43話 笑顔の裏側
「なんで……こんなことに」
ミーシアが訳も分からぬ政略の道具にされた。
その事実に当惑するアレクシス。
「ミーシアは関係ないだろうが」
相手の貴族は三十半ば。既に正妻も居る。
これでは政略にも成らない。ただの妻妾ではないのか。
「俺の……俺のせいなのか」
嫌がらせとしか思えないその行いに、アレクシスは自身を責めようとした。
「アレクシス様!」
そんな彼にミーシアが応える。
「いいんですよ、アレクシス様。ほら、私って平民なんですよ? それが貴族になれるんです! 凄いことじゃないですか!」
気丈に振る舞うミーシア。
そんな彼女を瞳の中に捉えたアレクシスに、ミーシアは優しく語り掛ける。
「私も、もう三十になりました。こんな私を貰ってくれるお貴族様がいるんです」
ミーシアは見た目だけで言えばまだまだ若い。
精霊術に召喚術、それに侍女としての仕事も熟せる。
そんな彼女は平民でも引く手数多だ。
アレクシスの専属侍女でなければ今頃は幸せな家庭を築いている。
そう確信できるほどに彼女は魅力的な女性なのだ。
アレクシスの存在が彼女を縛り付けている――。
自分のせいで強引な縁談が組まれるまで、ミーシアに恋する時間を与えてあげられなかった。
「確かに、先方とはお会いしたことがありません。ですが、正妻の方を大切にしていらっしゃると聞いています。きっと、私のことも大切にしてくれますよ」
「でも……」
「アレクシス様は……私の幸せを、願ってはくれないのですか?」
ならば、なぜそんな顔をするのか。
辛そうで。泣き出すのを必死に堪えるような――。
アレクシスはその問いに対し、すぐには答えられなかった。
「アレクシス様も、もうすぐ成人を迎えられます。その時まで一緒に居られなかったのは残念ですが……」
そこで言葉が途切れるミーシア。
彼女もその疑問の答えを薄々は察していた。
アレクシスが成人を迎えると、専属としての役目を終える。
あと数か月。それを待たずして解任となるのはおかしな話であった。
縁談話などはその後に進めればいい。
これはアレクシスへの嫌がらせとして強硬された手段であり、ミーシアはその犠牲となった。
それが事実とは異なるとしても、アレクシスならばそう捉える。となれば、彼は自分を責めるだろうことはミーシアにも簡単に想像がついた。
「ほ、ほら。貴族になれば、こんなに立派なベッドで寝られるんですよ! 美味しいものだっていっぱい食べられますし、それに欲しい物だってなんでも買えちゃいます! 時間もたっぷりと取れるので、アレクシス様のようにいっぱいお勉強もできますね! これからは、やりたいことも、いっぱい……」
彼が自責の念に苛まれないよう努めるミーシアだが、アレクシスはそれも当然にして気付いていた。
産まれたときより一緒に過ごしてきた彼女のことは誰よりも知っている。
「だから……。アレクシス様、私を――笑顔で送り出してくれませんか?」
心配を掛けまいと作られた笑顔で問う彼女に、アレクシスは肯定以外の選択を選ぶことなどできなかった。
「ミーシアの……幸せな毎日を、祈ってる。俺も頑張るから……次会う時は、お互い笑顔で会おう」
「ありがとうございます、アレクシス様」
そう言って優しく微笑むと、ミーシアは一筋の涙をこぼした。
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成人を迎えたアレクシスは、ルーセントの執務室に呼び出されていた。
「当家に貴様のような無能は必要ない。出て行け」
ただ、それだけ。
こちらを見ることもなく淡々と告げられた言葉。
アレクシスが成人したことで親としての務めを果たし終えたルーセント。
彼は片方の責任から解放されたことで、当主としてアレクシスを追放処分とした。
予想はしていた。
それに、いつまでもここに閉じこもっていては何も始まらない。
次にミーシアと会う時は笑顔でなければならない。それはこの家に居ても達成できないだろう。
無言で部屋を出たアレクシスは別れの挨拶をするため兄たちを探した。
しかし、どこを探しても見付からない。
出掛け先を家人に尋ねても知らないと言う。
口止めをし、兄たちの居ない日を狙ったのだろう。
離れに手紙を隠し、兄たちに見付けてもらえることを祈りつつ屋敷を後にした。
「冒険者登録をお願いします」
「はい。では、ここに必要事項をご記入ください」
何もないアレクシスにはこの生き方しか選ぶことはできなかった。
幸い、ダンジョンについてはある程度把握している。シーレの能力を使えばきっと上手くいくだろう。
暫くはこの街で金策をし、余裕ができたら別の街へと移る予定だ。
「これでお願いします」
記入した用紙を提出する。
「アルさん、十五歳ですね」
アレクシス・ヴォルテクスの名は捨てた。
これからはただのアルとして、自由に生きていく決意を込めて――。
「では、冒険者ギルドについてご説明させていただきますね」
ギルド証を作成している間に簡単な説明を受ける。
ほとんどの事は知識としては知っていた。だが、現実としてそこに身を置くというのは苦労が絶えないものとなるだろう。
実際、始めて数か月は惨めなものだった。
魔鉱石の良し悪しなど判らないアルは二束三文の魔鉱石を採取し、評価を下げることもあった。
数日間そのままにしておけば、良質とまではいかなくともそこそこ使えるまでには成長する。
これはその芽を摘む行為なのだ。
鑑定に出す冒険者の魔鉱石を観察し、その価値を見定められるよう努める。
それだけでなく、冒険者自身も見極めようとした。
そうして強そうな冒険者の後を追い、彼らが採取しなかった魔鉱石のおこぼれを頂く。
――卑しい。
だが、そうでもしないと生きていけない。
お金を貯めて、この街を出ることなど叶わない。
どれほど醜かろうと、人様に迷惑を掛けてさえいなければと必死だった。
ひと月ほども経てば体力もついてきた。
冒険者はダンジョン内を歩き回るのが仕事。当初はそれだけで手一杯だったが、余裕も出てきたことでモンスターとの戦闘も視野に入れる。
まずは手前側のモンスターで確かめる。シーレの能力を使えば単体でうろつくモンスターを見付けるのは容易い。
そうやってどの程度奥のモンスターなら狩れるのかを確かめていく。
三か月もすれば自身の力量も把握し、お金の余裕も出てきた。
そろそろ別の街に移ることを考える。
ミーシアと顔を合わせることはまだできない。
今の情けない姿など見せられるはずがなかった。
アルは未だに上位冒険者のおこぼれを拾っている。
せめて一人前の冒険者になって、自立したと胸を張れるようになるまでは――。
一年半が経過した。
これまで倹約してきた甲斐あって、安物だが装備も充実してきた。
ようやくまともな生活を送れるようにもなった。
次はもっと遠くへ――。
アルは辛い過去から物理的に距離を取ろうとした。
王国中央部には大きな荒野が広がっている。
馬を一昼夜走らせてようやく抜けられるほどに広大なため、交通の面からも人が住み着くことはない。
そこは不毛の大地。
はるか昔、聖王と魔王の苛烈な戦いによって焦土と化した土地だと伝えられている。
その大地の向こう側へ。
南側から回り込むようにして長い長い旅路を歩む。
各地で簡単な依頼を熟しながら東へ。
そうして王国東部、メメクの街に辿り着き、そこで彼は惰性のままに二年と少しの時を過ごす。
すべてが過去として割り切れるようになったある日。
ダンジョン奥地で巨大な獅子と出逢うことにより彼の運命は動き出す――。