86話 興奮剤
普段と様変わりした午後の大通り。
行き交う人は八割増し。流れは若干滞り気味。王都やアマツキと比べると、密度は似たようなものだった。近隣の村人たちも加わることで街の喧騒はさらに膨れ上がり、小さな諍いを何件か見た。
出店の前で足を止める者や、提供待ちの列が人々の往来を妨げる。それが揉め事の主な原因となっていた。
そんな大通りを流れに沿って進むアルたち一行。午前は東から中央広場へと向かって出店を巡った。ならば午後は西から攻めるかと食べ歩きを決行。
小一時間ほど前には教会付近から響く歌声に興を削がれたアルだが、今はもう祭りを純粋に楽しんでいる。路地を進んでいる間に気持ちの整理を終わらせて、たびたび起こる口論に耳を傾けながら空気感を堪能していた。
「そこのオネーサン! ホラ、めっちゃエロ……いや、魅力的なオネーサン! 俺らと一緒に遊ばね?」
「俺ら、いい店知ってんだ。おごってあげるからさ。なっ?」
メアと二人でカステラ屋の列に並んでいると、少し離れた場所から陽気な声が聞こえてきた。
随分と浮かれてるなぁなんて平凡な感想を抱きながら、アルは事の成り行きに聞き耳を立てる。
「ねぇねぇ、チョットでいいからサッ! ツマんなかったらスグに帰っていいからサッ!」
「なっ? 少しでいいから付き合ってくんね? 髪いじってないで返事くらいしてほしいな」
どうやら無視されているらしく、玉砕残念だったなぁなんて他人事のような感想を抱きながら、アルはカステラを注文。
「さすがに無視はヒドくね!?」
「傷付いちゃうな~。せめて声だけでも聴かせてほしいな~」
なおも食い下がる二人の男に、昼間から酔っぱらってるのかなんて思っていると――。
「しつこいぞ、貴様ら!」
エリの怒声が響いた。
「メア、後は任せた」
路銀を手早くメアに渡したアルは、人波をかき分け声のするほうへと急ぐ。
「アレ? 妹サンかな? チョット、オネーサン貸してくんね?」
「でも似てないな。まぁいいか。ちょっとお姉ちゃんに言ってやってほしいな」
「連れに何か用か?」
大ごとになる前に到着したアルは、少し睨みを利かせて割り込んだ。
「なんだよ、男連れかよ。それなら早く言ってほしかったな」
「そうだぜ、オニーサンも一緒に遊ばね?」
一瞬どっちの意味だろうかと迷ったアルだが、片方の男は連れの発言に驚いている。裏路地に連れ込んで暴力を振るうような輩ではないのだろう。
「どうやら酒の飲みすぎらしいな」
「……みたいだな」
「では、お引き取り願おうか」
「ナンでだ? 一緒に遊ばネーノ?」
「いいからお前は水飲め、水。おら、行くぞ」
「オネーサーン! 今度は一緒に遊ぼうネー!」
そうして男は酔っ払いを引きずるように退散していった。
「酒とは恐ろしいものじゃな」
カステラをつまみながら合流したメアが何の気なしに零す。熱の感じられない物言いだったが、アルはそれに頷いてみせた。
「人格まで変わってしまうのは怖いよな」
連れが驚くほどの代物だ。そんな危険極まりない飲み物が、誰でも簡単に入手できるのは考えものである。人によっては記憶障害に陥るため、気付いたら牢屋に居た、なんてことになりかねない。
想像しただけで厭わしいものだが、これはアルが酒を飲まない理由の一つに過ぎない。
アルが最も危惧しているのは召喚術との相性の悪さ。精神異常を引き起こすものを、自ら口にするなど考えられなかった。
「まぁ、騒ぎが大きくならずに済んで良かった」
このくらいの揉め事ならば、すでに何度か見た。こちらに被害が及ぶ心配はしていない。逆に、危害を加えてしまわないかと不安だったくらいだ。
それも今のやり取りをみるに杞憂なのだろう。大ごとになる前に駆け付ければ問題ないように思われるが、今回はさすがに不用心だったなとアルは内省した。
祭りを楽しむのも大事だが、もう少し気を引き締めるべきかとやって来た本日二度目の中央広場。そこでは腕相撲大会が開催されていた。
