば、そちらは気長に待つとしよう。焦ることはない。ゆっくり見定めるといい」
「そうだな。基本通り、まずは加護から理解していくよ」
こうしてシリスの件は今後の課題として、会議室へと戻ることにした。
長い廊下を抜けロビーへ出ると、三人の人物と出くわした。
右手を胸に当て軽く腰を曲げる。階段をゆっくりと下る人物に、アルは立ち止まって敬礼を行った。
「楽にして良い。貴殿は未来の英雄なのだろう?」
さすがは親子と言うべきか。有無を言わせぬ期待を押し付けるさまは親譲りなのだろう。
敬礼を崩さぬアルに、男は続ける。
「私がディレック・モルドーだ。これが伴侶のテオドラ。そして、娘のディアドラだ」
裾を軽く持ち上げ、一礼をする母と娘。そうして一呼吸の間を置いて、アルは最敬礼を行う。
「お初にお目にかかります。アルと申します」
アルが名乗ると、ディレックは軽快な笑い声を上げた。
「聞いていたとおりの男だな。平民の所作ではない」
背後から小さなため息がしたが、アルは聞かなかったことにした。話は伝わっているだろうが、さすがに初対面で形式を崩すのは躊躇われる。
「面を上げると良い」
その言葉でようやくアルは楽な姿勢に変えた。
ラディアンとよく似たディレック。老いを感じさせるが威厳と気品はそのままに。未来のラディアンはこうなるのだなと思わせるほどだ。
そして見目麗しい二人の女性。特にディアドラの容姿は群を抜いていた。
きめ細かい透き通るような白い肌。端正な顔立ちにはコバルトブルーに輝く美しい瞳。暗い茶色の綺麗な髪はまっすぐと腰ほどまで伸びる。
容姿端麗。その美貌はまさに絶世の美女と言うほかないだろう。
ラディアンたちは少しの会話を交わしているが、アルは上の空だった。
「アルよ。先に会議室へ戻るといい」
「――あ、あぁ」
我に返ったアルは四人が出ていくのを静かに見送った。
「お主の好みはああいった感じなのじゃな」
ため息をつきながらメアに向き直ったアルは、予想と違った彼女の表情に驚く。
半笑いだと思っていたが、意外にも真面目な顔つきだった。
(さすがに誤魔化せないか……)
気が動転するほどの容姿に目を奪われていた。偽証など不可能なのだ。
「あれほど美しい女性は初めて見た。好み……なのかは分からないけど、そんなことはどうでもいいな」
趣味趣向は些細なこと。そう思えるほどに、誰もが見惚れる麗しき姿。彼女を目の前にすれば、正常な思考は放棄させられるだろう。
「とにかく、会議室に戻ろう」
今はうつつを抜かしている場合ではない。
召喚術は繊細な技術を要する。心を乱さず修練に励むためにも気持ちを切り替え会議室へと戻るアルであった。




