49話 心と向き合うための準備
リュマの街付近は岩肌むき出す山岳地帯。
それは樹々を伐採した結果であって、街から少し離れるとたくさんの木々が生い茂る山々が連なっている。
そして街の東には登山道があり、行楽シーズンには観光客が訪れ賑わいを見せる。
アルたちは今、この登山道を登っていた。
行楽シーズンでもないのになぜハイキングをしているのか。
それはメアの言説に端を発す。
「良いか? 心とは育むものじゃ。それは様々なものを見て、食べて、経験して。触れ合いながら少しずつ大きくなってゆくのじゃ。体とは違い、心を育てるのに遅いということはない。今からでも新たな体験をしようではないか」
そう言って栗きんとんを差し出す。
珍しく二個買ったと思えばこの時のためらしい。
「栗きんとんは食べたことある。すまん」
「そうであったか。ならば、これならどうじゃ?」
メアは栗きんとんを二つに分けた。
それを暫く見比べると、意を決したように大きい方をアルに差し出す。
「一緒に同じ物を食す、と言うのも一つの経験じゃ!」
「……そっちの小さい方で大丈夫」
「そうであるか? お主が言うなら仕方ない、そうするとしよう」
表情が明るくなるメア。つられてアルの顔もほころぶ。
「どんなに些細なことであっても多少なりとも心に影響を与える、というのは覚えておくと良いぞ」
アルには様々な経験が不足しているせいで、心の成長が追い付いていないと推測したメア。
今からでも遅くない。色んな経験をして、心を豊かにするべきだと主張する。
「それならばもっと良い手があるのではないか?」
「ふむ。食よりも重要なことがあると申すのじゃな?」
不敵な笑みを浮かべたテンは、自信あり気に己の推論を語る。
「【大海の長穴】でのことを覚えておるか? 主は壮大な景色に目を奪われ呆けておったじゃろう? つまり、それは食より景色を眺めるのを好むということに他ならないのではないか?」
「あら、まぁ! 海の景色は素晴らしいですよ。是非是非、見に行きましょう!」
海に反応したヨルだが、それはテンによってすぐに否定された。
「そうではない。色鮮やかな紅葉を見ることで心が満たされるというもの。ここにはちょうど良い山林があるからの」
自身の衣装の柄にもなっている紅葉。
それは素晴らしいものであると誇らしげに説く。
「まだ、紅葉してない」
「……」
現実に引き戻され固まるテン。
頭の中ではさぞや色鮮やかに紅葉が舞っていたことだろう。
栗きんとんをつまみながら聞いていたアルはそれを飲み込むと、決意にも似た宣言をする。
「よし、全部やろう。ダンジョン探索の合間を縫って、思いつく限りのことはやってみることにする」
思えばメアたちの我が儘に付き合っていたのも、本心では色々と経験したかったのではないか。
その証拠に、ガンドルまで予定にない街の散策をしたが、嫌ではなかった。
そして一番の理由。
テンの言ったとおり、水平線まで続く海の壮大なる景観も、メアと出逢った場所に広がる幻想的な光景も、なぜか目が離せないほどに心奪われていたように思う。
これまでは使命感に囚われ、心をないがしろにしながら旅路を急いできた。
それも今日で終わりにしようと心に誓う。
そうしてやって来たのは紅葉にはまだ早い登山道。当然ながら、人の姿はほとんど見られない。
街の中からも繋がっているが、せっかくなので山の麓から登ることにした。
いくつかのルートが整備されており、その中のひとつを進む。
ゆっくりと楽しもうと、一番緩やかなコースを選んで山頂を目指していた。
枝葉の隙間から射し込む木漏れ日。
緩やかに流れる小川のせせらぎ。
少しうざったくもある虫の声。
それら全てが今まで体験したことがないと思わせるほどに、アルの五感を刺激する。
どこにでもある風景。
意識しなければ気付かない、気付けない程の、ほんの小さな出来事たち。それは彼の心を捉えて離さない。
人生の大半を屋敷の中で過ごしてきた彼にとって、何事にも代えがたい経験として蓄積されていく。
他愛ない話をしながら中腹を過ぎたころ、石造りのベンチに腰掛け昼食を摂る。
