85話 聖王祭
普段と様変わりした今朝の大通り。
行き交う人は三割増し。されど流れは円滑そのもの。王都やアマツキと比べると、密度はそれほど高くない。けれども街の喧騒は三倍以上に膨れあがり、活気に満ち溢れているのがよく分かる。
聖王祭とは名ばかりで、人々はただただ浮かれて楽しんでいるに過ぎない。誰も彼もが騒ぐ理由を欲していた。
そんな大通りには一時的に許可を取った人たちの出店が所狭しと立ち並ぶ。飲食関係の出店が多く、さまざまな匂いがそこら中から立ち上っていた。
客引きの声が各所から響き、往来する陽気な談笑もそれに釣られて声量を上げる。少しだけ煩わしい雑多な音を聞き流していたアルだが、興味をそそられる謳い文句が耳に入った。
「今しか食べられないよ~」
そんなはずがないと分かっていても、ついつい声のほうへと足を向けてしまうアル。特別感とは恐ろしいものだ。
半信半疑で店主に話を伺ったところ、なんでも希少部位を提供しているらしい。
普段は自分たちだけで堪能しているようで、ハンターの特権だと上機嫌に笑っていた。
値札を確認すると、希少なだけあって思いのほか高い。少し強気な値段設定は祭りだからというのもあるのだろうが、アルも同じ理由で財布の紐が緩くなっていた。
「うまいにはうまいけど……値段を考えると普通の肉でいいな」
そんな感想を抱く程度の浪費に終わった。
南北に走る中央通りに差し掛かると、広場の一角に人だかりが見えた。群衆の前方には簡易ステージがあり、壇上で一発芸を披露している最中だった。
「取り出したるは~~! 何の変哲もない小箱! ほら、中には何も入っていませんね? 良く見てくださいよ? では、蓋を閉じてぇ~……こう! そして振ります! するとぉ~……なんと!」
振った小箱からカタカタと音が鳴る。それは少しずつ大きくなり、観衆の耳にも届いた。
「えー! なにあれー!」
「なんか仕込んでたんだろ」
「ほほぅ?」
子供は驚き、若者は懐疑的に捉え、年配は何かを考える。年齢によって反応が違うのは少し興味深い。
アルも昔、クレセントに似たようなことを見せられたなと思いを馳せる。その時は「絶対に真似しちゃいけない」と忠告されたが、クレセントは木箱の中身だけを器用に燃やしてみせた。
通常であれば、目視を必要とする芸当。今ならその危険性も理解できる。
枠にとらわれない自由な発想と、留まることを知らない奔放な想像力の産物。それはロプトが見せた遠隔召喚のように、任意の場所から精霊術の発動を可能にするものであり、独創性の高さは多種多様な攻撃方法を生み出す。
木箱の中身を燃やす行為自体に危険性はない。だが、それが可能であると認識していることが問題なのだ。突き詰めれば、相手の体内を燃やすことすら出来てしまう可能性を示唆しているのである。
「トランスフォームだろ」
昔を懐かしんでいると、群衆の中から声が上がった。小箱の底に土を敷き詰め、トランスフォームで形状を変化させたのだろうと指摘する。
主に整地などに使用される土の精霊術、トランスフォーム。大規模な公共事業ともなれば、魔力消費も尋常ではない。
そこで腕の良い鍛冶師がトランスフォームの精霊石を大量に生産することで、誰でも効率の良い魔術の行使が可能となった。オルラント王国が急速に発展した一因といえよう。
「それくらい鍛冶師なら誰でもできるだろ!」
「確かにそうだ! 中身を見せろ!」
「えー。あのおじちゃん、ズルしたってこと?」
「そ、それはっ……!!」
広場の空気は一転し、非難が飛び交う。饒舌だった男は何も言えなくなり俯いてしまった。
「はーい、残念だったね~。次はもっと凄いの頼むよ?」
主催者と思しきスキンヘッドの男が壇上にあがり、慰めの言葉と共に降壇を促す。
哀愁漂う背中を見送ったスキンヘッドは、続いて観衆を煽った。
