72話 相乗効果
アルは剣術が苦手である。
幼少期は召喚術にのめり込み、座学や瞑想ばかりを行っていた。
身体強化ができないばかりに剣術の稽古に身が入らず、その技術は駆け出し冒険者にも劣る。
成長期に入ると、活動の大半を部屋の中で過ごすことになった。
書物に囲まれ、体を動かすことなど軽いストレッチくらいのものである。
そんな日々を送ってきたアルは、体を巧みに操る術を知らない。思うままに動かす方法を知らない。
劣等感を植え付けるには、それだけあれば充分だった――。
「矢張り、妾の見立てどおりであったな」
アルと小一時間ほど手合わせをしたメアは、そんなことを口にする。
「今日は、なんとか……形には、なった気が、する……」
息を切らしながら答えるアル。
魔力さえあれば無限の体力が得られる召喚獣を羨ましく思うと同時に、とても頼もしい存在であると再認識する。
「そうじゃな。以前と比べると、その差は歴然であるぞ。まだ拙い部分も多くぎこちなくはあるのじゃが、それもすぐに慣れるであろう」
メアの予想したとおり、【軽捷自在】はアルの苦手とする部分を補って余りある効果を発揮した。
短期間にいくつもの加護を会得し、その度に変化をみせる強靭な肉体。
それを操作する技術が追いつかない。強大な力を持て余す。それが先日までのアルだった。
しかし、【軽捷自在】の加護により、扱いきれなかった力を最大限に引き出すことが可能であると。【感覚強化】の加護があれば、それも近いうちであろうとメアは指摘した。
メアが言うように、昨日よりも動けているという自覚はある。だが、こちらが何をやっても軽くあしらわれている気がしてならない。彼女の平然とした顔を見ていると、アルはそう思わずにはいられなかった。
「メアって、どれくらいの力でやってるんだ?」
現時点での力の差を確かめようと、アルはメアに問う。人の身で敵うとは到底思えないが、少しでもその力に近付きたいと思った。
この二日間、メアとの手合わせを経て、アルの心境には小さな変化が訪れていた。
「相手の力量を推し量ること、それも重要な技術であるぞ。それに気付けぬようではお主もまだまだということじゃな」
またしても武の極致のようなことを言い出すメア。露ほども理解できなかったアルは、その道のりは果てしなく遠いのだと悟る。
「見栄じゃの」
「だね」
「――なっ!?」
二人の手合わせを見学していたテンがそうこぼすと、慌ててメアが言い繕う。
「何を申すか! 妾はまだ本気を出しておらんぞ! 確かに目まぐるしい進化を遂げておるが、技術はまだまだ稚拙じゃ!」
「つまり、力だけならば負けておると。そう申しておるのじゃな?」
「そうは言っておらぬ! 妾が負けるはずないであろう! 百戦百勝じゃ!」
平然としていたメアの表情に焦りの色が見え始める。
「それに、妾は薙刀があれば無敵じゃ!」
口数が増え、関係のない話まで出てくる。
「薙刀がないと、勝てなくなる」
「そういうことじゃの」
「なっ!? ええい、薙刀をここへ! お主も剣を取るのじゃ!」
話はアルそっちのけで進み、なぜか武器を取って試合をする方向へと流れる。
ここで雌雄を決するのだと意気込むメア。どうも自分が一番でないと気が済まないらしい。さすがは百獣の王といったところか。
「武器を使うのは危ないからやらない」
しかし、アルはそれをきっぱり断ることにした。
今はまだ力任せの剣術。技術のない者が本気で振るえば、いくら特注した剣でも簡単に折れてしまうだろう。
メアの使用する薙刀はそれほどまでに凄まじい破壊力を誇る。巧く捌くことができなければ、怪我だけでは済まない。
そろそろ武器を強化する精霊石の購入を検討してもいい頃合いなのかもしれない。
そんなことを考えていると、香ばしい匂いが漂ってくる。
