35話 揺れる決意
突如、世界に姿を現した人語を介する召喚獣。
これまで教会の手によって隠されてきた神獣。
トートという狒々の存在が世間に知れ渡ったことにより、世界は大きく揺れ動くことになる。
そして今、アルたちも揺れていた――。
「じゃぁ、いくぞ?」
「よし、いつでも良いぞ」
「じゃ……せーの!」
アルは短剣を大きく振り下ろした。
「あー待て待て! 待つのじゃ!」
その手を止めるアル。
「少し待て。落ち着くのじゃ!」
「臆病」
「いつまで続ければ気が済むのか」
先程から何度も繰り返している行為。
寸でのところで決心が揺らいでいた。
「ならばお主たちが先にやれば良かろう!」
「主が先にと言い出したことではないか?」
そう。メアの封印石から壊すという話であった。
「怖いものは怖いのじゃ! 仕方なかろう!」
トートが無事だったことで、大事に抱えておく意味がなくなった。
それに、所持しているだけで罰せられる物。ならばすぐに壊してしまうのが道理。
大きく息を吸って呼吸を整えるメア。
「よし、いつでも良いぞ」
こうしてまた振り出しに戻るのである。
「じゃ、いくぞ? せーの!」
短剣を振り下ろす瞬間、メアは目を瞑った。
何も起こらない、音すらしないことを不思議に思ったメアが片目を開ける。
「……すまない。今回も止められるかと思って……」
「お……お、お主! せっかく妾が決心したと言うのに! 何たる仕打ちであるか!」
「本当にすまないと思ってる。じゃ、いくぞ? せーの!」
「あーあーあーあー! 待て! 待つのじゃ!」
絶好の機会を逃してしまったのかもしれない。
「そう早まるでない。まずは落ち着くのじゃ」
「さっきは悪かったって思ってる。けど、早くしないと干潮に間に合わなくなるから……」
誰もいない場所で事を済ませるため、ダンジョンの奥へとやって来ていたのである。
メアの様子を見るに、それは正解だった。
町の中でこんなやり取りはできない。屋外だとシーレの能力が制限され、何者かの接近を許す。
内緒で壊してしまえば早いのだが、それは不誠実なのではないかと無駄な気遣いをした結果がこの不毛なやり取りである。
「わたしが、やる」
そう言ってリルは自身の封印石を砕いた。
「リルは決断と行動が早いなぁ」
賊を捕えた時もそうだが、口に出してから行動に移すまでが早い。今回はそれに助けられた形だが、後で少し注意しておく必要がありそうだ。
「妾が先と言ったであろうに」
メアは少しだけ拗ねていた。
よく分からない拘りだが、それを気にしている時間すら惜しい。
今は確認を急ぐ。
「じゃぁ、一旦解除する」
「うん」
それを行うための動作や詠唱などは不要であり、意識をするだけで完了となる。
次に、軽く意識を傾けつつ真名を口にする。
「召喚――【リル】」
実はこれにはちょっとした抜け道がある。
強く意識できるのならば、例えばリルなら『フェンリル』でも『狼』でもいい。
言葉にすることで対象の明確なイメージを構築できるため、召喚する際の手助けとなる。
そして無詠唱でも召喚できるのだが、それは最も難度が高い。
「どうであった?」
「大丈夫だった」
封印される前と同じ、元の世界へと帰ることができたようだ。
「どれ。次はわっちも試すとしよう」
「妾が先と言っておるであろう!」
先ほどまでとは違い、メアの立ち姿はとても自信に満ち溢れていた。
リルが無事だったことで恐れは消え去ったらしい。
そんなメアの様子にテンは妖しく笑う。
「先ほど壊した封印石とやら。あれは本当にリルを封印していた石であったのか。わっちを封印した石と取り違えてはおらぬか。その確証を得られておるのか?」
「そ、それは……」
「取り違えておったとしても、わっちの石を先に壊せば主が今抱えておる不安も取り除けるのではないか?」
「た、確かに! それもそうじゃな、妾はその後にするとしよう」
テンはもっともらしい屁理屈を並べてメアを丸め込んだ。
