83話 継承
言葉を尽くす。それはとても大切なことである。
想いを伝えるため、お互いを理解するために言葉を交わす。そのせいで足元を見られたり、罠に掛けられたりすることもあるだろう。人はなかなか腹を見せない生き物。立場や価値観の違い、些細なすれ違いなどから悲劇を生むことだってある。
しかし、神獣に限ればそういった駆け引きを必要としない。意思疎通が可能な召喚獣ならば尚更だ。
こちらが真摯に向き合えば、同じように返ってくる。一部例外はあるものの、人と違ってとても解りやすい。加護に強く触れることで、漠然とした感情の傾向くらいならば察することもできる。
そういった事情から、ハクとの会話は実りあるものになった。短期間ながらも充分に尽くせた。アルはそう確信していた――。
「つまり、教会をただ潰すだけじゃ根本的な解決にはならない、ということか」
「そうだ」
ハクから齎された情報は核心に迫るものだった。
正確にはロプトが集めた情報なので、鵜呑みにするわけにはいかない。真偽を確かめる必要はあるのだが、それでも、信じてみようと思えるだけの根拠があった。
召喚獣を隷属させる術。
暗号化された文書の存在。
――僕も、それだけは何とかしたいと思ってたんだ――
その言葉のとおり、ロプトは暗号化された文書に細工を施していた。
気付きにくい、ほんの小さな改ざん。発覚を遅らせることで犯人特定を困難にしつつ、時間稼ぎをするための工作。
それは口から出任せなどではなく、彼の心からの言葉だったのだ。
もし、その事実をアルが知っていれば。
もし、出会い方が違っていたのならば――。ロプトの提案を受け入れていたかもしれない。
復讐に手を貸す気はないが、志すものが同じならば、信じる根拠としては充分である。
(それにしても、皮肉なものだな)
敵だらけの教会内部で、まさに孤軍奮闘していたのは運命の悪戯だろうか。ハクの加護は【虎軍奮闘】。孤だったロプトは虎を得たのだ。
運命なんて曖昧なものをアルも信じているわけではない。しかし、仲間を得ようとしたロプトは失敗し、命を落とす結果となった。何か大きな力が働いているのではないかと疑いたくなるほどに、運命に翻弄されていた――。
「ケルベロスを何とかしないといけないのは分かるけど、狂犬の召喚陣は世間に広く知られてるからなぁ」
ロプトの見立てでは聖王の死は近い。精神的負荷を掛け、短い寿命をさらに縮めようと動いていた。
そして機を見計らい、更なる負荷を掛けて看取る。目撃者不在の中でケルベロスを簒奪する計画。まさに死人に口なしである。
「それに、封印するのを止めろと言って、素直に聞くかどうか……」
モンスターと戯れるメアを見ると、非常に生き生きとしていた。これは彼女からモンスターを奪う行為に等しいのではないか。金輪際、戦うことを禁止するとメアに告げたとして、彼女が納得するはずがない。
「だが、ケルベロスを奪取しないことには始まらない」
ケルベロスの加護は【異界の扉】。メアたちの住む世界へと繋がる唯一の道。
それがどういった原理で召喚獣の封印を可能にしているのか。知らなければ対策のしようがない。
「まぁ、そうだよなぁ。狂犬の召喚陣描いた紙でも体に貼っておくか」
冗談半分で言ってみたアルだが、この方法ならば奪える可能性が出てくる。
メアの推測によると、膨大すぎる魔力が召喚失敗の原因だ。それは裏を返せば神獣のみに絞って呼び出すことが可能となる。聖王が神獣の継承を行えない状態だった場合、掠め取ることができるというわけだ。
「アルは冗談が得意なのだな」
「なんか……人に言われるのは心外だな」
自他ともに認める滑稽な作戦だが、状況次第では確実に奪い取ることができる。内容はどうであれ、有効な手段であることは間違いない。
「それはすまなかった」
「あぁ、いや……。まぁ、なんだ。やらないよりはいいんじゃないかなと」
