4話 宿での一幕
『この恥晒しめ』
『貴様のような無能は必要ない。出て行け』
――目を開けると朝になっていた。
前日の出来事がまだ尾を引いていたのだろうか。最近見ることも無くなっていた夢を見て朝から気落ちするアル。
(昨日は色々あったからな。気にしても仕方ない。もう関係ないんだ)
無理矢理思考を切り替えようとベッドから起き上がると――。
「……メア?」
隣ではメアが寝息を立てていた。
予想外の事態に直面して思考が明後日の方向へと吹き飛ぶ。
なぜこんな状況になっているのか。昨晩の事を思い出そうとするが、うまく頭が回らない。
しばらく固まっていると、メアが目を覚まして体を起こす。
「ふぁぁあ……。おはよう、じゃ」
寝ぼけ眼を擦るメア。
少しして何かを思い出したようで、唐突にアルを責め立てた。
「そうじゃ、お主! 昨日はよくも妾を放って寝よったな!」
ギルドで《双炎の牙》が帰還していないと聞いて頭が真っ白になったアルは、それからの事をあまりよく覚えていなかった。
思い出そうと頭を捻るアルに、メアがさらに捲し立てる。
「妾が話し掛けておろうに、ずっと上の空だったではないか!」
どうやらお冠らしい。
「えぇっと……すまん?」
話の展開に思考が追い付かず、生返事をしてしまったアル。
そんなアルに顔を近付けつつ、畳み掛けるようにして詰め寄るメア。
「なんじゃその返答は! 一晩経っても直っておらんではないか!」
怒っていても愛くるしいと思えるその姿に、アルは顔が綻びそうになった。なんとか堪えてメアを宥めようと試みる。
少し時間が掛かってしまったがその代償は――甘味であった。お勧めの一品を紹介することで手打ちとなった。してやられたアルである。
「それよりなんで同じベッドで寝てたんだ」
一段落したところで、アルはずっと気になっていた事を尋ねた。
「仕方ないであろう。ベッドは一つじゃ。お主は妾に床で寝ろと申すのか」
それもそうかと頷くアル。まだ頭が正常に働いていないようだ。
シーレは十センチ程度しかないので、いつも枕元で休んでいる。しかし人間サイズのメアはそうもいかない。部屋をもう一つ借りるべきであったが、そこまで頭が回らなかったらしい。
そもそも召喚獣のために、もう一部屋借りるという概念が無い。召喚を解除してしまえばいいからだ。
そこでアルは閃く。この状況を打開する最善策を。
「ならいっその事、寝る時は召喚を解除するか」
今まで一度も解除したことのないアルにとってはまさに妙案だったのだが――。
「お、お主は妾を脅迫しようと言うのか……」
わなわなと震えるメアの反応に困惑するアル。一体何の事かと首を捻る。
「そ、それともあれか!? さっきの仕返しじゃな!?」
「ちょっと待て。これは何の話なんだ?」
取り乱すメアを落ち着かせ、なんとか話を聞き出す。
メアは暗くて狭い場所に閉じ込められ、そこでずっと虚無な時間を過ごしていたと打ち明ける。数えるのも忘れてしまう程の、とても長い歳月を――。
「もうあのような場所には戻りとうない」
なぜそんな場所に閉じ込められていたのかは良く分からないらしい。
それは遠すぎる過去の話だからと言うのもあるだろうが、怯えるメアを見て詳しく聞き出す気にはなれなかった。
ようやくいつものメアに戻ったときには、なぜかお勧めの一品がもうひとつ追加されていた。まんまと嵌められたアルであった。
今度こそ一段落したところで腹の虫が鳴る。そこでアルは昨日から何も食べていないことを思い出した。
亭主に朝食を用意してもらい、部屋で食べながら昨日の話をすることに。
《双炎の牙》が戻っていないと告げられたあとの事はよく覚えていない。
メアに聞けば分かるだろうと高を括っていたアルは、その認識の甘さを改めなければ成らなくなった。
結論から言うと、何も分からなかった。メアはギルドでの話を聞いていなかったのだ。
ただ一つ分かった事があるとすれば、それはアルの様子に変化がみられた直後にギルドを去ったということのみ。なので大した話はしていないだろうと推測するしかなかった。
そもそもギルドはあまり期待できない。基本、ダンジョンは自己責任だ。
それは冒険者ギルドの成り立ち、延いてはこの国のシステムに起因する。
