76話 紡ぐ想い
積年にわたって積もる話。
ミーシアの伝えたかったこと。
その縁談は二人が想像していたようなものではなかった。
しかし、綴られた手紙の返事は一切なく――。
どうすればアレクシスに伝えることができるのか。
男爵家の力では、侯爵家に意見すること叶わない。
貴族という身分で、勝手が許されるはずがない。
そうやって積もりに積もった話。伝えなければならない真実。
気を揉む必要は無い。心配することなど何ひとつとして無い。
アルが会いに行く伝手を求めていたように、ミーシアもまた、伝える手段を模索していた――。
「それなら……本当に良かった」
「ぜんっぜん良くないですよ! このままじゃ私、枯れちゃいます!」
安堵するアルとは対照的に、焦りを見せるミーシア。彼女は今、冒険者ギルドの長として忙しない毎日を送っていた。
貴族になれば時間もたっぷりと取れる。勉強をするのもいい。そう言っていたミーシアは、思っていたものとは違う勉強をたっぷりとさせられることになった。
「貴族って、思ってたよりもすっごく忙しいんですよ!」
各種ギルドの長は領主の親族が務めている。
歴史の浅い男爵家は親族が少なく、そのうえ冒険者ギルドの長は高齢だった。引退しようにも他に適任者がいなかったため、寄親を頼って後継者を探していた。
そこで紹介されたのがヴォルテクス家であり、そしてミーシアに白羽の矢が立った。
これが事の顛末である。
「手を抜く貴族のほうが多いと思うんだけどな。ミーシアらしいというか……」
真面目にすべてを熟しつつ勉学にも励むとなれば、時間が足りなくなるのは当然。人に任せられることは任せたほうがいいとアルは指摘する。
「あの、本当にそろそろ時間が――「わかってます!」」
先ほどから何度か催促されているが、そのすべてをミーシアが制止していた。
それに甘えてついつい話し込んでしまったが、男の表情を見る限り本当に時間がないようだ。
「ミーシア。さすがにそろそろ行ったほうがいい」
彼女はギルド長会議に出席するため馬車に揺られていたのだ。こんな所で油を売っている場合ではない。
男と何度か問答したミーシアは渋々承諾し、アルに向き直る。
「三日後の夕方には戻ります! 絶対、ぜーったいに! 待っててくださいね!」
それだけ告げたミーシアは、返事を待たずして馬車へと駆けた。
「ミーシア!」
馬車に乗り込む直前。
アルは彼女を呼び止めた。
「すまない、ミーシア」
すべてを伝えることはできない。
それでも、伝えなければならないことが残っていた。
「残念だけど、待ってる時間はない。急ぐ旅なんだ」
ギルドに寄れば、ミーシアと会えることが分かった。
彼女の現状も理解した。
ならば、今はそれで充分であると。
過去に囚われる必要はないのだと。
「説明することは……ちょっと難しいけど、全部終わったら会いに行くよ」
これからは前だけを見て歩いていける。
昔のように、目標に向かって邁進することができる。
それだけは伝えなければと、アルは言葉を吟味する。
その間、ミーシアは人差し指を頬に当て、考える素振りを見せていた。
アルの言葉が途切れたのを確認すると、優しく微笑みながら問い掛ける。
「なにか、やりたいことが見付かったんですね」
「あぁ。成し遂げるべき目標ができた」
可能な限り、力強く返答する。
言葉に心情のすべてを込める。
説明できないのなら、せめて確固たる意志を。
一意専心、夢に焦がれていた頃のような――そんな、情熱を傾けているものがあるのだと示す。約束通りに笑顔の再開を果たせたのだと伝える。
そんな彼の想いを感じ取ったミーシアは、おもむろに口を開く。確認するようにして問い掛ける。
「アレクシス様は、今、幸せですか?」
「幸せ……と言うものが何かはまだ分からないけど、少なくとも以前より充実した毎日を送ってる。たぶん、昔よりも、今のほうが――」
先へと続く適切な言葉が見付からない。
今の想いを言語化することができない。
それでも――。
「俺はもう、大丈夫だ」
ミーシアの目を見据えて応える。
強い決意を込めた、それでいて優しい眼差しを意識して。
彼女を安心させようと心掛ける。
穏やかな笑みを浮かべたミーシアは、胸に手を当て目を閉じた。
「それなら……」
短い沈黙のあと、目を開けた彼女はとびきりの笑顔で続きを口にする。
「それなら、私も幸せです!」
そうして二人は昔のように笑い合い、名残を惜しむようにミーシアは去っていった。
馬車を静かに見送っていたアルは、その姿が見えなくなると口を開いた。
「メアは一週間、栗きんとん禁止な」
「――なっ!? なぜじゃ! お主は妾に恨みでもあるのか!?」
「確か、『恋仲だったに栗きんとん』だったか?」
「お、お主! 聞いておったのか!?」
ミーシアと話をしている間、彼女たちは小声で話し合っていた。
それに気を取られて集中力を削がれたアルは、言葉をうまく選べているのだろうかと不安になっていた。
別れ際の笑顔を見るに、その心配は必要ないのだろうが。
「だから言ったじゃろう? あれは恋仲などではない。あやつの目は、親が子に向けるような――親愛と呼ぶべきものじゃろうと」
(親……か。そうなのかもしれないな)
アルは普通の家庭というものを知らない。親が子に向ける愛情も、当然にしてわからない。
ミーシアのアルに対する接し方は、貴族に対するそれではない。
友人のように接してきたアルだが、彼女は親の代わりを務めようとしていたのではないか。親に向けられなかった愛情を、代わりに伝えようとしていたのではないか。
そう考えると、胸が締め付けられる思いだった。
(早く終わらせて、ちゃんと感謝を伝えないとな)
何気ない日常でも、そこには人の想いが込められている。気付かぬうちに、何かを感受している。
「よし、行こうか」
それに気付いたアルは、新たな心持ちを胸に湖畔の町を目指した――。
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「これは……」
スミルトが退出したので書簡の確認を再開したエーリッヒは、一つの報せに悪い予感が頭をよぎる。
慌てて部屋を飛び出したエーリッヒは、スミルトを追いかけ呼び止めた。
「猊下! ヘズリム猊下! しばし……暫し!」
「どうした?」
彼の慌てように面食らったスミルトだが、なるべく落ち着いて対応するよう心掛ける。
「こ、これを――」
差し出されたそれは、ヴァン支部より届いた返書。帰還命令に対する返事であった。
内容を確認したスミルトは声を荒げる。
「なんだと!?」
それはリーフェ・ロマーニが消息を絶ったと告げるものであった。
ひと月以上も前から姿を見せておらず、そこへ突然の帰還命令。
枢機卿が何をしているかなどヴァンの司教は知らない。姿が見えないことに不信感など抱こうはずがなかった。
他者より深い事情を知るスミルトは嫌な予感に胸がざわつく。
深入りしてしまったのか、あるいは――。
「いかが……いたしま、しょうか」
息を切らしながらスミルトの見解を問うエーリッヒ。
「聖下に報告してくる」
それだけ言い残すと、目にも留まらぬ速さで駆けていった。