57話 唯一の解決へは遠く
心とは、繊細で複雑なものである。
それはとても壊れやすく、だからこそ本人も気付かぬうちに辛い記憶を閉じ込める。心情や心境といった感情を伴い、心の奥底へと追いやり蓋をする。
これは心を守るための行為であり、誰しもに備えられた防衛本能である。
イクス村でそれを自覚したアルは、心との対話を試みた。
しかし、それはうまくはいかなかった。
今さらどう向き合えばいいのか。
どう付き合っていけばいいのか。
閉じ込めたはずの記憶は、ふとした瞬間に蘇る。
時折り、黒い感情を纏いて噴出する。
数年前の出来事。
もう何年も起こらなかった現象。
それが今になって再発した。
自身が抱えている問題を説明したアルは、次に解決策を提示する。
「ヨルの加護があれば、この現象は起きないはずだ」
それは解決策と呼ぶには非常にお粗末なものであった。
――現状維持。
問題の先送りにしかならず、根本的な解決には至らない。この場にいる誰もがそう思った。
「矢張り、ここは――「わかってる」」
メアの言葉を遮ったアルはひとつ頷くと、自分で伝えるのだと目で訴える。
自覚を促すためにも自身の口から言葉にするべきだと判断した。
「一番の解決策は……」
そこで一旦言葉を区切り、目を閉じる。
大丈夫だと自分に言い聞かせたアルは、目を開いて決意を口にする。
「――本人に直接会って、確かめることだ」
彼女のその後をアルは知らない。
勝手な想像をして、不安に駆られているのが現状。そして、それを確かめる勇気がなかった。
「そ、そうじゃな! 妾もそれが一番じゃと思っておった!」
「ちょっと、心配」
「それが一番の近道ではあるのじゃろうが……」
「そうですね、少しばかり不安は残りますね」
「そんなもの、会ってみれば分かるだろう!」
多種多様な反応を見せる。
ただ、アルも今の状態で会おうとは思っていなかった。
目を泳がせるメアが何を考えていたのか想像に難しくないが、その意見は当たらずとも遠からずといったところだろう。
彼が真実を受け止められるようになるまで心を育てる。それはアルの意見と合致する。
「今すぐって訳じゃない。組織と事を構える前には必ず解決しておかないとって話かな。それまでは色々と経験を積んでおこうとは思ってる」
「うむ。それが良いじゃろう」
だが、この案には問題点もある。
追放されたアルは今や平民。片や相手は男爵夫人。つまり、会いに行く伝手がない。
平民がおいそれと会える相手ではないのだ。
そして、問題はそれだけにとどまらない。
「ただ、組織が封印石を回収してるみたいだから、あんまり時間は取れないと思う」
きっかけはトートの出現か、あるいはもっと以前からか。
最近になって強制的に契約を結ばされるようになったのだとトートは言っていた。ならば、その時期からの可能性も充分にある。
しかし、それは考えても仕方のないことだとアルは思考を切り替えた。
どちらにせよ、襲撃者の存在が角鹿から洩れるのは時間の問題。ダンジョンから封印石が持ち出されていることにも気付くだろう。
その二つを結び付けた組織が、近いうちに本腰を入れて捜査にあたるのは明白。相手に先んじて封印石を探し出さなければならない。
心を育むためには寄り道をしなければならない。
封印石を入手するには寄り道をしている時間はない。
この二律背反とも言える状況に、アルは苦虫を嚙み潰したような顔をする。
(あいつもこんな感じだったのかな)
二つを両立させることができずに苦しんでいたのだろう。今ならその気持ちも少しは理解できる。
だからといって、赦されるわけではないのだが。
(俺はあいつとは違う。同じようにはならない)
今のアルには心強い仲間たちがいる。
人を頼ることの大切さを教えてもらった。
ならば、同じ轍を踏むことなどあり得ない。
「みんなの意見を聞かせてほしい」
最適解を見付けるために、アルは多種多様な見解を心に刻み込んでいくのであった。
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「聖下、今大丈夫かな?」
