62話 瞳に映る景色は
満天の星空の下、オルラント王国南部を東に向かって駆ける集団がいた。
大きな獅子はアルとヨルをその背に乗せ、ひた走る。
先導するのは一体の狼。大きな獅子が何者かと鉢合わせしてしまわぬよう前方の警戒にあたる。
王国南西部から南東部までの大移動。本来ならば十日ほどかかる道のりを一気に駆け抜ける。
これには時短だけでなく、新たな体験をする意味合いもあった。
「主様。こうしてゆっくりと眺める星は綺麗でしょう?」
後ろから優しく問いかけるヨルに対し、アルは夜空を見上げながら答える。
「あぁ。思ってたよりも星が良く見える」
街の中は通りに設置された魔鉱石の光に溢れ、そのため天から降り注ぐ微かな光が地上までは届かない。こうして星以外の光源が見当たらない大地の上、ゆっくりと夜空を見上げたのは初めてだった。
もっとも、今はメアの背に乗り高速で移動している。こんな状況ではゆっくりも何もないのだろうが。
それでもメアは人を乗せて走るのが得意なようで、とても乗り心地が良い。おかげで落ち着いて眺めることができている。
そもそも屋敷の中で過ごすことの多かったアルには、夜空をゆっくりと見上げた経験すらなかったのだが。
「街の中は光に溢れておるからな。昔はどこに居ても良く見えたものじゃが」
人々は魔鉱石の力によって夜の闇を克服した。
自ら光を放つ特性を利用して作られた光の精霊石。それは火から発せられる光とは違い、どんな場所でも安全に照らすことができる。用途に合わせて仕様や光量を調整して加工されるため、さまざまな場面で利用されていた。
火を起こすのもそうだ。
精霊術が苦手な者でも、精霊石さえあれば簡単に火起こしが可能となった。専用の精霊石を鍋に取り付ければ薪をくべてやる必要すらない。
鍋の中を水で満たすのも水の精霊石がやってくれる。いつでもどこでも清潔な水が手に入るのは大変ありがたい。
大きさは女性の拳ほどしかないため携行性が高く、精霊術士がいなくとも旅や行商が比較的楽になった。街同士の交流を活発にさせた要因である。
その利便性の高さから魔鉱石は生活に欠かせないものとなり、人々の暮らしにゆとりを持たせた。それはオルラント王国の発展に最も寄与したと言っても過言ではない。
ダンジョンの出現からおよそ八〇〇年。そうやって人々の生活はとても豊かになっていったのだ。
「この星空が街にいても見られるのは魅力的だけど、やっぱり光のない暮らしは考えられないかな」
アルには想像することしかできないが、それはとても不便なものとなるだろう。精霊術が使えない者にはなお更だ。
たとえ扱うことができたとしても、精霊との親和性が低い者では魔力消費が激しくなる。快適な生活とは言いがたい。
アルも精霊石のおかげで快適な旅が続けられている。今さら手放すことなど出来はしない。
それに、この景色が普段見ることのできない特別なものであるからこそ魅力的に映るのだろう。
比較対象が無ければ、人はそれを当然として受け止める。そこに特別感などは存在せず、ただただ平凡な日常風景として捉えてしまう。
月並みだと片付けていた出来事でさえ、少し見方を変えてやれば輝く。しかし、そこに気付ける者が一体どれほどいようか。
これほど美しく輝く星々を、平凡な日常だと切り捨ててしまうのは物悲しいことである。
さまざまな日常を改めて感受してきたアルは、そんな事を想いながら感慨に耽る。
何気ない日常でも、それはかけがえのないものであると。感じてきた全ての想いが自分自身なのだと。どこまでも澄み渡る星空を眺めながら、心に強く刻み込んでいく。
そうやって空が白みを帯び始めたころ、ワセトの街に到着した。
「まずは宿の確保からだな」
大部屋のある宿はそう多くない。まずはそこから始め、次に朝食。