大自然の中、ゆっくりと食事をするのも初めての経験。何もかもが新鮮だった。
普段なら気に掛けることのない些細な変化。
水気を含んだ空気。
何の変哲もない景色。
風に揺られた枝葉から射し込む光がキラキラと宙を照らす。
悠々と流れる時間の中で、何気ない風景を心で受け止める。心に刻み込む。
そうして山頂までやって来たアルは感嘆の声を漏らす。
山頂から見る景色はどこまでも遠く、澄み渡っていた。
北東方面には王国が誇る見渡す限りの広大な領土。
南を見やると視界に飛び込んでくる高い高い山々。
そして西の方を向くと、遠くに見えるは大きな海。
「次は海でも見に行くか」
ここからでも見える距離に港町がある。
ガンドルよりも規模は小さいが、アルお気に入りのフィッシュサンドも食べられることだろう。
景色を一望しながら少しの会話を交わす。
そろそろ下山しようかという頃、メアが申し訳なさそうに口を開いた。
「お主にはすまないと思っておる。妾の願いを叶えるため、無理をさせてしまっていたようじゃ」
「いや、昔の夢を思い出させてくれたメアには感謝してる。ただ、順序が間違ってたんだと思う」
辛い記憶を心の中にしまい込み、閉ざしたままの心で夢を追いかけようとした。
聖王伝説。
幼少の頃に憧れた物語。
今となっては疑わずにはいられない聖王教会の頂点。
いつから腐ってしまったのか。
どこまで腐敗が進んでいるのか。
それはアルには判らない。
しかし、神獣の封印に関わっているのなら、いくら憧れの聖王であろうと容赦はしない。
アルはそう決意をするが、今考えることではないと思考を切り替える。
「とにかく、お互いの目的は一致してるんだし、それはメアが気にすることじゃないさ」
そうして来た道とは別のルートから下山し、夕陽に移り変わる風景を目に焼き付けながら街までの帰路を堪能した。
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ノマクサの街へと戻り、調べ物を終わらせたグルーエル。
「やっぱり、間違いないみたいだね」
ヴォルテクス家三男の話だけは、ある時を境にパタリと聞かなくなった。
それと同時に広がる醜聞。それをかき消すかのように行われた功績の大々的な吹聴。
詳しい事情までは分からなかったが、彼が関係していることは間違いない。
アレクシスの愛称はアル、またはアレクが一般的。そして彼の生い立ちを調べられた範囲内で考えた結果、同一人物であると結論付けた。
「世間体を気にした侯爵閣下が彼を追放したと考えるのが妥当だ」
「しかし、彼ほどの者を追放する理由とは一体……」
モルドー家がヴォルテクス家に指南役の一人を遣わせた話は有名だ。それは彼のためだという推論も立つ。
しかし、神獣を二体も使役できる力を持つ彼の情報が途切れている事実と、追放される理由に説明が付かない。
「タガラはどう思う?」
「そうだな。これは仮定の話だが、そいつの魔力量次第では召喚に至らないこともあるだろう。実際、眷属の中でも下位の者は膨大な魔力に恐れる者も多い。それが現実的に起こり得るのかと問われると疑問だが」
「やっぱり、直接聞くのが手っ取り早いね」
「俺は反対です。彼が黒幕ではないと確信が持てるまでは様子を見るべきです」
ミルドは危険を冒すべきではないと申し出る。
「黒幕だと判明すれば、タガラがそれを父上に伝えてくれるだけで問題は解決するよ」
「しかしっ!!」
「前にも言ったよね? 情報は個人の命よりも大切だよ」
情報は持ち帰れなければ意味を成さない。
しかし彼の場合、自身が死んでも確実に持ち帰れる術を持っている。
烏の召喚陣を知る者はカトラス家のみ。
その大きなアドバンテージを活かせるのであれば、自身の死もいとわないとグルーエルは言い切る。
「世間に神獣が認知されたからね。そろそろ大きく動く頃合いかもしれない」
それでも全てに納得することができないミルドは説得を試みるのであった。
なろう公式企画に参加してみましたが、ホラーって難しいですね。