聖王フロージ・クリストファーの部屋を訪れたマクシム。
二人分の紅茶を用意し、フロージの体調を確認してから話の本題に移った。
「確認してほしい物があるんだ」
そう言って小袋から小さな土塊を取り出した。
「これは?」
「ダンジョンから回収した土でさ。確か、石の魔力を維持するための細工が施されてるって話だったよね」
封印石が置かれた場所には祭壇のようなものがある。
それを発見したマクシムであったが、そこに封印石は見当たらなかった。
自身が辿り着いた場所が正解であるのかを確認するために、その一部を持ち帰ってきたのである。
「ふむ。調べてみようか。召喚――【ゲノーモス】」
召喚したのは土の精霊王ノーム。
彼は祭壇を作った張本人である。
「これを調べてほしい。頼めるか?」
「久しぶりに呼び出したと思えばそんなことかよ」
「それはすまなかった。寄る年波には勝てぬでな」
「さっさと次決めちまえよ。そこのボウズなんてどうだ?」
「僕よりもっと適任がいると思うよ」
「ほう? 期待していいんだな? 最後くらいは愉しませろよ」
歴代の聖王たちに使役されてきた彼であるが、精霊の寿命は千年。自身の存在が消えてしまう前に次代へと力を継承する必要があり、そのとき記憶も引き継がれるが別人格となってしまう。
ここ数百年、退屈な毎日に飽き飽きしていた彼は次代の聖王に期待を寄せる。
「ゲノーモスよ。そろそろこれを――「そいつは向こうの土だな」」
フロージの言葉を遮り、事も無げに断言するゲノーモス。
「詳しく調べるか?」
「いや、それだけ分かれば良い」
これにより、封印石が何者かに持ち去られているという確証が得られた。
「聖下、どうする?」
「ふむ……。石の魔力が消失してしまった、という可能性はないのだろうか」
「それはないな。おいらの作った祭壇が壊れてなければ、だけどな」
「地面を抉った形跡ならあったかな。でも、そこに石を埋め込んでたんでしょ?」
「持ち去った奴がいるってことか。なんか面白いことになってるな」
何も面白いことはないとフロージはのたまうが、マクシムは心が沸き立つのを感じた。
それはとても小さなものであったが、何か大きなことが起こる予感が彼を愉悦へと誘う。
「ともかく、ファイゼル卿はこのまま扉の捜索を。頃合いを見て、他の者には帰還の報せを出そう」
「そうだね。他のダンジョンも回収されてるか確認する時間はほしいね」
「お前ら一体何やってるんだ?」
「ちょっと、色々あってね」
「それを説明しろっての。おっと、その前に酒だな酒」
召喚獣にとって、この世界は言わば娯楽。人語を介する彼らは特に人の世に興味を示す。
もちろん個体差はあるが、ゲノーモスは関心が高い部類。それは初代聖王の影響を色濃く受けているからだろう。
大筋で話を理解したゲノーモスは、愉しそうに酒を呷る。
豪快な呑みっぷりの彼ではあるが、身の丈は十センチほどしかないのでその量は慎ましい。
「そんな事になってるのか。あいつの目指した先がどうなるか見ものだな」
数百年ぶりに訪れた娯楽。代わり映えのしない日々に、突如としてやってきた変化。
それを肴に酒を愉しむのだとゲノーモスは笑う。
「途中までは上手くいってたのにな。お前ら最近たるんでるんじゃないか? おかげで美味い酒が呑めるからいいけどよ」
人の行いに手を貸すことはあっても、その結果がどうなろうが知ったことではない。結果いかんに関わらず、その過程や人々の想いなど全てが娯楽であると彼は言い放つ。
逐一報告するよう約束させたゲノーモスは上機嫌になり、浴びるほど酒を呑む。
そうしてそのまま眠りについた。
「精霊も酔っぱらうんだね」
「正確には酔っているわけではない。人が酔うさまを真似しているに過ぎないのだとゲノーモスは言っておった」
「ふーん。酔ってるようにしか見えないけど」
不思議なこともあるものだなぁと、マクシムは感慨に耽るのであった。
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