60話 崩壊への序曲
隣国の関所を目指す五人の少女たち。その内、四人は神獣である。
人の子であるリザベートは目の下に隈を作っていた。その理由は前日に召喚した神を自称する召喚獣。
自身の理論が証明されたことにより気分が高揚し、あまりよく眠れなかったのが原因だ。
それでも未だ興奮冷めやらぬようで、その足取りは軽い。
昨晩、シリス――オシリスに与えた真名――と盟約を交わしたリザベートはメアたちの召喚を試みるも失敗に終わった。
考えられる要因は魔力不足。
シリスの召喚時、大量の魔力を消費したことから間違いないだろう。同時召喚するためには魔力量を増やさなければならない。
「妾もシリスとやらに会ってみたかったぞ」
「わらわの魔力が増えれば会わせることもできるであろう。それまでの辛抱じゃ」
念の為、すきま時間にでも別の理由と解決策を探るつもりではある。
今のところ優先順位の高い課題といえば、シリス以外の神なる存在の証明。そのためには何から始めるべきだろうかと、リザベートは思考を巡らせながら進む。
考え事と他愛もない話、半々といった具合で歩いていると関所が見えてきた。しかし、何か様子がおかしいことに気付く。
関所脇に集まる人々。それは順番待ちをしているようには見えなかった。
何があったか分からないが、まずは門番から事情を伺おうと足を早める。
「入国したいのじゃが、何かあったのであろうか」
「今、ここを通すわけにはいかないのでな。詳しい事情は我らにも分からんが、東の地で何かがあったそうだ」
どうやら厳戒態勢を取っているらしく、通行止めを食らった人々がここで野宿を強いられているようだった。
別の町へと向かうには既に遅い時間。諦めて天幕の準備を始める者たちも確認できる。
商人などはその場で商売を行うなど、商魂逞しい姿も見られた。
「どうするのじゃ?」
「とにかく、事情を知る者を探してみるしかないじゃろう」
密入国をすると自由な活動ができなくなる。
今から戻るにしても、寝不足のまま無理をするのは躊躇われる。
明日には入国できるようになるなどそんな都合のいい話はないだろうが、今日のところはここで野営をするしかないだろう。
ならば少しでも情報を集めようと、リザベートは聞き込みを開始した。
「お主は何か知らぬか?」
商人から紙を購入しつつ、世間話でもするかのように問う。
「悪いがこっちもなんも分からねえな。知ってる奴はいないんじゃないか?」
「そうであるか。お主はいつからここにおるのじゃ?」
「半刻は経ってるな。その時からこんな状況だ」
他の者にも声を掛けてみたが、事情を知る者は見付からず。そうこうしていると、この国の早馬らしきものが関所を通過した。
(情報がまだ錯綜しておるのじゃろうか)
今日中に得られることは何もないだろうと、リザベートは群衆から離れた場所へと向かい、墨を磨る。そして頭の中で整理した紋様を書き写す。
それが終わり次第メアと軽く手合わせをし、入国できぬままその日を終えた。
そして翌朝。
関所前には立て看板が設置されており、小さな人だかりが出来ていた。
人の隙間を縫うようにして進んだリザベートは内容を確認する。どうやら無期限の入国禁止処置を取ったようだ。
どうしたものかと周囲の声に耳を傾けていると、東の地で何かが起こったという話がそこかしこから聞こえてきた。
それは取り留めのないものばかりで、戦争が起きただの大量の獣に襲われただの、なかには国が滅んだと言う者もいる始末。噂話にとんでもない尾ひれが付いたようだが、何かが起こったことは間違いない。
「やはり、この目で確かめるのが早いじゃろうか」
何があったのか気になったリザベートは、来た道を引き返すことにした。
町をふたつ戻ると、どういう訳か人でごった返していた。
路上に座り込む者。
町の外れで天幕を張る人々。
喧騒の中さまざまな怒号が飛び交い、収拾がつかなくなりつつあった。