昔の召喚陣は大きく複雑だったらしいが、今ではかなり簡略化されている。なかでも狂犬の召喚陣は単純な部類。懐に忍ばせるくらいならばできるだろう。
とは言え、召喚陣を小さく描こうと思えば、その分だけ精密さが要求される。
線の太さを均一に、インクが滲まないよう慎重に。大きく描いたときとは違って誤魔化しが利かないため、繊細な作業を想像したアルは少し億劫になった。
汗やシワで召喚陣が駄目になると、その都度描き直さなければならない。折りたたんだ紙を逐一広げて確認するのも効率が悪い。
(考えただけで面倒になってきた……)
聖王の死期が近いなら数日間くらいはやっておくべきか。気乗りしないアルは【生命の躍動】を強く意識することで、前向きに検討しながら帰途についた。
ディロに戻ったアルは街の異変に気付く。人々の往来が増え、皆一様に忙しなく動き回っている。店先ではなにやら作業している人も多く、それは祭りを予感させる活気あふれる様子であった。
アルは周囲の声に耳を傾ける。衝撃の言葉を耳にしたアルは、一目散にギルトへと向かった。
「……これだな」
ギルドに到着するや否や、掲示板の確認をするアル。その表情は険しい。
――二三代目聖王の誕生――
人だかりの中で記事を読み進めていたアルは、「白々しい」という言葉が口から出そうになった。
なんとか堪えて続きを読む。
魔王討伐の立役者である狂犬の神獣を使役する者が、聖王の資格を有する。
それを秘匿していた理由。そして、神獣がリーブルという男を認めた為、継承が完了したとの報せだった。
召喚獣の継承が成功した事例は極めて少ない。それを行おうとすれば、契約を破棄されるからだ。
お前はもう用済みだ、と告げるに等しい行為だからというのが現在のところ最も有力な説。であるにも拘らず、リーブルという男は継承に成功した。ロプトの言ったとおり、リーブルが有能であることの証左だろう。
ハクを見ると、浮かない顔で記事を読んでいた。彼女の肩に手を置いたアルは、小さくも力強い声を意識して告げた。
「大丈夫。全部なんとかする」
過去を清算したアルは、強い決意と共に目標に向かって邁進している。
ヨルの召喚を解いても精神異常はみられない。今なら誰にも負けないという自信。負けられないという熱い想いがアルを突き動かしている。
それに、時間が掛かってもいいのなら、確実に解決できる案があった。
クレセント・ヴォルテクス。
今は追放された身だが、実の兄であるクレセントが家督を継ぐのは時間の問題。数年もすればヴォルテクス家の当主となる。
ルーセントとは違い、クレセントならアルの話に真摯に向き合い、聞き届けてくれるだろう。
実力は折り紙付きで、アルがこの世で最も尊敬している人物。もう何年も会っていないが、今はどれほど実力を伸ばしているのだろうか。想いを馳せながら宿まで戻った。
宿に戻ると、なにやら落ち着かない様子のメアが問い掛ける。
「どうするのじゃ?」
「どうするも何も、俺たちの目的は変わらない。これまでどおりにダンジョンを回るだけだ」
「そうではない」
アルの強い決意を否定するかの如く、メアは素っ頓狂なことを言い出した。
「祭りであるぞ? お主のことじゃ。体験したことがないのであろう?」
「……」
確かにメアの言うとおりではあるが、その祭りの名は聖王祭。何も知らない幼少期のアルならば、今ごろ浮足立っていただろう。それが容易に想像できるだけに、なんとも腹立たしいことである。
大きなため息と共にアルは口を開いた。
「敵の誕生を祝ってどうするんだ」
「そう……であるか……」
意気消沈するメア。その様子に頭を抱えたアルは、仕方ないとばかりに遠くを見つめて呟いた。
「なら……行くか……」
腹立たしさの渦中に飛び込むことで、精神異常を引き起こさないかの実験。これは検証のためであると、強引に自分を納得させるアルであった。
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