34話 激動の兆し
翌日、昼を大きく回った頃にアルは目を覚ました。
前日は頭痛に悩まされ、とても寝苦しい夜を過ごした。疼痛に耐え続け、ようやく痛みが和らいできたのは朝方になってから。なのでこんな時間まで眠りこけていたのである。
そして今はもうすっかり良くなっていた。
「どうやら起きたようじゃな」
アルが目を覚ましたことに気付いたメアが声を掛ける。
「調子はどうじゃ?」
「もう大丈夫。心配を掛けた」
起き上がろうとしたところ、ベッドに顔をうずめて眠っていたリルに気付く。
「今し方寝たところでな。暫くはそっとしておいてやってくれんか」
体を起こすことを止め、寝ころんだ状態でメアに問い掛ける。
「リルはずっと起きてたのか?」
「交代で番をしていただけじゃ。ベッドで寝ろと言うても聞かんでな」
「そうか。後でお礼を言っておかないとな」
アルの看病もそうだが、精霊石を見張るために交代で起きていたようだ。
召喚主が眠っている状態だと、召喚獣は力を最大限発揮することができない。
それは魔力供給量が大幅に低下するため、すぐに残存魔力が無くなるからだ。
昔読んだ学術書には興味深い内容が記されていた。
さまざまな条件下に於いて、睡眠時における召喚獣と魔力について行った実験結果を纏めたものだ。
それによると、召喚主の睡眠時には召喚獣も入眠し、魔力消費を抑えようとする傾向にあること。
召喚主が目覚める前に召喚獣が消えていた場合、召喚主は魔力切れを起こしていることが殆どであった。
そして魔力量が多い者と下位の召喚獣で試したところ、これもまた入眠しようとする。
充分な魔力量があっても入眠するということは、魔力供給量が低下しているのだと推測される。
ならば魔力量の多い者と上位の召喚獣。この場合は魔力切れを起こさなかったにも関わらず、召喚獣が消えていた。
魔力供給量の低下を裏付ける結果となった。
シーレを下位精霊だと誤認する要因になった書物である。
メアたちは魔力の消費をできるだけ抑えようと努めていた。
複数体の召喚や体調不良などでも供給量の低下がみられるため、その行動は正しいと言えよう。
「メアは自分の残存魔力がどれくらいか分かるのか?」
「正確には把握しておらんが……そうじゃな、ダンジョンならばあと一時間は潜れるであろう」
メアにとって、それは児戯に等しい行為と言えるだろう。
それを多いと捉えていいのか疑問ではあるが、それだけ動けるのなら問題はなさそうにみえる。
半日以上も魔力供給量が低下し、残存魔力が減った状態での一時間。これはある程度距離が離れていても戦うことができるという証明でもある。
そうこうしていると、リルとテンが目を覚ます。必要十分な魔力量を確保したのだろう。
「妾が何か買ってこよう。お主はもう少し休んでおれ」
彼女の言葉に甘えることにして、幾ばくかの金銭を渡す。それを受け取ったメアは落胆の表情を見せた。
その様子からメアの言いたいことを察したアルは、少し多めに渡すことにした。
「みんなの分も頼む」
ついでにお菓子を買うつもりだったようだ。
昨日はゆっくりする暇もなく、メアたちは何も口にしていなかったことを思い出した。
召喚獣は食事を必要としない。だが、食べているところを目にすると、自分も食べたくなってくるもの。それはメアの言う仕置きへの拘りからも窺える。
「わっちは遠慮しておこう。その分、主の好きな物を買ってくると良いじゃろう。そこまで食い意地は張っておらぬでな」
当然、個体差はある。
人と同じように心があり、考え方もそれぞれで異なるからだ。
「妾もそこまで欲しいとは言っておらんぞ。お主はこの町で油揚げを見ておらんから諦めているだけであろう?」
「わっちは無ければ無いで構わぬ。主のように物欲しそうに涎を垂らすことなどありはせんからの」
なので、こうして言い合いになることもあるのだ。
「いつ妾が涎を垂らしたと言うのじゃ。お主の勘違いであろう」
