25話 主と共に
翌日。【奉仙峡】奥の入り口前。
「やっぱり失敗だったかなぁ」
昨日、武器屋に寄るため少し早い時間に切り上げたのは間違いだった。
一雨降ったのか、前日よりも探しにくい状況になっていたのだ。
あれからまた少し崩れている場所も見受けられる。隙間などはもうほとんど見付からない。
ただ、崩れそうな場所を先に崩していたお陰か、昨日作った入り口は健在であった。
「まぁ過ぎた事は仕方ない。切り替えよう」
不満を漏らしている時間すら勿体ない。
誰にも見付けることができなくなったと前向きに考えることにして、ダンジョンの探索を開始した。
まずは司教の死体がどうなったのかを確認するため、昨日放置してきた現場へと向かう。
到着すると、既に喰われて無くなっていた。
残されたのは原型の留めていない破かれた布だけ。ダンジョンの奥はモンスターの数も多いことから、一夜にして死体が消えていた。
懸念材料の一つが解消されたことに安堵したアルは、そのまま奥へと進む。
モンスターの数もだいぶ増えてきたころ、少し開けた場所に出る。
同じように散乱した布と、ボロボロになった金属鎧。
剣と槍が一本ずつに、いくつかの鞄や調理用具などが散乱していた。
「ここでやられたのか」
広間へと繋がる道は二つだけ。休憩するには絶好の場所。
無警戒のところへ突然モンスターが湧いたのだろう。後衛を狙われ、立て直している間に壊滅的打撃を受けたと思われる。
無数に散乱するそれらを持ち帰ると面倒事に巻き込まれる可能性が高い。
冒険者と違い武器から小物に至るまで全てを管理されている兵士の持ち物だ。奪ったことが知られれば厳罰は免れない。
それらをその場に放置して探索を再開した。
暫くすると、地下水の流れる大きな広間へと出た。
沈下した広間よりも大きな空間。その壁からは小さな川ほどの幅で水がゆっくりと流れていた。
水位は膝下ほどでそれほど深くはなく、流れる先には人が通れるだけの道が続いていた。
そして、その先に見付けた。
件の祭壇と思しき影は、その道を数分歩いた所にあった。
通路の壁からは水が滴り落ち、少しずつ深くなっていく。それは膝上まで到達し、もはや水路と言ってもいいだろう。
緩く蛇行する水路の行き止まりで、上へと登る段差を越えるとようやく辿り着く。
「ずぶ濡れになったではないか」
冷たい水にさらされ、文句が出るのも仕方のないことではある。
リルに至っては腰まで浸かっていた。それでも文句の一つも言わないリルは我慢強いのだろう。
「さすがにこの冷たさは堪えるよな」
「そうなのか?」
「えっ?」
どうやら辛い思いをしたのはアルだけのようだ。
魔力さえあれば活動できるため、痛みや空腹、体温などの生命維持に必要不可欠な要素への危機意識というものが欠如しているらしい。
つまりは自律神経の退化。不必要な機能は停止するということ。
冷たいとは感じるものの、それを辛いと思うことがない。
体温が低下したところで魔力体なのだから問題ない。
魔力の補充さえできれば活動に支障をきたすことのない身体。
なんとも便利な身体である。
それを羨ましく思いながら祭壇の前に立つ。
「今回はえらく時間が掛かってしもうたな」
「予想外の出来事が多かったからな。でも、これでまた一つ前に進める」
心を落ち着け、地面に埋め込まれた精霊石に触れた。
「よもやここから出られる日がこようとはの」
姿を現したのは真っ白な狐であった。
尻尾の先には狐色をした線が数本入っている。
大きさは狼姿のリルより少しばかり大きいだろうか。
「わっちは天狐。久しい者も居るようじゃの」
「久方ぶりじゃな」
「久しぶりだね」
仲間の一人を見付けられたようで一安心のアル。
さっそく契約を交わすことにした。
「俺はアル。契約に際して何か不満があれば言ってくれ」