勘の鋭いメアだがそれを悟らせない程の堂々とした振る舞い。見倣わなければとアルは感嘆の声を漏らした。
そうして地面に置かれた封印石の前に立つテン。帯に差した扇子を右手で引き抜き、上から下へと軽く一振り。その動作は石もろとも地面を砕いた。
扇子が地面に届いたわけではない。
体外へと放出した氣は半透明な何かで形作られ、それが石に衝撃を与えた。
これこそが仙術の神髄である。
技術の高さに圧倒されたアルであったが、すぐに我に返りテンの召喚を解く。
こちらも元の世界へと戻り、召喚も無事に成功した。
「最後はメアの番だな」
「そうじゃな。では、早速壊すとしよう」
そう言ってメアは薙刀を振り下ろした。
「少し、手元が狂ってしまったようじゃ」
もう一度振り下ろすメア。
「……俺がやろうか?」
「……頼む」
どうしても最後の最後で決意が揺らいでしまうメアであった。
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「モルドー家……油断ならぬ相手よ」
白髪交じりの髪と髭を蓄えた老齢の男、スキルヴィング・リバルドル。彼は枢機卿の中でも大きな発言力を持つ。
「どうする? 殺っちゃう?」
「短絡的に物事を考えるなといつも言っておるだろう」
軽率な発言をする少女。テュルティ・ハティムという、まだ成人を迎えたばかりの小娘である。
「それよりテュルティ。トートは召喚できなかったんだよね?」
王都に帰還していたマクシムが問う。
「そうなんだよねぇ。一足遅かったんじゃない?」
彼女は召喚士としての資質が高く、今回、狒々の召喚を試みた人物である。
「狒々の召喚陣を知ってて隠してたんだろうね。他にも何か知ってそうだなぁ」
「調べればいいんじゃない?」
「モルドー家は古い家だからね。そう簡単じゃないと思うよ」
実際、モルドー家に仕える者たちは古くから縁故のある家で固められている。間者を潜り込ませることなど不可能に近い。
「そっかぁー。……あれ?」
マクシムに近付き、匂いを嗅ぐ少女。
「血の匂い? 何してたの?」
「あぁ、ちょっと懲罰をね」
アマツキ支部の暗部は事情を知りすぎていたため、マクシムは念の為にと処分してきたところであった。
「えー、ずるいっ!」
「ごめんごめん。今度はちゃんと呼ぶからさ」
「そうやって軽々しく懲罰を行うから人員が足りなくなる」
「仕方ないでしょ。生かしておいてもメリットないんだし」
「そうだそうだぁー。おじいちゃんは考え方が古いよっ!」
「猊下と呼べ」
「おじいちゃん猊下」
「リバルドル猊下だ」
教会は司祭以上の役職になると、聖王から名を賜る。
血縁関係にある二人の姓が違うのはそのためである。
「めんどくさいなぁ」
悪態をつくテュルティ。枢機卿の立場にあってもまだまだ幼いままであった。
「聖下は何か言ってた?」
「会議を行うと言っておった。聖下のお考えはその場で知ることになるだろう」
「ふぅん」
「いつするの?」
「遠い地におられるヘズリム猊下次第だろう。早くとも二週間先といったところか。すぐに都合がつけば良いのだが」
「それって使者の到着前に出発するってことだよね? まぁ、ヘズリム猊下ならそう判断してもおかしくないのかな」
こちらから送り出した早馬が到着するのが一週間ほど。それを受け、馬車で王都まで二週間。
彼の判断次第だが、事が事だけに使者を待たずして動く可能性は高い。
「じゃあさじゃあさ、もっと伸びるかもってこと? 聖下、大丈夫かなぁ。おじいちゃんよりおじいちゃんでしょ」
「……育て方を間違えてしまったようだ」
大きな溜息と共に愚痴を零すスキルヴィング。
出来の悪い息子と違い、幼少より資質の高さが垣間見えたことでテュルティには英才教育を施してきた。
魔王の再来を疑われもしたが、精霊との親和性の高さからそれは否定された。
「常識から叩き込むべきであった」
小首をかしげる少女に対し、頭を悩ませるスキルヴィングであった。