61話 欺瞞と虚構の物語
「そこに誰かいるのか」
どこからともなく響くその声に驚き、青銅の門から手を離すアデルト。
「これは……」
向こう側から感じた微かな気配。
もう一度手を当て、その先にある気配を確かめる。
「まさか……。そこに……居るのか?」
「これは珍しい客人だ。冥府土産に我らと盟約を結ぶ気はないか?」
それはこちらの意識に語り掛けるようにして持ち掛けられた。
「お前は何者なのだ。そこで一体何をしている」
「我はキュクロプス。こんな状態で話もなにもないだろう? お互い、顔を合わせてからでも遅くはあるまい」
「ふむ……」
アデルトは考える素振りを見せる。
答えは初めから決まっていたが、これは一種の取引。相手の思惑通りに進めてやる必要はない。
相手の口ぶりから察するに、彼らは自力でこちら側に渡ることができない。盟約を交わすよう誘導したのはそのためだろう。
つまり、この門が彼らを閉じ込める元凶だと推測される。
解放を望む彼らと良好な関係を築くのであれば、相手を感謝の念で縛るのが手っ取り早い。変に取引を持ち掛けて、不快感を与える必要はない。
この盟約は相手を慮ってのことであると思わせ、手綱を握る。
そのためにアデルトは即答を避け、少し考える素振りを見せていた。
「良いだろう。【キュロス】と命名する」
「感謝するぞ、人間」
そうして現れたのは筋骨隆々な一つ眼巨人。
二メートルほどの巨体から得体の知れない威圧を放ち、それは見る者すべてに畏怖の念を抱かせるものであった。
(これほどの怪物がアウル以外にも存在したとはな)
世界は広いものだなと感慨に耽るアデルトであったが、すぐに頭を振って雑念を払う。
ともかく、今はキュロスから聞き出さなければならないことが多い。
「先程、我らと言っていたが……中にはまだ誰か居るのか?」
「もう一人居る。直接、聞いてみるといい」
アデルトの問いに対してこの返答。やはり、中に閉じ込められていたとみて間違いないだろう。
門に手を当て、もう一度呼びかけるアデルト。
返ってきた声はヘカトンケイルと名乗り、盟約を望んだ。
ならば、こちらもついでとばかりに真名を与える。
「そうだな……。【ケイル】と命名しよう」
「恩に着る」
現れたのは六本腕の巨人。やはりこちらも言い知れぬ威圧を放っていた。
「聞きたいことは山ほどあるが……。まずは、この青銅門は一体なんだ?」
「これは我らを閉じ込める檻、タルタロス。忌々しきものよ」
サーベラスの持つ【異界の扉】と似たものを感じた青銅の門。それは抜け出すことの叶わぬ牢獄。
キュロスから話を聞き終えたアデルトは、門に手を当て意識を傾ける。これが加護と同じであるならば、心を通わせる以外に道はない。
「我も手伝おう」
「なら、おいらはこいつの確認でもしておくか」
ゲノーモスは持ち込んだ土塊や結晶の解析を始める。
やはり土塊に変化は見られなかったが、結晶は日に日に大きくなり、前日よりも美しい光を放っていた。
「変質してからの成長がやけに速いな。逆に、変質するまでは時間がかかるみたいだな」
結晶の加工を始めるゲノーモス。これは手を加えることによる変化の差異を確認する実験だ。
その作業もすぐに終わり、手持無沙汰になった彼は門の解析に移る。
それから四半刻ほどした頃、アデルトはひとつの仮説を打ち立てた。
「ゲノーモスよ。サーベラスと共に試してほしいことがある」
アデルトは実験の詳細を語る。
突拍子もない発想に面食らう二人であったが、仔細を聞いているうちに試してみたいという想いに傾く。
「面白そうじゃないか。おいらは問題ないけど、サーベラスは大丈夫か?」
「こればかりは試してみないことには何とも言えないな。我はもう少し調べておく。そちらは任せた」
作業を分担し、実験の準備を始める。
出来上がった結晶を受け取ったサーベラスは、確かめるようにして意識を傾け続けた。
そうして三日が経過した頃、事態は動く。
「誰かが扉を閉じたようだ」