まだぶつくさ言うメアの言葉を聞き流しながら、アルは匂いのする方へと足を向けた。
「また取ったのか」
見れば三匹の魚を焼いているところだった。
「上流のほうに行けば、まだまだいるみたいだよー」
アルたちが手合わせをしている間に、川を上って捕まえてきたらしい。
テトは魚を捕まえるのが上手く、前日は池の魚を取り尽くしてしまったのではないかと思うほどだった。
「それ、何匹目?」
呆れるようにして問う。アルは前日にも同じ言葉を発していた。
その時は「わかんない」と返ってきたが、今回はどうか。
「今日はまだ五匹しか食べてないよ!」
数が数えられなくなるのは何匹目からだろうか。そんな失礼な好奇心を抱きつつ、アルは苦笑いを浮かべる。
今はまだ昼前。テトは封印されていた数百年間の空腹を満たすかのように貪っていた。
「昨日、そこの生け簀に入れておいたんだけど、朝見たらいなかったんだよね」
「烏にでも攫われてしもうたのじゃろう。人の住む土地に烏はつきもの。今もどこかで狙いすましておるのではないか?」
「うー、僕が捕まえてきたのにー!」
まだ五匹という言葉の意味がそこにあった。
烏は雑食性、かつ、知能が高い。コテージ脇にある小さな生け簀で泳ぐ魚など、簡単に捕食してしまうのだろう。
「テトって、いつもあんなに食べるのか?」
近くに居たテンに、耳打ちするかのように問う。
「あそこまで食い意地が張っておるのは初めて見たの。前回、お預けを食らっておるからそれが影響しておるのやもしれぬ」
食費がかさむのではないかと心配になったアルも、それを聞いて安心する。むしろ、ここでたくさん食べてくれたほうが安上がりというものだ。
「聞こえてるんだけどー?」
「ここなら食べ放題だからな。誰かに見られる心配もないし、今のうちに好きなだけ食べておこうか」
誤魔化すように話を誘導するアル。辛い過去よりも未来に目を向けて欲しい。そんな想いも含まれていた。
そして何より、ここは言葉どおりに食べ放題だ。宿泊代に金を掛けた分、アルは食費で元を取る腹積もりでいる。
「俺も上流行って取ってこようかな」
そろそろ昼食の時間。広場の生け簀には魚が見当たらないのでどうしようかと思っていたところだ。
自分の手でつかみ取ったからだろうか、塩をまぶして焼くだけで美味しくいただけた。料理をしたことがないアルはテトに焼いてもらったが、次は下処理含めて自分でやってみようと思っている。
「メア。勝負をしようか」
「先程からそう言っておろうに!」
まだ不満気なメアの鬱憤を解消すべく、アルは勝負を持ちかけた。
「どっちが多くの魚を取れるかで勝敗を決めないか?」
「魚捕りなど児戯に等しい行為じゃ! そんなもので白黒つけて何の意味があろうか!」
「メアは魚を食べないからピンとこないかもしれないけど、食って大事だと思わないか?」
メアが興味を持ちそうな言い回しを意識するアル。その意見に同意した彼女の反応を窺いながら続ける。
「相手を捕食する能力が高いってことは、生きていくための能力に長けているってことだろ? 弱肉強食の世界で生きるためには重要な能力だと思うんだよな」
釈然としないメアの様子に、少し強引だったかと頭を捻る。何かいい案はないかと思案する。
あまり長く考え込むと、こちらの思惑に気付かれる可能性が出てくる。なので、多少強引にでもメアの好きそうな言葉を選んで畳み掛けることにした。
「つまり、これは食物連鎖の頂点を決める戦いだ! 捕食者としてどっちが上か、雌雄を決するとしようじゃないか!」
「その勝負、受けて立とうではないか!」
――チョロい。
口元が緩みそうになるのを必死に堪え、川の上流目指して二人は歩き出した。
その様子を見守るかのように、一匹の烏がこちらを観察しているとも知らずに――。