89話 心を一つに
朝をゆっくりと過ごしたアルは、考え事をしながら出掛ける準備をしていた。
実証するためとはいえ、どう伝えればいいのか。
どんな言葉を選択すれば、波風を立てずに納得させられるのか。
ヨルの加護は精神安定剤として破格の性能だ。それを有したまま街を散策していては、心の成長具合を確かめられない。
――ヨル。今日はお前抜きで街を散策しようと思う。
言えるわけがない。
アルは以前、言い訳に失敗してヨルを悲しませてしまったことがある。同じ過ちを繰り返してはいけない。
どれほど優しい言い回しを意識しようとも、一人だけ仲間はずれにするという事実は変わらない。
(それならもう、全員の召喚を解くか?)
シーレのみを召喚して街を歩けば過去との違いが明白になる。これが最も無難で確実性の高い検証方法だろう。
考えが纏まった頃に準備を終わらせたアルは、自信満々に告げる。
「今日は検証のために一人で街をぶらつこうと思う。みんなの加護がある状態だと過去との比較が難しいから、少しの間待っててくれ」
完璧な切り出し方だった。
ヨルの名前を出さないことで理由の所在を希薄にし、みんなとすることで不公平感をなくす。
アルが読んでいた書物にヨルとエリは関心を示していたので、アルが育った街にも興味があるだろう。検証の後にみんなでゆっくりと散策すればいい。
八名の神獣たちは目配せを交わしながら頷き合うと、間を置かずしてメアが答える。
「お主、少しだけ待っておれ」
そうして円陣を組んだ彼女たちは、何やら小声で話し合いを始めた。
「皆はどう思う?」
「良いのではないか?」
「何かあってからでは遅いと思います」
「心配」
「僕は、大丈夫だと思うなー」
「検証なのだろう? いつものことではないのか?」
「狙われている自覚は持ったほうがいい」
「街中で大胆な行動に出るじゃろうか」
「主の容姿より、わっちらのほうが目立っておる。ならば……」
「みんな個性的だもんね~」
「お主が言える立場ではなかろう?」
「人一倍、視線を集めておるからの」
「そうかな?」
「確かに、季節感がないよねー」
「あーね。じゃ、着替えちゃうか~」
クロは微かな光を放ち衣装を変えた。
黒のジャケットに黒の長いブーツ。相変わらずへそ出し生足だが肩は隠れている。季節感という意味では問題ないといったところ。
ただ、ジャケットもブーツもワニ革ではないのか。余計な疑問を浮かべたアルは、なぜか複雑な心境に陥ってしまった。
「これでイイっしょ」
「問題はそこなのか? 話が逸れている気がするのだが」
「そうじゃな。話を戻すとしよう」
そのまま話は続き、手持ち無沙汰になったアルは氣を練って時間を潰すことに。
ある程度は慣れてきたが、体外へと放出するのが難しい。どんなに集中しても、現状では体に薄く纏わせるのが関の山だった。
薄皮一枚でも防御力が上がることには変わりないので、このまま練習を続けていけばいいだろう。
「結論が出た。妾がお主を監視しよう」
「監視?」
「不本意ではあるのじゃが、それしかないじゃろう」
「何が不本意であるか! 妾が一番長い付き合いじゃ! 責任を持って見届けてやろうではないか!」
「見るのは街ではなく、主だということを忘れてはおらぬか?」
「なっ!?」
アルが氣を練っている間に話は思わぬ方向へと進んだらしい。
「話の途中で悪いんだけど、監視ってどういうことだ?」
「お主は抱え込もうとする癖があるからな。お目付け役は必要であろう?」
なんだか釈然としないアルであったが、その理由には納得せざるを得なかった。
自覚はある。直そうと心掛けてはいるのだが、行動で示さなければ説得力に欠けるというもの。下手に言い繕っても意味はないだろう。