洞窟内に結晶を作るため、アデルトは扉を開けたままこちらの世界へと来ていた。
「村人が訪ねてきたのだろうか」
村と頻繁に交流していたわけではないが、何日も音沙汰無しではさすがに心配になったのだろう。
「サーベラスよ。進捗のほどは?」
「問題ない。必要な情報はすべて知れた」
「あとは試してみるだけか」
少し考えたアデルトは、次に土塊の検証結果を問う。
「ゲノーモスのほうはどうだ?」
「土塊は何の変化もなしだな。変質させるには濃度よりも時間が重要なんだろうよ。結晶のほうは四つが成功だな」
「ふむ……。食料の補給ついでに、一度戻るとしよう」
疲労した身体を癒す必要もあるので潮時だろう。丁度良いタイミングではあったので、荷物を纏めて扉を出現させる。
元の世界へと戻り、洞窟の外へと出たアデルトは絶句する。
眼前に広がる世界は形こそ覚えがあれど、ここが本当に元居た世界なのかと疑問を抱くほどの変わりようであった。
草花はしおれ、樹々は枯れ果て、挙句には多様な獣たちが跋扈している。
それはどこか、扉向こうの世界を彷彿とさせた。
「何奴じゃ!?」
立ち尽くすアデルトはその声で我に返った。
「これはお主らの仕業じゃな?」
続けて発せられた問いに、アデルトは確信を得る。
この事態を引き起こした元凶。それは自分自身であるということに――。
しかし、ここで大人しく捕まるわけにはいかない。まだまだ知らねばならぬ事があるのだと、アデルトは無言で臨戦態勢を取る。
「お主らの企みもここまでであるぞ!」
そうして少女は四体の獣を召喚した。
「あれを試すぞ」
小さく呟くアデルト。それにサーベラスが頷く。
「幽閉――【タルタロス】」
それは結晶を加工した石に疑似的なタルタロスを創りだし、サーベラスの加護により扉で繋いで召喚獣を閉じ込める新技術。
虚空に出現した扉は、少女が召喚した四体の獣を吸い込んでいく。
「お主ら!? どうしたのじゃ!?」
戸惑いを見せる少女。
同時に消えていく獣たちを、どこを見ていいのか分からないといった具合にキョロキョロと見回す。
「返事をするのじゃ!」
しかし、その叫びが届くことはなく――扉は固く閉ざされた。
「どうやら成功したようだな」
「あぁ。私の理論は証明された」
満足気に言い放つアデルト。心が高ぶるのを自覚し、愉悦に浸る。
「お主ら! 一体何をしたのじゃ!?」
アデルトを睨みつける少女は激高半分、当惑半分といった様子。それもすぐに沈痛な表情へと変わっていく。
加護が消失したことで、少女は現状を理解した。
「赦さぬぞ……貴様らだけは!! 召喚――【シリス】」
顕現したその姿にアデルトは言葉を無くした。
これほど神々しいものがこの世に存在することなど彼は知らなかった。
アウルたちのような、禍々しいものとは対照的な存在に目が離せなくなった。
「あれはまずいぞ」
キュロスが警告を発する。
ケイルもそれに同意する。
「俺が時間を稼ぐ。その間になんとかしろ」
アウルが前に出ると、サーベラスがアデルトを引きずるように後退し、キュロスとケイルが散開した。
「【眷属召喚】」
アウルが呼び出したのは三体の巨人。それぞれ特徴の違う彼らは向かい合い、強く握った拳を突き合わせた。
「さぁ、始めようか【ラグナロク】を」
辺り一面に湧き出る無数の巨人たち。その全てが少女とシリスに向かって雄叫びを上げる。耳をつんざく咆哮に、アデルトは堪らず両耳を塞いだ。
空気が振動し、大地が揺れる。この世の終わりを予感させる光景に、終焉の二文字が頭に浮かんで離れなかった。
世界の終末――。
まるで紙くずのように千切られていく巨人たち。そのすべてを屠らんと少女は猛る。
こうして苛烈な戦いは周囲の獣たちを巻き込みながら幕を上げた。
――聖王と魔王の戦い。
これに勝利した者が後に聖王と呼ばれ、長く語り継がれていくのである。
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