そしてギルドでダンジョンの場所を確認したいところなのだが、ここで一つ、大きな問題に突き当たる。
王国南西部から南東部までの、一夜にしての大移動。これは馬を最大速度で走り続けさせなければ不可能な距離であり、そんなことをしては途中で馬が潰れてしまう。
召喚獣に乗って移動する人もまれに存在するが、長距離移動にはさまざまな問題が生じるため適さない。
そもそも足の速い召喚獣は軒並み小型であることから、成人男性を乗せて長時間移動するなど土台無理な話であった。
そして、各種ギルドは定期的にギルド長会議を行っている。それは地方ごとに分かれているとは言え、どこから情報が洩れるか分かったものではない。
一度議題に挙がってしまうと、馬の召喚陣が見付かったのではないかという話になり、貴族に監視される恐れもある。
それを回避するには到着日を誤魔化す必要があるため、ギルドへ寄るのは頃合いを見てから。今日のところは狂ってしまった体内時計をリセットする。
朝起きて夜に眠ることが、心と体の健康を保つための重要な要素。ここを疎かにしていては本末転倒というものだ。
宿で仮眠を取ったアルたちは、昼を少し過ぎた頃に街の散策へと繰り出した。
食べ歩きをしながら街の様子を確認し、特産や名所などを尋ねて回る。少しでも興味を惹かれたものがあれば試してみる予定だ。
そうやって屋台を巡っていると、感興をそそられる情報が得られた。
「別に観光名所ってワケじゃねぇけど、俺の個人的スポットなら教えてやるぜ?」
「どんな場所なんだ?」
「そりゃおめぇすげぇ場所よ。な? 興味あるだろ?」
どうやら商品を買っていけということらしい。
「おっちゃん、商売上手だな。じゃぁ、二本もらおうかな」
「まいどありぃ! とっておきの場所だからよ、あんまバラすんじゃねぇぜ?」
焼き鳥を二本買ったアルは、それを食べながら店主の話に耳を傾ける。
どうやらとっておきの場所とは、朝陽が綺麗に見える場所のことだった。
「街の南東に丘陵地帯があるだろ? 最初の丘登ったら南に一本のデカい樹が見えるんだが、そこまで行けばあと少しだぜ」
口調から感じる胡散臭さはひとまず置いておき、その真偽を自分の目で確かめることにした。
「満足したらまた買いに来るけど、そうじゃなかったら二度と買わないからな?」
「ならおめぇもウチの常連ってことだな! ガハハハ!」
上機嫌に笑う店主はよほど自信があるらしい。
ならば見定めてやろうじゃないかと対抗心を燃やしたアルは、翌日にとっておきの場所へと向かった。
南東にある丘陵地帯はとても広く、比較的緩やかな起伏が続いている。
奥へと行けば緑が深くなっていくが、手前側の大部分は草原地帯。その緩やかな坂を上っていく。
二つ目の丘にある大きな樹までやって来たアルは南のほうを見やる。丘を下った先には小川があり、そこを渡って次の丘を少し上ると水の湧き出る場所がある。
その少し上に朝陽が昇るような位置関係で見ることによって、とても綺麗に映るのだとか。
その場所まで向かい、目印を探す。
不自然に岩肌むき出す小さな崖から三歩ほど下がった場所。店主の話ではここが絶景ポイント――なのだが、東を向くと右手には大きな丘。この辺では一番高いようだ。
傾斜もそこそこ急になっているため、視界の邪魔になっている。丘上に登ったほうがいいのではないかとアルは訝しむ。
「まぁ……騙されたと思ってここで見るか」
人の感性はそれぞれで異なる。何が好きだとか何が美しいだとかは十人十色。それが自分と合うのかどうかは実際に確かめる必要がある。
そうして待つこと十数分。
だんだんと空が明るくなっていき、右手丘の頂上に光が射した。
それは瞬く間に坂を下っていき、アルの瞳に朝陽が昇る。
「こ、これは――」
キラキラと輝く光景に、アルは一瞬にして目を奪われた。