「甘味処――桜見茶屋での一件、忘れたとは「あーあーあー! 知らぬ! 妾は何も知らぬぞ!」」
どうやら痛い所を突かれたメア。その様子から涎を垂らしたことは間違いない。
何があったのかは分からないが、メアの仕置きとやらの根源はそこから来ているのだろう。
報復する場合、自分がやられて嫌だったことを相手に仕返すのは神獣も同じであった。
言い争いの最中、アルの腹の虫が鳴る。
「……テンの分で俺のを少し多めに頼む」
「そうじゃな、そうするとしよう」
そうしてメアはそそくさと部屋から出ていった。
「子供」
「確かに、癇癪を起こすなどまるで幼子のようじゃの」
「テンも」
「なっ――!?」
まさか自分のことだとは思わなかったのだろう。驚きを隠せず固まるテン。
「リルは大人だなぁ」
見た目は幼いリルだが精神は大人びていた。少なくとも、この中では一番落ち着きがある。
容姿はイメージの産物らしいので、あまり当てにはならないんだなと改めて実感する。
「妹たちをよろしく頼むな」
そんな冗談を言いながら、空腹に耐えるアルであった。
翌日、アルは大事をとって休むことにした。
夕方ごろまでゆっくりと過ごし、そこから屋台巡りをしながらギルドまで足を運ぶ。
ギルドへ入ると、職員が掲示板に新しい情報を張り出そうとしているところだった。
先に魔鉱石の鑑定を済ませるために、受付へと向かう。
暫く待っていると、掲示板を確認した冒険者が驚きの声を上げた。
「は? なにこれ、嘘だろ?」
「いや、でも確かモルドーって侯爵家だろ? 嘘つくか?」
「これ、それだけじゃねーよ。ほらここ、王に謁見したって書いてる」
モルドー家と言えば、召喚士として王国に名を馳せる名家。興味を惹かれたアルは魔鉱石を預けるや否や、掲示板の確認を急いだ。
――我はトート。神獣である。
そんな見出しが目に留まった。
「これは……」
何かが大きく動く予感がした。
いったい何を考えて世間に周知したのか。
トートはその危険性を伝えなかったのか。
これでは教会に狙われるだけではないのか。
さまざまな疑問を抱きつつ、アルは記事を読み進めた。
「なるほど……」
一通り読み終わったアルは小さく呟く。
どうやらこの記事は王の威光により、王国全土へ同時に報せるものだった。
確かに、ここまで大ごとにしてしまえば教会も迂闊に手を出せない。
組織の存在を仄めかす内容。トートの認識では数百年前から暗躍する数人の者たち。
教会が何か策を講じるとしても、上手くやらなければ大きな組織の影を落とすことになる。
そして、トートを強制的に使役していた召喚石。それを封印石と名付け、その製造、及び所持を禁ずる法律が発布された。
しかし、召喚石という文字は見当たらなかった。
あくまで封印することのできる石であって、強制的に使役できるという事実は伏せておくようだ。
それを隠す意図は分からない。だが、アマツキの街での一件と同じように、何か考えあってのことだろう。
事情の知らぬ者たちからすれば、この記事は信じがたい内容ばかり。それでも教会にとっては大きな一撃となる。
(こんな大胆な作戦にトートが手を貸すとはなぁ)
トートとの別れ際、彼は全てを諦めているかのように見えた。もう、このまま死んでもいいとさえ思っているような――。
そんな彼が、今や世界を大きく動かす存在として現れた。
それには恐らくだが、自身の安否をアルに知らせる意味合いも含まれている。
これにより、召喚石を破壊しても問題はないとの確証が得られた。次に召喚石を使用する者が現れたとしても、真っ先に壊してやればいい。
懸念があるとすればモルドー家の安全だが、そこは王家と連携が取れているのならアルの心配には及ばないだろう。
モルドー家は三大侯爵家の一角。狒々の召喚陣を知っていたほどの名家だ。
他にも有用な知識を独占していると思われる。
熟考したアルは次に、今後の展望について考えを巡らせた。