「ここから出られるのであれば誰であろうと構いはせぬ。主の魔力が耐えられればの話じゃがの」
「それならたぶん大丈夫。まだまだ余裕があるらしい」
「これまたおかしなことを。まぁ良い。試してみるのもまた一興」
契約すること自体に問題はないようなので、後は真名を与えるだけ。
「なら、そうだな……テ――」
「テンじゃな」
「テン」
「――なっ!?」
二人に心を読まれたことに驚きを隠せないアル。意志疎通が退化したという話はどこへいったのか。
戸惑うアルを見てリルまでが小さく笑っていた。
「お主の名付けは分かりやすいのでな、つい口を挟んでしもうた」
「うん、単純」
カルロスの言葉が思い出される。
ちゃんとした理由があって付けたわけで、覚えやすいからではないはずだ。
自分に言い聞かせるようにして取り繕うアル。
「名付けってのは本人にちなんだ名前を付けた方がいいと思うんだよな。その結果、短くなっただけで――」
「何も責めておるわけではない。単純明快。良いではないか」
「うん、いいと思う」
なんだか釈然としないアルであったが、二人が良いと言うならこれ以上は何も言うまい。
おかしな名前を付けているわけでもないので気にしないよう努めることにした。
一連の様子を見ていた天狐が満足気に笑う。
「なるほどの。これは良いものを見せてもろうた。わっちも俄然、主に興味が湧いてきた」
何が気に入られたのかは分からないが、前向きになってくれたのならアルとしては申し分ない。
気を取り直し、一つ、咳払いをしてから契約を再開。
「それじゃ改めて。【テン】と名付ける」
「これよりわっちは主と共に在ろう」
そうして契約は無事完了する。
しかし、身体に変化はみられなかった。
魔力にはまだまだ余裕があると安堵する反面、何も起こらないことに多少の不安感に襲われる。
それを知識と理性で押さえつける。
野弧と呼ばれる召喚獣の加護は、特異技能系統に分類される。
獅子や狼は身体能力系統。契約するだけでも大きな力が湧いてくる。
しかし、特異技能はそれとは少し違う。
大きな変化はみられないが、ある特別な力を使うことができる。
それでも全く変化が感じられないという訳ではない。そう聞き及んでいる。
これはメアとリルの加護の力が大きすぎるために感覚が麻痺しているのか、もしくは神獣の加護が特別だからなのか。
一瞬の戸惑いを見せたアルであったが、すぐさま意識を集中させる。
その加護の名は【仙術の極意】。
仙術とは氣を練ることで様々な効果が得られるというもの。契約した野狐によって差異が見られるため、扱いが難しいとされている。
加護を強く意識して効果を検証したり、召喚獣と意思疎通を図って能力の詳細を知る。そうすることでようやくスタートラインに立てる。
能力を把握し、氣を練る。そしてそれを扱う。
いくつもの段階を経て発揮される仙術は、大器晩成型と言えるだろう。
しかし相手は人語を介する神獣。ならば本人に直接聞くのが手っ取り早い。
地面に埋め込まれた精霊石を回収すると、アルは能力の詳細をテンに尋ねることにした。
------
「わっちは天狐。神獣であるぞ」
「わらわはリザベート。盟約を交わそうではないか」
「果たして主に耐えられるじゃろうか」
「その心配は要らぬぞ。魔力量には自信を持っておるのでな」
「試してみるのも一興か」
「では、そうじゃな……テ――」
「テンじゃな」
「テン」
「――なっ!? お主ら、どうしてわかったのじゃ!?」
「お主は分かりやすい名付けをするものでな」
「うん、単純」
「そうであったか……気を付けるとしよう」
「良いではないか。単純明快。実にお主らしい」
「うん、いいと思う」
「コホン。では、気を取り直して。【テン】と名付けるとしようかの」
「これよりわっちは主と共に――」