28話 それぞれの道筋
昼頃に一報を入れたノルディは解読を急いでいた。
一見すると、簡明に纏められた報告。
詳細を省き、現状と結論だけを伝える一報。
その実、時間稼ぎのための幼稚な策略であった。
やり取りを重ねることで時間を作ろうとしたノルディであったが、彼の目論見は早くも崩れ去る。
「ようこそおいでくださいました、ファイゼル枢機卿猊下」
日暮れ時、一報を入れた数時間後には事態が動いた。
王都から近いアマツキの司教が行方不明。その詳細も不明。何かが抜け落ちているような違和感。
ノルディの企みは、事態を急変させるだけの愚策に終わった。
「わざわざこのような所へ猊下自らがお越しに――」
「前口上はいい。仔細を聞こうか」
マクシム・ファイゼル枢機卿。教会を運営する枢機卿団の一員を担う。
ノルディ司祭より一回り以上も若い彼がその地位に就いている理由。それは、圧倒的な資質の高さによるものであった。
「……では、こちらへ」
思いもよらぬ大物がやって来たことで冷や汗が止まらないノルディ。恐らくこの相手に嘘は通じない。
ならばブルガルドのことを含めて正直に話し、うまく取り入るのが賢明だろう。
話の過程で神獣の召喚石の紛失や、暗号化された文書の存在を明かす事になる。
だが、枢機卿と接点を持てる絶好の機会でもある。
考え方によってはこれが最善。彼に気に入られれば、教会での地位は盤石なものとなるであろう。
前向きに捉えることにしたノルディは、責を問われぬよう慎重に言葉を選ぶ。
「では、改めまして。アマツキで司祭を仰せつかっております、ノルディ・ハウマンと申します。未だ不明な点も多く拙い説明となりますこと、誠に恐縮ではございますが、何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げます」
そうしてノルディは仔細を語り始めた。
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アルたち一行はガンドルの町に向かっていた。
王国北西部に位置する港町。
王都から街や村を経由して、何事も無ければ十日ほど。次の目的地は遠い。
馬車を利用すれば早いのだが、あまり人と長い時間を共有したくはなかった。
些細なきっかけからでも妙な噂は立つもの。アルたちの見た目は特に注目を集めるため、気を付けるに越したことはない。
馬車を買うことも検討したのだが、アルには乗馬の経験が無かった。
そこで図書館で調べた結果、馬車の購入は見送ることにした。
厩舎の確保や操縦する技術などはなんとかなるだろう。しかし相手は生き物。馬の世話や体調管理、意思の疎通など様々な問題がある。
それら全てをクリアしなければならないため、その難度はとても高い。
そして、最も重要な課題が残されていた。
「妾はあの店の団子が食べたいぞ」
「わたしはあっち」
「わっちはどこでも良い」
村なら問題はなかった。だが、街に着くたびこんな会話が繰り広げられるのだ。
どこでも良いと口ではそう言っているテンだが、何かを探すように辺りを見回している。お目当ては聞かなくても分かっているので誰も触れようとはしなかった。
各自が常にこんな調子なので、団体行動など出来ようはずがない。
司教にはこちらの情報がある程度知られていたこともあり、なるべく注目を浴びないよう努めなければならないのだが――。
「ならメアは甘味処、リルとテンは一緒にあの店に入ろうか」
アルは甘かった。
ペットを溺愛する飼い主が如く激甘だったのだ。
メアに路銀を渡し、別行動を取る。
魔力の供給は離れすぎなければ通常通りに行われる。このくらいの距離なら遅延すらも起こらないだろう。それに短時間であれば、残存魔力だけでも問題なく活動できる。
そしてアルは神獣二体と一緒に居るので精霊石を奪われる心配もない。
石を壊せば開放される――。
狒々の言ったことを信じていないわけではないが、何事にも不測はつきもの。確証を得られていない現段階で壊すことは躊躇われた。
なので、まだまだ気の抜けない状況が続いている。
そういった事情からアルたちの歩みは遅い。
王都からガンドルの町までは遠い。なので、アルは図書館でその行程を調べ、事前に計画を立てていた。
泊まる街、飛ばす村、通過するだけの街。
決めていたにも拘らず、全ての予定は三日目にして早くも崩れていた。
街に着くたび甘味処を探すので、通過するだけだった街が泊まる街へと変わる。そのほんの小さなズレは大きなズレへと変わりつつあった。
そう、路銀である。
思った以上にお金の減りが早い。
十日ほどを予定していたので、不測の事態が起こると間違いなく底をつく。アルにとっては現状も不測の事態と言えるのだが。
いずれにせよ、これでは予定の日数を大幅に超えてしまう。何とかしなければと頭では分かっているのだが、どうにも甘やかしてしまう。
旅を楽しむという点ではアルも賛同するところなので、無理に突っぱねる必要もないかとそれに付き合ってしまっていた。
しかし、このままではどこかで金策をしなければならない。ダンジョンの無い地での金策などいつ以来だろうか。
以前はシーレの能力を活かせる依頼しか熟せなかったが、今ならどんなものでも達成できるだろう。
行き倒れる心配のない大きな力を手にしたアルは、自身も気付かぬうちに気が大きくなっていた。
そうして現在、中間地点。すでに八日目も終わりを迎えていた。
次の目的地は未だ遠く――。
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王都にやって来たニコラスは安堵のため息をつく。事が事だけに、王への謁見はすぐに叶った。
今はそれが終わったことで極度の緊張から解放された彼だが、これから宰相ら数人の大臣たちとの議論の場が設けられることになった。
そこで仔細を語り、今後の方針を定めるという。
「私はとんでもない藪をつついてしまったのかもしれないな」
敵上層部の捕獲。新技術の解析。そして法整備。
法整備をするなら民衆に召喚石の存在を周知させる必要がある。それが一体どのような結果を招くのか、ニコラスには図りかねる重大なものであった。
一見すると通常の召喚と変わらないため、事態が悪化する恐れもある。
かと言って、召喚石の存在を周知しないままに法整備を進めては、民衆に要らぬ疑念を抱かせることになる。
知らないままのほうがいい。
知ってしまうと、人は試したくなるもの。
それが法で縛られているとなれば、それは裏へと流れる。
しかし、法整備などは大臣たちが決めることであり、ニコラスの関知するところではない。
彼の目下の課題は上層部の捕獲。これに尽きる。
取り逃がしたことに責を問われる覚悟であったが、王の寛大な処遇に救われた。それに報いるためにも全身全霊を掛けて臨まなければならない。
ヴァンに戻ってからもやる事は山積みである。
その前にまずは大臣たちとの会談を円滑に進めるために、再度、報告書に目を通すニコラスであった。
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「我はトート。神獣である」
「これは……そんな、まさか」
人語を介する召喚獣に戸惑いを見せる男。
かつてないほどの魔力を消費して顕現した狒々の大きさにも驚愕したが、それ以上に驚くべき新事実に動転していた。
言葉を扱う召喚獣――。さまざまな疑念が頭を過るが、まずは果たさなければならないこと。
「契約を交わそう。私はラディアン。ラディアン・モルドーだ」
「盟約に際していくつか条件がある。それら全てを守れるのであれば、我はお主に付き従おう」
「承知した。私に出来得る限り、全力で尽くすとしよう」
狒々が何を望もうが、これほどの威圧感を放つ絶対的強者を逃す手は無い。望む物は何がなんでも入手してみせよう。
狒々は少し考えるそぶりを見せ、そしてゆっくり口を開いた。
「我の願いは一人に集約される。そのために提示する条件は――」