「では、気を取り直して! 我こそはという挑戦者! 俺ならもっと凄いことができると豪語する者! その実力を皆の前で証明しようじゃないか!」
賞品を餌に客寄せパンダを募り、集まった人たちに酒やつまみを提供する。なんとも能率的な方法だとアルは感心した。
「なんじゃ、理屈が分かるとつまらぬものであったな」
メアは途中まで楽しんでいたようだ。
それなら次も観ていくかと果実水を二つ注文。片方をリルに渡して暫し待つ。
「おお~っとぉ? 次の挑戦者はデカい! デカいぞぉ! 何をやってのけるのかっ! これは期待が持てそうだぁ!」
「このメイスを折る!」
「今度は怪力自慢だぁ~!」
掲げたメイスを目にした観衆からさまざまな声が飛び交う。
期待、疑念、挑発。それらを一身に受けたデカ男は不敵に笑った。
「あんなの、ちょー余裕じゃん?」
髪をいじりながら事も無げに言い放つクロ。さすがに神獣と比べるのは可哀想ではないかとアルは苦笑した。
特にクロはそれが容易だと思われる。その加護の名は【精強一閃】。一撃の威力が跳ね上がるという、特異技能系統に分類される加護であった。
ひしゃげたメイスを掲げ、デカ男は吠える。一部からは疑問の声が上がったが、鼻で笑いながらデカ男は告げた。
「ならばお前の得物を寄こせ。ここでバキバキにしてやる」
そう言われてしまえば野次馬は黙るしかなかった。騒ぐこと自体が目的のため、大切な武器を預ける度胸はない。
(あれならメアもできそうだよなぁ。テンも仙術ならいけるのか? エリもいけそうだし……)
全員ができそうだと頭をよぎった時点でアルは思考を停止した。
「よし、そろそろ行こうか」
次は中央通りを北に向かって進む。北側はあまり立ち寄らない場所なので、少しだけ新鮮だった。飲食の出店も減っていき、代わりに小物売りが目立つ。
ゆっくり眺めながら歩いていると、とある出店の前でリルが立ち止まる。視線の先には一組の耳飾り。リンゴを模したそれを食い入るように見つめていた。
「それが欲しいのか?」
「……いい」
にべもなく断るリル。その様子にアルはどうしたものかと頭をひねる。
彼女には強情な一面があり、一度決めたことを簡単に覆したりはしない。納得のいく理由を提示しなければ、その意思を曲げることはないだろう。メアのように、勢いだけで押し切るのは難しい。
妥協案はないかと思考を巡らせていると、リルがこちらに向き直り、一言。
「いこう」
「もういいのか?」
アルの横を通り過ぎたリルは、振り返りざまに応える。
「大丈夫」
靡く髪の隙間から見えた小さな赤。ほんの一瞬だけ顔を出したそれに気付いたアルは、思わず目を見開いた。
「似合ってんじゃん」
「リルさんはとても器用なのですね」
「うむ。中々の手際じゃな」
「あの短時間のうちに再現しようとは。リルの観察眼には目を見張るものがあるの」
見慣れたリンゴを模した耳飾り程度、難なく再現してしまうらしい。
確かに実物を身に付けるよりも効率的だ。壊れることも、落としてしまうこともない。リルが断る理由も納得できる。
しかし、これでは商売あがったりではないのか。アルは少しだけ罪悪感が芽生えた。
(まぁ……複製品なんてどこにでもあるか)
アルも利用している図書館。所蔵された書物は複製品の最たるものだ。今さら気にすることでもないと、気を取り直して歩みを再開した。
軽やかな足取りのリルに釣られ、アルの表情も緩む。そこに祭りの空気感も加わり、上機嫌に散策していたアルの耳に歌声が届けられた。
昔に何度も聞いた唄。一緒になって口ずさんでいた唄。今でも記憶に残るその内容に、アルは思わず舌打ちをする。
始まりにして全ての元凶。
宿敵を褒めたたえる物語。
この先には教会があることを思い出したアルは、目つき鋭く裏路地へと消えていった――。