52話 小さな変化をかみしめる
リュマの街から少し西へ歩くと果樹園がある。
この辺りは昔から果実の成る木が自生しており、領主がリュマの特産にするべくリンゴやブドウなどの栽培を始めた。
果樹園の周辺一帯も管轄下にあり、畜産農耕ギルドがその管理を行う。
樹々の生育には時間が掛かるために農地を段階的に広げているところであり、将来的に果樹園となるその地を荒らされないよう管理を徹底していた。
名目上各種ギルドの長は領主の親族が務めているため、領主の方針が色濃く反映される。
実際の運営は他の者に任せていることも多いが、責任を問われるのはギルド長なので任せきりというわけでもない。
そして管轄外の場所に成る果実なら好きに採集してもいいらしく、アルたちは果樹園から少し離れた森の中から山に入った。
その経緯はリルのこんな一言から始まる。
「果物、食べよう」
言葉数の少ないリルはいつも説明不足であったが、端的に言ってしまえば果樹園が気になったそうだ。
そこで畜産農耕ギルドへ行き、色々と話を伺うことに。
農園への立ち入りは許可が下りなかったが、管轄外の場所なら好きに採集してもいいとのこと。ただし、商売を行うならハンターギルドに登録しなければならないとの説明を受ける。
つまり、もぎたて果実を味わうだけなら何も問題はないということ。
念の為、ハンターギルドに確認を取ってから新たな体験に出発した。
獣道同然の整備されていない道を進む。
傾斜の緩やかな山道は少し窮屈だが、それほど緑が深いわけでもない。
ここはハンターギルドの人たちが狩りや採集で利用する道なので、人ひとりが通るだけなら特に不都合はなかった。
東の登山道は観光名所のために道幅にゆとりがあったが、それとは少し毛色の違う自然豊かな風景を楽しみつつ果樹を探す。
秋口にもなれば様々な果実が実るらしいが、今は少し時期が早かった。
この時期なら数は少ないが、マンゴーやライチなどが採れるらしい。
あとは様々なベリーが散見されるが、なかには有毒なものも含まれているため注意が必要である。
「中々見付からないなぁ」
果樹を発見したとしても手前側は既に収穫済み。
ならばと奥へ行けば、動物たちに食い荒らされた形跡が見付かるだけであった。
「もっと高い所まで登るか」
森と山はそのまま繋がっている。
人里離れた場所は動物たちが数多く生息しており、高所へ行くほどその数は減ると予想。
収穫する場合も高所を避けると思われるため、街から少し離れた山頂を目指した。
「さすがにこれ以上は進めないな」
どんどん緑が深くなっていき、密林と呼ぶに相応しい様相を帯び始める。
自然を壊さないようにと注意されたため、あまり多くを切り倒すわけにもいかない。
「少し戻って別の道を進もうか」
そう言ってメアを見る。
「さすがに妾でも全部切り倒そうなどとは思っておらんぞ」
アルの言いたいことを理解したということは、少しは自覚があったようだ。
「それは良かった」
「お主こそ進みたくない理由があるのではないか?」
「……」
図星だった。
進もうと思えばまだまだ進める。枝葉を切り落とさなくても、手で少し曲げてやれば通れるくらいの獣道が続いていた。
しかし、この先には多くの虫や蜘蛛の巣などが待ち受けているため、これ以上進むことにアルは気乗りしなかった。
自然の中で過ごした経験がないアルは、虫への耐性がなかったのである。
「この先は蛇も多いみたいだから危険だと思う」
近くに巣穴があるのか、蛇が多いのもまた事実。シーレの能力で確認済みである。
それは同時に虫っぽい小さな影を常に捉えているということであり、その多さは進むのを躊躇うほどであった。
「解毒の精霊石もないし、万が一を考えると引き返すべきかな」
「お主から受ける感情は危機感ではない。これは……そうじゃな、嫌悪感であろう」
「主様は蛇がお嫌いなのでしょうか」
深刻な表情で問い掛けるヨル。
