19話 地獄
「では、これよりダンジョンへと入る。隊列を乱さぬように進め」
指揮官の合図と共に、隊列を組みながら続々と足を踏み入れる兵士たち。副官を先頭に、盾持ちと槍兵で精霊術士を挟み込む形だ。
そして指揮官は後方から指示を出す。
精霊術士は索敵や回復ができる者を多く揃えた。重要な役回りであるため、最も安全な場所に配置する。戦線が崩壊しない限り安泰である。
そして前衛を務める者たちは、入れ代わり立ち代わりで戦闘を行う。魔力切れを起こさないための配慮だ。
入って暫くはモンスターの数もそれほど多くはなかった。順調に進む兵士たち。
少し増えてきたところで開けた場所に出る。
「一度、小休止を取る。索敵を怠るな」
軽く食事を摂ることにした。
今のところ、モンスターの対処もしっかりとできている。兵士たちに疲労や緊張はみられない。
これなら進軍速度を上げても問題はないだろう。休憩の後、一気に駆け抜ける腹積もりの指揮官はニヤリと笑う。
「これより進軍を再開する」
その後も順調そのものであった。
モンスターの数も増え強さも増したのだが、狭所での戦闘だったために作戦が上手く機能していた。
魔力には充分な余裕があり、疲れた様子もみられない。
それでも腹は減り、睡魔は訪れる。
分かれ道のない開けた場所に出たことで、本日はここまでにして休息を取ることにした。
「付近にモンスターは?」
「少し離れた場所ですが、複数体確認しております」
「片付けておくか」
足の速い種族である狼を召喚し、モンスターを釣ることにした。
盾で前を固めてしまえば生半可な攻撃ではびくともしない。
そして広間に入る瞬間を狙い、一斉に槍を突き出す。一糸乱れぬ動きは流石の一言である。
戦闘音を聞きつけてやってきたモンスターもその場で対処。終わったら索敵をし、また狼で釣って処理をする。
そうしてあらかた片付いたところで食事を摂り、交代で睡眠を取る。
出入り口が二か所しかないため、モンスターが襲ってきても楽に対処できる。
対策は万全だった。決して油断していた訳ではない。
それでも、その時を迎える――。
けたたましい悲鳴と共に轟音が鳴り響く。突然のことで兵士たちはパニックに陥った。
その中心地。そこに奴は居た。
二メートルほどの背丈に体躯の良い体。そして何より特徴的なのは、額に付いている一つの大きな眼。サイクロプスと呼ばれる巨人が棍棒を振り回し、兵士たちを押し潰していた。
生き残った兵士たちは口を揃えて答える。突然、目の前に現れた、と――。
「敵襲! 武器を取れ! 盾、前へ!」
指揮官は喉が潰れんばかりの大声で指示を出す。
その声で我に返る者もいたが、仲間の死を間近で見てしまった者は未だ混乱の最中。そういった者から順に潰されていく。
引きずりながらも盾の後ろへと下げ、なんとか助け出せた者が数名。
この時点で死傷者は八名にも上っていた。
盾の隙間から槍で突き、相手を弱らせていく。サイクロプスは力が強く、とても凶暴なモンスターだ。
しかし、精霊石が埋め込まれた盾は頑丈で、サイクロプスの攻撃であっても怯むことはない。こうして盾で囲んでしまえば問題なく対処できる。
「急報! モンスターの群れ! 数、五体!」
手前の道から迫り来るモンスターたち。
「私が対処する! アンドレー、指示は任せる!」
剣を抜き、構える指揮官。
「奥の道からも一体! 来ます!」
サイクロプスの処理さえ終わっていない段階で挟撃される兵士たち。
「奥は私が引き受けよう。サイクロプスはそのまま気を抜かずに止めを刺せ」
副官、アンドレーが前に出る。剣を引き抜くと同時、道の先に光が灯る。それはやがて熱を持ち始め、視界の全てを埋め尽くした。
「アンドレー副官っ!!」
燃え盛る火球を食らい、アンドレーは全身火だるまになった。
金切声を上げながらのた打ち回るアンドレー。消化しようにも水の精霊術が得意な者は既に事切れている。
索敵と回復を重視しすぎたばかりに、唯一、それができる者が生き残っていなかったのだ。
水の精霊石はサイクロプスが暴れている中央付近。そこに転がる鞄の中に入っているだろう。しかしそれは攻撃用の物ではなく、その微々たる水量ではとても間に合わない。
「撤退! 撤退ぃー!!」
五匹のモンスターを狩り終えた指揮官が声を張り上げる。
「慌てるな! 隊列を組みなおせ! 殿は私が務める! 荷物は捨て置け!」
サイクロプスに止めを刺す前に撤退を開始。あの傷では追って来れないだろうと判断した。
「後ろには私が居る! 落ち着いて進め!」
何とかして混乱を鎮めようとする指揮官。冷静さを欠けば、待っているのは死だ。
「ま、待っ――「荷物は捨て置け! そのまま進め!」」
怪我で動けない者の声をかき消すように檄を飛ばす。そう、荷物は捨てて逃げるという決断を下した。
時には非情な選択をしなければならない。それが上官の務めである。
「索敵を怠るな!」
黒犬は問題なく処理できた。
いくら強力な攻撃手段を持っていようとも、本体の性能が低ければ倒すのにそう時間は掛からない。
サイクロプスには精霊術で牽制をする。黒犬とは違い、丈夫で体力も多いため簡単には倒れない。
そうしているうちにサイクロプスは荷物に狙いを移す。仕方のない犠牲だと割り切り、なんとか退却することに成功した。
しかし、安堵するにはまだまだ早い。
ここまでの死者数、十名。そして索敵班の残りはたったの一名。
当然にして索敵を続けられるだけの魔力は無い。
精霊術士のほとんどをサイクロプスにやられたのは大きな痛手であった。睡眠不足や極度の精神的疲労から兵士の士気も低い。
そうした要因が重なり、帰り際に一名の損害を出す。
死者、十一名。
前代未聞の大損害で探索は終了する。
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アルたちは【奉仙峡】の奥へと向かって進んでいた。
「モンスターの数はそれほど変わらないようじゃな」
「そうとも限らないと思う。兵士たちが大部分を狩った後だろうから、普段はもっと多いのかも」
アルには予想することしかできないが、恐らくそれは当たっているだろう。
モンスターも強くなっていることから、ダンジョンの傾向として数が増えない道理はない。
「気を抜かずに行こう」
朝、ギルドの掲示板を確認したが、目新しい情報は得られなかった。
まだ情報を精査している段階ならいいのだが、開示しない可能性も充分にある。
危険性を周知させる意味でも早めに開示してほしいものだが、面子に関わるために難しいのだろうか。
なんにせよ時間は有限なので、無理をしない程度に探索しようとやってきたのである。
メアとリルなら心配することはない。が、アルは生身の人間。いくら神獣が強いといってもアルに何かあればそれで終わりなのだ。
いつもはモンスターを避けながら進んでいたアルであったが、今回はできるだけ多くを間引くためのルートを進む。
大量のモンスターに囲まれるという、さすがに有り得ないだろう状況すら可能性の一つとして捉えてのことだ。
大量、というわけではないが、モンスターに包囲されるという珍しい状況に遭遇したことはあった。
アルの広範囲索敵だからこそ察知できただけで、よくある事象なのかもしれない。
いずれにしても、ダンジョン奥地は未知の世界なので、警戒しておくに越した事はないだろう。
慎重に慎重を期し、アルたちは歩を進める。