「これでは情報収集もままならんではないか」
兵士の数が圧倒的に足りず、町の秩序が保てていない。数日前に滞在した町とは思えないほどの変わりようであった。
少し考えたリザベートは知人を頼ることにした。と言っても知り合ってまだ数日。彼ならば詳しい事情を把握しているだろうが、こんな状況で教えてくれるかどうかは不安が残る。
そうして彼の家を訪ねてみれば、忙しい中にも関わらず快く教えてくれた。
東の地ではとある王国が壊滅状態にあること。
その原因はまだ断定はできないが、召喚獣の姿が多数確認されていること。
この先の町で防衛線を張っているため、多くの兵士が出払っていること。そして、住民の避難も開始されている。
彼も避難するかどうかで迷っているらしい。
これほど多くの人でごった返す中、家を空けることに躊躇している様子。志願兵の募集もしているそうだが、彼は不参加と決めていた。
「わらわは志願しようと思っておる。帰るまで荷物を預かってはくれぬか」
路銀を稼ぐためというのも勿論あるが、一番の理由は召喚獣の姿が確認されているということ。それがどうしても気になった。
「気を付けるのだぞ。私が持つ情報など微々たるもの。現地では何が起こっているのか定かではないのだから」
「分かっておる」
そうして彼と別れたリザベートは志願のために町の東端に向かった。
ある程度の数が集まったそばから馬車で送り出しているようで、リザベートは月夜のなか前線の町へと赴くことになった。その焦りようは推して知るべしである。
馬車に揺られながらやって来た前線の町は、多くの兵士たちによって防衛線が張られていた。
聞くところによると、この先に進める人物は限られるらしい。
原因不明の体調不良を訴える者が多く、前線に来た多くの者が引き返すことになった。この場に残る兵士たちがそれである。
「念の為、ここで万全の状態にしてから進むと良い。この先にも前線基地はあるが、そこでゆっくりと休めるとは思わないことだ」
リザベートは周囲の環境などお構いなしに眠れる体質。馬車の中で充分に睡眠を取った彼女はすぐに出発することにした。
半日もすれば前線基地に到着した彼女だが、そのまま先を見ておくことにした。
一刻も進めばそこは多種多様な獣が跋扈する世界。前線基地より前に進める者など彼女たちの他には存在しなかった。
「数が多い。とにかく、間引くことを考えて進むのじゃ」
彼女たちは大きく広がり中心部を目指す。濃密な気配が漂う方へと向かって進んでいく。
神獣たちは既に獣の姿に戻っていた。
どれくらい経った頃だろうか。
不穏な気配を追って進んでいたリザベートは、とある洞窟へと辿り着く。
その中で見付けた一つの扉。原因はこれであると断定できるほどの存在感を放っていた。
「これじゃな。これが何かは分からぬが、閉めておくしかなさそうじゃ」
扉から漏れ出る何かに危機感を抱いたリザベートはそれを閉じる。すると、その扉は跡形もなく霧散した。
まだ辺りには何かが漂っているが、これ以上事態が悪化することはないだろうと胸を撫で下ろす。
理解の及ばぬ現象にリザベートは思考を巡らせる。そのまま外に出ようとした彼女は背後から忍び寄る気配に振り返った。
「くっ!?」
どこから現れたのか、一匹の犬により左腕に深手を負わされてしまう。
考え事をしていたせいもあるが、予想だにしない攻撃に反応が遅れてしまった。
「一体、どこから湧いて出たのじゃ」
その後に問題なく処理したリザベートだが、傷は思いのほか深い。洞窟の外へ出ると、壁を背にして治療を始めた。
「リザ、大丈夫?」
それに気付いたリルが心配そうに駆け寄ってくる。
「案ずるでない。治ったらすぐにでも参戦するからの。それまで頼めるか?」
「まかせて」
リルを送り出したリザベートは治療に専念すると共に、事件の全容についての考察を始めた。