力自慢が意外と好感触だったのか、注目を集められれば何でもいいのか。どちらにせよ、午前の広場よりも熱気が高まっていた。
「さぁさぁ! 絶対王者に挑戦するほどの猛者はもういないのか!? このままでは賞品は彼に渡ってしまうぞぉ~!」
ステージ中央にはメイスを折り曲げたデカ男が鎮座していた。目を閉じ、腕組みをしたその姿は威厳に満ちている。
観衆からはデカ男の勝利を確信する声が多く、声援以外にも諦めの言葉が聞こえてくる。圧倒的な力で挑戦者をねじ伏せてきたのだろう。
主催者側はこの演目を引き延ばそうと必死な様子。観衆を煽ってはいるが、そろそろ潮時だと思われる。
「鬼軍曹に勝てるワケないのにな」
「な。腕折られるだけだろ」
さまざまな声に紛れ、巡回中の兵士たちがそんなことを口にしながらステージを横目で見る。
「ヒェッ!?」
鬼軍曹と呼ばれた男は片目を開けて兵士たちを睨んだ。逃げるように去っていった彼らの反応からするに、とても恐ろしい人物なのだろう。
「もう広場は見るものなさそうだし、南側を回ったら今日は終わろうか」
「明日の催し物に期待じゃな」
「いや、明日はこの街を出ようと思ってる」
「なん……じゃと……」
メアはアル以上に祭りを楽しんでいた。それは誰の目から見ても明らかだったので、予想通りの反応と言える。
ならば対策を講じるのは自然なことで、アルは彼女を納得させる言い訳をすでに用意していた。抜かりはない。
「祭りってさ、街によって特色があるんだよな。同じようなの見るよりも、新しいものを見たいと思わないか?」
まるで事実のように語っているが、これはあくまで推測である。それでも根拠があってのことなので、アルは自信を持って続けた。
「街の名産や特産が違うから、出店もかなり変わるだろうな。人が違えば趣向も変わってくるから、何か珍しいことやってるかも」
これはアルの小さな楽しみでもあった。
自身が思い付かないような独自性の高い発想は、どんなものであれ興味深いとつくづく実感する。最近になって自覚したことではあるが、召喚術の学術書を読み耽っていた頃も、今と同じ気持ちだったのかもしれない。
説得中にも拘らず、アルは過去に思いを馳せた。納得させる言葉を用意してはいたが、メアに考える時間を与えてしまった。
つまり、抜かったのである。
「確かに、お主の言うことにも一理ある……じゃが……」
メアは祭りを楽しむ時間が大幅に減ることを気にしていた。中央広場の催しも、明日には様変わりしているだろう。
新たな街か。新たな催しか。二つを天秤に掛け、ああでもないこうでもないと唸っていたのだ。
(しまった……畳み掛けるタイミングを逃した。今からでも……いや、方向性を変えるか?)
メアの様子を見るに、どちらが良いかで迷っている。ならば、その天秤を傾けてやればいい。興味関心の誘導に失敗して焦ったが、まだ何とかなりそうだ。
何か一つ。メアが好みそうな利点を上乗せするだけで、想いは簡単に傾く。
思考を巡らせたアルが出した結論。それはメアの好物を主張することだった。
「メア。次の街の名産って、紫芋なんだよな」
過去に思いを馳せたアルは、決定打になり得る情報を思い出していた。
メアの興味が少し傾く。
「紫芋の栗きんとん」
アルも昔、食べたことがある。エリアルの隣町で採れた紫芋を使用した和菓子。記憶が確かならば、まさに今が旬である。
「紫芋のあっさりとした甘さの中に、上品な栗の甘さがちょうどいいんだよな。どっちも主張しすぎないというか、調和が取れた逸品だと思う」
「今すぐ食しに行こうではないか!!」
メアの天秤は振り切った。
祭りは今しか味わえないものだが栗きんとんはいつでも味わえる。その事実に気付かぬほど興奮するメア。説得には成功したが、彼女を落ち着かせるのに難儀することになってしまうアルであった。




