48話 それは悪癖となりて心を縛る
リュマの街。
王国南西部に位置するこの街は、隣国との境界線になる山岳地帯の麓にあった。
岩肌の山に半分浸食されてしまったような、それはまさに城塞都市然とした様相を呈している。
そのため城壁の中は高低差が激しく、各所に階段が設けられていた。
そして、ここでは他の地では見られないもう一つの特徴がある。なんと、街の中にダンジョンがあったのだ。
モンスターが出て来ないのかと心配になったアルだが、どうやらそれは杞憂らしい。
街の中に存在するということは、好きな時間に潜れるということ。それは冒険者たちの活動時間にばらつきを生じさせた。
定期的に誰かしらが出入りするため、入り口付近でモンスターと出遭うことはまず無い。
すでに五日間潜っているが、入り口近辺でモンスターの影を捉えることはなかった。
肝心の探索だが、その成果はあまり芳しくない。
新たな発見といえば、大蛇姿のヨルに乗ると揺れが激しく酔うということ。右に左にと上体を揺さぶられて集中することすらままならない。
ここ【山岳洞窟】でもメアが走り回れるほどの通路は見当たらなかった。
そして現在、重大な問題が発生していた。
「主よ。魔力に陰りが見えるのじゃが、身体に違和感などはないか?」
それに気付いたのはテンの発言によるものだった。
アルと同じく普段から氣を練っている彼女だからこそ、微細な変化を察知した。
さまざまな検証を行った結果、原因は魔力供給量の低下。体に異常はみられないことから、それはアルの精神異常に起因している。
思い当たる節は一つしかなかった。
ヨルの召喚を解いたとき、それが顕著に表れることから間違いないだろう。
気付かぬうちに蓋をして、見えないように隠していた傷。
それを自覚したときには膿となって、アルの心に纏わり付いていた。
イクス村を出発してから毎晩、目を閉じてから考える。
眠りにつくまでの間、心の整理をしようと思考を巡らせる。
今さら過去は変えられない。
ならばこれからどうするか。どう向き合っていくのか。
その答えを探している。
どうすることもできなかった過去を思い悩むより、未来に目を向けたほうがいいと頭では理解している。
そう努めるようにしてきた。
しかし、心はそれを認めなかった。
幼少より親の愛情を知らずに育ち、多感な時期にはあまり多くの人と関わることなく生きてきた。
それは心の成長を阻害する。
アルは自身の心と向き合う方法を知らなかった。
理性という名の暴力で、心を、感情を押さえつけていたにすぎない。
その結果が、心の奥底に深く刺さったままの棘である。
「矢張り、お主のことを、もっと詳しく教えてはくれんか」
宿に戻るや否や、メアが神妙な面持ちで問い掛ける。
何が聞きたいのかはすぐに見当がついた。
まだ伝えていないこと。隠したままになっていること。
過去に囚われるな前を向けと、強引に抑圧してきた心を蝕む傷跡を――。
イクス村を出発したアルはこっそり進路を変更したが、それはすぐに勘付かれた。
その理由を問われ、誤魔化せないと思ったアルはかいつまんで説明をした。
幽閉されていたこと。
成人してすぐに家を追い出されたこと。
だが、それだけだった。
その後の苦労話も少しは話したのだが、肝心なことは避けていた。
伝えることができなかった。
言葉にするのを躊躇った。
メアはそれを聞きたがっている。
「あんまり面白い話じゃないと思うけど」
「それでもじゃ。お主はいつも独りで抱え込もうとする。悪い癖だと言っておろうに」
今さらどうすることもできない過去のこと。
これは感情の問題であり、心の中で折り合いをつけなければならない。
それができるのは自分だけ。
それを話して一体何になるのか。ただいたずらに心配を掛けるだけではないのか。
アルはそういった認識だった。
「お主、状況が分かっておらんようじゃな。良いか? このままでは妾らが本気で戦うことができんということじゃ。原因が分かっておるなら皆で解決策を探ろうではないか」
メアの言うとおり、身体を強化するための魔力を制限していては本来の力を発揮することはできない。
もっともメアの場合「本気を出させろ」と自分本位な考えで言っているのだろうが、それがかえってアルの心を軽くさせた。
これは彼女なりの気遣いなのだろう。
自分のためなのだから気にせず心配を掛けろと。もっと頼れと言っているように思えた。
「主様。微力ながら私も何かお手伝いできればと」
「わたしも」
「しっかりしてもらわなければ困るからの。何でも申すが良い」
ここ二週間、毎晩考えた。
閉ざしてしまった心の内を知ろうと努力した。
自分が本当はどうしたいのか、何が彼を苦しめているのか。
その本心を探ろうとしていた。
「お主が何に悩み、何に苦しんでいるのか聞かせてはくれんか」
アルは自分自身の問題なのだからと人を頼ろうとはしなかった。
親の愛情を知らずに育った彼は、甘え方を知らなかった。
自分一人の問題だとしても、一緒に解決しようと。もっと甘えてもいいのだと。
彼女たちはそう告げていた。
「……わかった」
アルはすべてを話すことにした。
幼少よりアレクシスのために尽くしてきた一人の女性。
犠牲となった、ミーシアのことを――。
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「やぁ。順調かい?」
【鉄の森】大広間より先の奥深く。
ロプト・スコルドは一人の女性に声を掛けた。
「あなた、確か【渓谷の洞穴】でしょう? なぜここにいるの」
「大したことじゃないよ。ちょっと、頼まれ事をね」
「何を頼まれたのか知らないけど、それ以上近付かないで」
「つれないなぁ。悪かったって思ってるよ。赦してほしいとは思わないけど」
ロプトから距離を取るリーフェ。
そんな彼女の態度に肩を竦めながら二の句を告げようとしたところ、リーフェが先に声を上げた。
「私に一体なんの用なの? 頼まれ事って何?」
警戒心を抱く彼女に、ロプトは呆れたように口を開いた。
「矢継ぎ早だなぁ。ただ、みんなが納得する方法を考えたら、これが一番かなって思っただけだよ」
「話が見えない。けど、そこから一歩でも動いたら容赦しない」
何をしでかすか分からないロプトに警告を発する。
元より信用できない相手にリーフェはより一層警戒を強めた。
「ほら、意見が割れてるでしょ? だから、意思統一を図ろうと思ってね。これはその一環だよ」
「……こんなやり方が認められるとでも?」
「死人に口なしだよ」
臨戦態勢を取るリーフェ。後ろへと大きく跳び、距離を取って詠唱を始める。
「風の精霊よ、突風を起こし近付く者を――」
「遠隔召喚――【シトラ】」
リーフェの背後に巨大な何かが現れる。
得体の知れない気配に気付き、振り返ろうとしたリーフェの頭が噛み砕かれた。
頭部を失った身体は力を無くし、ゆっくりと地に倒れ伏す。
それを見届けたロプトは満足気に哂う。
「心配しなくてもいいよ。彼もすぐに送ってあげるから」
こともなげに言い放つロプト。
シトラの召喚を解くと、死体を放置したままその場を立ち去った。




