53話 危険人物
召喚術はとても繊細な技術である。
比喩的な表現を用いるならば、それは心を映す鏡と言えよう。
闘士のような身体を強化する資質や精霊術などは、どちらも魔力操作の技術を要する。
しかし、召喚術に重要なのは意識や精神といった曖昧なものを認識し、理解を深め、それを自身の感覚として捉えることにある。
精神に入り込んだ加護をしっかりと認識し、相手と共有するためには自身の精神も万全な状態でなければならない。
それは相手から齎される加護だけでなく、こちらが差し出す魔力にも影響を及ぼす。
召喚主の状態が良くないと、召喚獣は魔力をうまく受け取れない。
逆に、召喚獣の状態が良くない場合は加護の質が低下する。
お互いがお互いに影響し合うため、本人だけの問題ではない。
図書館に立ち寄ったアルは、そこで読んだことのないモルドー家著書の学術書を発見した。
三年前に執筆したものらしく、それは今のアルにはとても重要な内容だった。
「メアが一蓮托生と言った意味が分かった気がする」
知識としては概ね知っている内容でも、こうして筋道立てた説明を読むことでより一層理解が深まる。例えるならば、パズルのピースがピタリとはまる感覚とでも言おうか。
召喚主と召喚獣はお互いに支え合っている状態であり、片方が倒れるともう一方も倒れてしまうということ。
それを一蓮托生と表現したメアは正しい。
正しいのだが……。
「何か分かったのじゃな?」
「……」
本人はそんなつもりの発言ではなさそうだった。
「とても参考になった。そろそろ行こうか」
すでにリルの用事も終わっていたので、メアの言葉を軽く流すことにした。
珍しく図書館へ行きたいと言うので連れてきてみれば、昨日食べられるベリーの判別ができなくて悔しかったらしい。
それを調べている間にモルドー家著書『召喚獣との関係性を今一度熟考することで見えてくる相互性』という学術書を発見したので読み始めた、といった具合である。
そして今日は四日ぶりのダンジョン探索。
マーゲルで一泊二日の観光をして、リュマに戻った次の日は果物狩り。
ハードスケジュールではあるが、探索を疎かにするわけにもいかない。なので、軽めにでも潜っておこうとやって来た。
ダンジョンに入って一時間ほどした時、奇妙な違和感を覚えた。
久しぶりの探索なので気のせいかと思ったが、もう十度目になるので間違いではないだろう。ダンジョンの構造に変化がみられた。
「少し確認したい。警戒を怠らないようにしてくれ」
覚えに自信がある広間へ行き、実際にこの目で確かめる。
「やっぱりか」
「崩れておるな」
少し屈めば通れるほどの穴。それが壁の裏側にある通路まで貫通している。
向こうを覗けばこちら側よりも多くの破砕物が散乱していた。
「崩れてるって言うより、これは壊したんだろうな」
こちら側から強い力で殴りつけたと思われる。
他にも似たような影を複数捉えていたので、確実に覚えている場所へと来てみれば破壊された形跡。恐らくだが土の精霊の力を借りて薄い壁を探し出し、それを壊して回っている冒険者がいる。
「派手なことする奴もいるもんだな」
薄いと言っても常人では破壊することができない程度には分厚い。
さすがにこの厚さの壁を貫通させるのは危険ではないかと疑うアルであったが、土の精霊ならばその判断を下せるのかもしれない。
もっとも、土の精霊を使役したことがなければ精霊術も扱えないアルには確認することすらできないのだが。
さりとて強烈な一撃で粉砕しているように見受けられる。危険な行為であることには変わりない。
二体の獅子が暴れたときとは状況が違うのだろうが、震動で他の場所が崩れる可能性もある。何より、壁の向こう側に人が居たらどうするのだろうか。
できれば犯人を特定し、距離を置きたいところ。
これほど強力な攻撃手段を有し、かつ、限度を知らない性格の持ち主。関わり合いになるべきではない。
「警戒しながら進もうか。一応、壁際にはあまり近寄らないでおこう」
突然、壁が破壊される可能性がある。飛び散る小さな礫くらいなら精霊防具が防いでくれるだろうが、大きな塊などはさすがにウインド・シェルでは防ぎきれないだろう。
その穴を抜け、警戒しながら進んでいくアルたち。
暫くすると、戦闘中と思われる一つの人影を捉えた。
「これは……。集中するから周囲の警戒を頼む」
いくつかの抜け道を利用することで、すでに奥のほうまで潜っている。
一人でこんな場所まで来られるのなら相当な手練れだと予想されるが、それよりも気になったのはモンスターの動きだ。
広間全体を確認するため、アルは意識を集中させた。
枝分かれした立派な角を持つ四足獣。角鹿と呼ばれるモンスターと思しき影が、モンスターの群れを蹴散らしていた。
モンスター同士が争うという話は聞いたことがない。
「角鹿の召喚陣はまだ見付かってないはずなんだが」
勘違いの可能性もあるので、より集中して詳細を確認する。
間違いではないと確信したとき、それは人の影へと形を変えた。
「この先に神獣を使役する奴がいるみたいだ」
モルドー家か教会か。可能性としてはその二つだろう。
王都から近い街の領主であるモルドー家がこんな場所まで来るとは考えにくい。
「角鹿の神獣って誰か知ってる?」
「牡鹿ならばエイクスュルニルであろうな」
「メアは知ってるのか?」
「手合わせしたことがあるのでな。もちろん、妾の圧勝であったぞ」
誇らしげに答えるメア。大袈裟に言っているのではないかとアルは訝しむ。
「どんな奴だった?」
「突進と後ろ蹴りしか能のない奴じゃったな。驚異的な一撃であるが、当たらなければどうとでもなる相手じゃ」
「なるほどな」
メアが褒めるほどの一撃。壁を破壊したのもそいつだろう。
関わりたくない相手だが、組織の人間である可能性が高い。ならば色いろと確認しておく必要がある。
付かず離れずの距離を維持しながらどうしたものかと考えていると、それを見付けたことにより確信へと変わった。
「作戦会議をしよう。たぶん、戦闘になる」
ここからずっと先で件の祭壇を捉えた。奴らは迷うことなくそこへと向かっている。
目的は封印石の回収。神獣を隷属させる気なのだろう。
「再確認だ。メア、相手の情報を可能な限り正確に頼む」
敵の情報から取り得る行動を予測。各自の得手不得手も再度確認し、作戦内容を共有。
特に今のアルは精神状態が良くないため、再召喚を頻繁に行う可能性が高い。
その合図を決めておくことで、戦闘状況の急激な変化に対応する。
「封印石を回収したみたいだ」
「牡鹿は妾に任せておれ。軽く打ち負かしてやろう」
「メアは獅子の姿は禁止な」
「なっ!?」
「ダンジョンが崩落したらかなわん」
「そんな殺生な……」
「みんなも最初は人の姿で戦ってほしい」
こちらの情報は角鹿の神獣から洩れることになるだろう。できる限り秘匿しておきたい。
再召喚を行わずに勝てるのなら、神獣の数を誤認させることができる。
「あとは戦う場所の選定だな」
広い場所で戦うことは確定している。
メアが脅威だと言う突進を回避しやすいようにと相手の帰路を予測して広間に布陣。通常であれば往路と復路は重なるため、先回りすることは容易だ。
そうして全ての準備を整え、アルたちはその時を待った。