平民がこの国の街で商いをする場合、どこかのギルドに加入しなければならない。鍛冶屋なら商工ギルド、食料品を扱うなら食品衛生ギルドといった具合だ。
それぞれのギルドは加入者の売り上げの一部を回収し、手数料を差し引いた額が税として徴収される。
一括で管理することにより徴収の効率化が図られ、なおかつ、加入者もさまざまなサポートが受けられるようになる。
それがこの国のシステムだ。
そこに降って湧いたように出現したダンジョン。その中で発見された未知なる鉱石。
魔鉱石と名付けられたその石を探し求める人々のために設立されたのが冒険者ギルドである。
冒険者ギルドは魔鉱石の鑑定から販売まで、駆け出し冒険者なら騙されてもおかしくはない作業を代行してくれる。売り手だけでなく買い手も安心して取り引きができる相手だ。
これにより、魔鉱石探しに集中できるようになる。
しかし悲しいことに、夢に破れて帰らぬ人となる可能性が高いのも冒険者の特徴である。
行方不明者等の情報共有くらいは行うが、そんな人達を助けるほどの慈善事業ではない。
ギルドは徴収の効率化を図るために設立された組織であり、その他不随する恩恵は言わば善意なのだ。
もちろん依頼を出せば別ではあるが、請けてくれるかどうかはその人次第である。
今回の件をどう扱えばいいのか思考を巡らせながら食事を摂っていたアルであったが、食後のデザートを食べているときにメアの視線を感じた。
「どうした? もしかして好きなやつだった?」
食事は要らないと断ったメアであったが、もしかしたらデザートは別なのかもと思い、アルはそう尋ねた。
しかし、返ってきたものは予想とは違っていた。
「お主は何をそんなに悩んでおるのだ?」
「……正直、分からない」
助けに行く義理はない。それはアルも重々承知しているのだが、このモヤモヤする気持ちの正体が分からない。メアもそれを察したのだろうと――。
「そうじゃな、妾は栗きんとんが好物であるぞ」
お勧めの一品で悩んでいるのだと勘違いしたメアは上機嫌に言い放つ。
何の話かと戸惑いを見せるアルに、メアは勘違いを重ねる。
「なんじゃ、知らんのか。栗を使ったそれはそれは美味なる和菓子であるぞ」
「いや、そうではなく――」
メアの勘違いに気付いたアルは現状を伝える。
あまり興味は無さそうだったが、それでも話はちゃんと聞いていたらしい。
「お主が気に病む事ではなかろうに」
「それはそうなんだけどな」
アルは助けに行こうなどとは思っていない。
メアの言うようなお人好しではないと自認しているアルだが、なぜかそう簡単に割り切れなかった。
「では、一度助けてから仕置きをする、というのはどうじゃ?」
仕置きというものに拘りを見せるメア。その言葉を口にする時、なぜか少し楽しそうなのが気にかかる。
今のメアからは大した事はしないだろうと思えるものの、獅子姿のメアを想像したとき、一体何をしでかすのだろうかとアルは不安に駆られた。
「わざわざ助けてまで仕返しすることはない。関わらないのが一番だ」
助けるための労力を割いてまで復讐しようなんて思わない。どこに居るかも分からない人を、危険を冒してまで広大なダンジョンへと探しに行く理由がない。
そもそも、関わり合いになりたくないのだ。
そう思うアルであったが、何かが引っ掛かった。
「考え込んで、どうかしたのか?」
メアに眉間を突かれるアル。難しい顔をしていたらしい。
「今日のお主はずっと眉間に皺を寄せておるな。妾がおるではないか。何でも話してみると良いぞ」
「そうか!」
今のアルにはメアが居る。過去の自分と比較して、圧倒的に違うもの。その強大すぎる加護とシーレの能力を駆使すれば、ダンジョンで人を探すのも容易いだろう。
今なら難しい事を簡単にやってのける力がある。その力を行使しないことに引け目を感じていたのがこのモヤモヤの正体だった。
「急にどうしたのじゃ」
「ありがとうメア。お陰でスッキリした」
「まだ何も話しておらんではないか」
釈然としないメアとは対照的に、晴れやかな表情を見せるアル。どうやら彼の中では問題が一つ片付いたようだ。
「よし、そろそろ行くとするか」
「お主の情緒はどうなっておるのだ」
こうして好対照な二人は揃ってギルドへと向かうのであった。