82話 それぞれが目指す先
「ロプト――」
「ははっ。これはさすがに……僕の負け、かな」
一定の距離を保ちつつ、二人の様子を見守る。シトラと呼ばれた神獣の切なる願い。それを聞き届けた形だ。
「諦めるのか?」
「そう……だね。でも、僕の目的は……彼が、果たして……くれるよ」
途切れ途切れに言葉を振り絞るロプト。このまま血を流し続ければ、遠からず力尽きるだろう。注意深く観察するが、回復術を使っている気配はない。
アルに視線を向けたシトラは問う。
「そうなのか?」
男の復讐には一切興味がないアルだが、目的が一致してしまっている。
教会を潰せば当然、悪事に手を染めた者は然るべき罰を受ける。ロプトの標的は数々の余罪を含めると、処刑を免れることはないだろう。自身が手を下さずとも達成されるというわけだ。
「……必然的にそうなる。こいつの願いを叶えることになるのは癪だが」
「これは、手厳しい……な。でも……。僕は……言葉を、間違えた。……選択を、間違えて……しまったんだ」
ロプトは相手の警戒心を解くため身の上を話した。
同情を誘うように、共闘するに足る理由を示した。
それが間違いであったと。先に相手の逆鱗を知るべきだったと。
目的違わずとも、その理由までもが重なるわけではない。敵を知らずに舌戦という戦場へ赴いたことが、己の敗北に繋がったのだと悟った。
「シトラ……。彼らに……協力してくれ、ないかな」
目的は一致している。ならば何も問題はない。むしろ、彼らに与するほうが達成は容易だろうとロプトは説いた。
「私はそれで構わない。悲願が成就されるのであればな」
釈然としない顔で話を聞いていたアルに視線が集まる。
「どうするのじゃ?」
「……いいだろう」
少し考えたアルは受け入れることにした。
猛虎の召喚陣を教会が独占しているのであれば、手元に置いたほうがいい。召喚獣が召喚主に牙を剥いたという話も聞いたことがない。ならば契約を交わすことが今の最善。不穏な気配を感じ取ったならば、契約を維持したまま召喚しなければ大した被害にはならない。
少なくとも、情報伝達の遅延を生じさせるという利点は魅力的に映った。
「ただし、教会の手先だと判断した場合、契約を解除させてもらう」
手元に長く置くため、念の為にとアルは釘を刺す。しかし、それは杞憂に終わった。
猛虎の召喚陣はロプト自身が発見したものらしく、教会はその事実を知らない。
ただ、テュルティ・ハティムという少女だけは、シトラの存在を把握しているという話であった。それも獣姿を見せただけで、人の姿は見せていない。ならばやりようはいくらでもある。
鵜呑みにするわけではないが、シトラを観察することで答えは自ずと知れるだろう。アルは加護との結び付きが強くなるほどに、感情の片鱗に触れている実感が湧いていた。
「私は白虎。知ってのとおり、神獣だ。お前たちの目的、改めて問おう」
力強い視線を向けるシトラ。黄金の瞳がアルを映す。
アルも負けじと強く、そして端的に答える。
「教会を潰し、全ての召喚獣を解放することだ」
「ロプトの目的とも重なるわけか。ならば私に異論はない。ただ、盟約の際、新たな真名を与えてほしい」
「分かった。そうだな……。【ハク】と名付ける」
「私が責任を持って見届ける。心配は要らない。私の願いでもあるのだから――」
彼女の言葉にロプトは表情を緩ませた。気力を振り絞ってなんとか命を繋いでいる状態だが、その顔に苦悶の類は一切見られない。とても穏やかなものだった。
二人のやり取りを観察していたアルは、抱いた違和感を解消すべく問う。
「ハクの願いを聞かせてくれ」
「根源の断絶。お前たちの目的とも重なる」
それを成すには教会を叩くことが必須条件。ロプトに協力していた理由もそこに帰結する。
神経を尖らせていたアルは緊張を解くと、物憂げにため息をこぼした。
それぞれ立場は違えど目的を同じくする同志。何かひとつでも変わっていれば、仲良くとまではいかなくとも共闘関係を築けていた。そんな未来もあったのではないかとアルはロプトに同情した。
「ここには俺とお前、二人しかいない」
なんの脈絡もなく吐き出した言葉――。
自身の言い表せない感情を整理すると同時に、目的達成が容易であると伝えるための発言。ロプトに対する手向けであった。
「それは……凄いや……」
言葉の真意を理解したロプトは微笑み、そのまま安らかな表情で眠った。
「ロプト。これは連れていく。一緒に見届けよう」
ハクはロプトの剣を優しく手に取る。それを慈愛の眼差しで見つめると、おもむろにローブの中へとしまった。
「行こう」
返事をしようと口を開いたアルだが、「もういいのか」なんて野暮な台詞は飲み込むことにした。
神獣は人の生死よりも、意志や想いといった感情を大切にしている節がある。アルもそういった傾向がないとは言わないが、ハクを見ていると強くそう感じた。
長く生きていることが関係しているのだろうか。召喚主との死別を繰り返すなかで、人とは違った価値観が芽生えたのだろうか。そんなことを考える。
過去を問うた時にも、メアたちの口から前任者の名前すら出てきたことがない。思い出さないよう避けているのかと、アルはそこに触れようとはしなかった。自身と重ね、それが正しいのだと言い聞かせてきた。
しかし、ハクの様子を見ていると、それも何か違うのではないかと。形見の剣を連れて一緒に見届けようとするハクの表情に悲嘆はなく、強い決意が感じられた。
故人の意志。今を生きる人の想い。どちらも大切なもので、優劣などつけられないのだろう。もちろん、命が軽いと言っているわけではない。アルも散々、命を救われてきた。
メアたちにとって、何が大切なのか。何を想い、何に悲しみ、何に憤りを感じ、何に喜ぶのか。もっと知る必要がある。
意思疎通が退化したというのなら、加護を意識することで感情に触れる。彼女たちを理解する。
精神に入り込んだ加護は彼女たちの本体、核を成すものではないか。そう考えると、色々なことに納得がいった。しかし、すべては憶測の域を出ない。
さまざまな感情が混在する召喚術は奥が深いものだなと、アルは改めて実感しながらディロの街へと戻った。
そろそろ寝ようかとベッドの割り振りを考えていると、ハクが疑問を呈した。
「警戒しないのか?」
「それが言えるなら大丈夫なんじゃないかな」
警戒するに越したことはない。だが、ハクとロプトの付き合い方を見ていると、なにも問題ないように思えた。目的とその理由にも納得できた。
自分からそれを言えるのであれば、今のアルに不安要素はない。
「甘いのだな」
「そうか? 召喚獣が召喚主に危害を加えたって話も聞いたことがないしな」
アルは疑義の目をメアに向けた。
「妾がいつお主に危害を加えたというのじゃ!」
「また物欲しそうに涎を垂らしたいのか?」
「――っ!? わ、妾は先に寝るとしよう!」
そう言ってベッドに潜り込む。
「彼らはいつもああなのか?」
「先日、メアがおいたをしてしまっての。それが尾を引いておるのじゃろう」
「普段はとても頼りになるお二方なので、心配には及びませんよ!」
「それならいいのだが」
ハクも色々と不安なのだろう。念の為にと肝心なこと、詳細についてはまだ何も話していなかった。
だが、その必要は、もう無い。
良く言えば一途。悪く言えば単純。そんな神獣は人と違って複雑な腹の探り合いなど必要としない。
明日からはお互いを知るため、言葉を交わそう。まずはわだかまりを解消すべく、何から話すべきかと思案しながら眠りにつくアルであった。