常に人の姿をしているので忘れがちになるが、ヨルは蛇だったことを思い出す。
「いや、違う、そういうわけじゃない」
完璧だと思った言い訳は思わぬ飛び火をしてしまった。
口から出た言葉は今さら飲み込むことができず、焦ったアルはどう言いつくろおうかと必死に頭を働かせる。
胸の前で指を組んだヨルは真剣な表情でアルを見つめていた。
祈るような彼女の姿にいたたまれなくなったアルは、正直に話すことにした。
「すまない、言い訳してた。実は虫が苦手なんだ」
彼は弱みを見せることに強い抵抗感があった。
最近ではそれも自覚するようになってきており、そんな小さなプライドなど不要であると思い直した。
「そうだったのですね」
胸に手を当てたヨルは安堵のため息を漏らした。
「そうであったか。ならば――「やらない」」
何を言い出すのかすぐに見当がついたアルは即座に拒否をした。
「まだ何も言っておらんではないか」
「虫との触れ合いはやらない」
確固たる意志を持って断固拒否するアルに対し、メアはたじろぐ。
目を泳がせる彼女の様子を見るに、それは正解だったのだろう。
さすがにやらないだろうが、念の為にと脅しておくことにした。
「余計なことしたら、メアが栗きんとん食べる直前に召喚を解くからな?」
「なっ!? 余計なこととはなんじゃ!? 頭の上に乗せることか!? それとも服の中に放り込むことであるか!?」
「……それを聞いてどうするんだ?」
「か、確認じゃ! 決してやろうなどとは思っておらんぞ!」
「思ってないなら確認する必要ないんじゃないか?」
「そ、それは――」
全部やるとは言ったが、さすがにできないこともある。
何でも体験させようとするメアはそのラインを確かめようとしたが、それすらアルは断った。
それほどまでに苦手だったのである。
「アル、あそこ」
アルたちがひと悶着している間、周囲を見渡していたリルが指を差す。
遠くて良く見えなかったが、シーレの能力で確認すると丸みを帯びた何かがあった。
「取ってくる」
高い樹々の枝を伝いながら器用に飛び移っていくリル。小柄な体であるがこその特技である。
そうしていくつかの果実をかかえ、リルはすぐに戻ってきた。
「はい」
持ち帰ってきたのは三つのマンゴー。
どれも虫に食われておらず、綺麗な完熟マンゴーだった。
「ありがとう」
水で軽く洗い、皮をむいて早速かぶりつく。
「今まで食べた中で一番うまいかも」
「おいしい」
口の中いっぱいに広がる甘味と、そこに紛れるほんの少しの酸味が調和してとても味わい深い。もぎたてという事実が大きく影響しているのかもしれない。
一見すると味覚に関係のない事柄であっても、些細な事象からそれは大きく変化する。
五感とは不確かで曖昧なものだ。
「ごちそうさま」
リルと二人で味わったアルはお礼を言うと、残りの一つをどうしようかとみんなに問う。
「妾は遠慮しておこう」
「食べる直前に召喚を解いたりしないから大丈夫」
「そういうわけではない」
甘い果物が嫌いというわけではないが、それを調理した後の甘味が好きなのだとメアは力説する。良く分からない拘りであった。
「わっちも要らぬので、ここは一番の功労者が食べると良いのではないか?」
「そうですね。私も食べたいというわけではないので、それでいいと思います」
満場一致ということで残りをリルに渡す。
それを受け取ったリルは少し考えると、手に持ったマンゴーをアルに差し出しながら提案する。
「はんぶんこ」
「次は自分で採ったやつを食べてみたいから、それはリルが食べていいよ」
もぎたてという事実が味覚に影響しているのなら、自分で採ったものはさぞや格別なことだろう。
そう説明すると、リルは納得したようだ。
「よし。じゃぁ、ここからは山頂付近を街に向かって進もうか」
もぎたて果実を求め、できるだけ広い獣道を進むアルたちであった。