こうしてアルも不本意ながら同意し、メアと街を練り歩くことになった。もちろんシーレも召喚した状態で、【感覚強化】がデメリットになり得る状況での散策である。
当時を思い返しながら通りを進む。行ったことのある店や、思い入れの強い場所を巡る。
平静でいられることを確認しながら、アルはとある路地へと入った。
「冒険者になって数日、ここで寝てたんだよな」
人通りの少ない路地の先。ふたつの通りを繋ぐ小路の片隅。仕立ての良い着衣を売り小金は手に入ったが、今後のことを考えると、宿を取っている場合ではなかった。
浮浪者に襲われなかったのは不幸中の幸いだろう。
「お主にも野宿の経験があったのじゃな」
「最初で最後の経験になったけどな」
シーレのおかげで実力以上の成果を上げていたため、すぐに安宿に移ることができた。それでもこれは苦い経験のひとつだ。
心が落ち着いているのを確認したアルは、利用していた安宿や大衆食堂、服屋などを経由して中央通りを北に向かって歩く。
当時は近付くことさえ避けていた地区を進んで北門付近まで到着したアルは、大きな屋敷の前で足を止めた。
広い敷地には四階建ての豪華な本館。東側には庭園があり、そこから北へと城壁の近く。二階建ての離れが柵越しに見える。
アレクシスが幽閉されていた建物。五年以上もの間、恥として隔離されていた場所。
(少しくらい動揺すると思ってたんだけどな)
ヨルの加護がなくともアルの心は平穏そのものだった。
幽閉されていたとはいえ、アレクシスにとっては思い出の詰まった大切な場所でもある。
彼が腐ることなく日々を過ごせたのは、ミーシアの支えがあったからだ。彼女の献身なくしては、アルの価値観は大きく歪んでいただろう。
「仕置きをするなら加勢してやろう」
「メア以外が涎を垂らすところは想像できないな」
皮肉を返せるほどに余裕があった。
過去は完全に払拭されたと証明された。
ならば、あとは突き進むだけである。
「よし、帰ってみんなに報告しようか。そしたら次は、みんなで街を歩こう」
宿に戻ったアルは全員を召喚して情況を伝え、もう心配する必要はないのだと告げる。みんなを納得させられるだけの確証が得られたのだと語る。
これからは心を一つにし、目的達成までの道を歩んでいく。同じ歩幅で進んでいけるのだと、自分自身に示した。
その後は普段と変わらない一日を過ごし、明日への英気を養い眠りについた。
翌日、少し遅い時間に街を出発し、東の荒野にあるダンジョンへと向かう。
「大丈夫だとは思うけど、念の為に警戒しておこうか」
小声で伝えたアルを取り囲むようにして【荒野の坑道】までの道のりを進んだ。
ダンジョンに足を踏み入れると、その影は速度を上げた。敵にしてはお粗末だと言わざるを得ない。
警戒しながらも気付かぬ振りをしていると、聞き覚えのない声がアルを呼び止めた。
「お久しぶりです、アルさん」
アルが振り返ると、声の主は深く被ったフードを脱いだ。
緑の長髪を後ろで二つに緩く結んだ、落ち着いた雰囲気の女性。見覚えのある顔だった。
「確か……シンシア、だったかな?」
「はい。お伝えしたいことがあり参りました。できればこのまま、歩きながらでお願いします」
アルと密会している所を誰にも目撃されたくないと口にするシンシア。条件を提示してそれに了承する。
メアとリルでシンシアを挟み、何かあればすぐに鎮圧できるよう万全を期す。
警戒心の強いアルに戸惑いを見せたシンシアだが、言われるがままに従い自身の使命を優先する。
「本日はグルーエル・カトラス様の命を受け、馳せ参じました。我々の目的や状況、すべてをお伝えするため、どうか最後までお聞きくださいますようお願い申し上げます」
シンシアが語る内容に、アルは近年まれに見る羞恥を味わうことになったのであった。