125話 本懐
時は数日遡り――。
夕暮れ前の静かな街道を、南に向かって一人歩く中老の男性。これからどうしたものかと空を見上げる。
「遠くへ逃げろと申されましてもなぁ。この際、国外へと落ち延びるのが賢明でありましょうか」
問い掛ける相手はそこにはいない。すでに扉向こうの世界へと旅立った。
残り少ない人生。モンスターに喰われる覚悟で食料調達を継続しようかと思いもしたが、聖王の言葉に逆らうことはできなかった。
「まずは馬を調達しますか」
ちょうど前方から馬を駆る一人の男。中老の男性レドロフは腰から剣を引き抜くと、最小限の動きで男の首を刎ね飛ばした。
「早馬でしょうか。無防備なものですね」
未だに演技の抜け切らないレドロフは、自身の口調に苦笑いを浮かべる。どれが本当の姿なのか、自分でも良く分からなくなっていた。
死体を林に捨て置き、文の内容を確認するレドロフ。
「ふむ。早くも察知されたのですか。そちらはえらく優秀なようで。しかし、功を焦れば勝機は逃げていくものです」
独断専行などもってのほか。侯爵家でこれなら王国に未来はないだろう。国外逃亡を選択したのは間違いではないと、レドロフは天を仰いだ。
「やはり、聖王の言葉は偉大でありますなぁ。すべてが視えておられる」
文を燃やしたレドロフは馬に跨る。
「さて。亡命するなら南か。北東の国は仲が悪い」
馬をゆっくり走らせると、感傷に浸りながら独り言ちる。
「聖下はいかがしておりましょうか」
――聖王伝説の再現。
揚々と告げられた聖王の言葉を胸に刻みながら、レドロフは隣国までの旅路を行く。
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扉向こうの世界。動植物の見当たらない物悲しい世界。あるのは残滓と呼ばれる魔力と、それを基にして生まれた魔力体。
安全な場所はどこにもなく、見れば見るほど、考えれば考えるほどに謎が増えていくばかり。初代聖王は突き止めようと試みたが、現聖王は関心を示さない。日の沈まぬ大地の上を、軽快な足取りで進む。
「やっと見えてきた」
世界の果て――。聞いていたとおり、天を貫くが如く聳える青銅の壁。九日目にして彼らはようやく辿り着いた。
「懐かしいな。これを目にするのは五度目だが……いつ見ても不思議なものだ」
「へぇ~、それに興味があるの?」
「これが? ……いや、そうかもしれないな。門とは異なり、これは何も答えない。つまらないこの世界で唯一、気になる存在だ。違いを知りたくはある」
何百年経とうが当時と何も変わらない。青銅で出来た摩訶不思議な存在に、サーベラスは多少なりとも興味を示した。
「門もこいつも同じだろうよ。おいらにはさっぱりだな」
「安心しろ。俺にもさっぱりだ」
ゲノーモスとアウルには同じものとしか思えなかった。
初代聖王の推測通り、青銅の門はサーベラスの加護と密接に関係しているのだろう。
「これを伝っていけば目当てはすぐそこだ」
そうして暫く進むと現れる。サーベラスたちにとっては聞き飽きた言葉。
「貴様たち、そこで何をしている」
霞がかった視界の先から轟いた声は、もはや予定通りと言わざるを得ない。
「一言一句、間違いなかったね」
楽しそうにリーブルは笑う。
「何が可笑しい? 今度は妙な奴を連れてきたようだが、いつまでも貴様らの好き勝手にはさせん」
「諦めの悪い奴だ」
前に出るアウル。何度やっても結果は同じ。一方的で、退屈なものにしかならない。
「今度はどう殺してほしい?」
毎回、ただ殺すだけでは面白味がない。今回は趣向を変えて、相手の意見を取り入れることにしたらしい。
「次こそ貴様を切り刻み、蛇の餌にしてくれる」
「切るのは得意じゃないんだがな」
爪で擦れば切れるだろうか。そんなことを呟くアウルにリーブルが待ったを掛けた。
「言い忘れてたけど、殺しちゃだめだよ」
「そうか。良かったな、お前」
やる気が一切感じられないアウルに対し、闘志を燃やした怪物が吼える。
「減らず口が叩けるのも今のうちだ」
長く鋭い五本の爪を一点に集中させて、前へと突き出しながら捲し立てる。
「まずはその生意気な口から切り裂いてくれる」
異形の怪物がアウルを襲う――。
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作戦本部の仮宿舎では、仮眠をとったラディアンが活動を再開していた。
「グルーエル殿。交代だ」
急報を受け、作戦決行は延期となった。クレセントがエリアルに一時帰還したのが最大の理由である。
「アルの様子はどうだ?」
「今のところ、普段と変わりありません」
「そうか」
そして、アルの精神状態を確認しながら時期を見定める。彼ら二人は作戦の要。最大限に配慮しなければならない。
「グルーエル殿も休まれよ」
とは言え、ラディアンもただ待っているわけではない。検討すべき課題は多く、決戦の時まで調整を怠るつもりはなかった。
各状況を設定して思考実験を繰り返す。決行するにあたって最適な状況を探し出し、確実に仕留められるよう算段を立てる。
しかし、時間はあまり残されていないだろう。先手を取ることができなければ、民衆に被害が及ぶ可能性が高くなる。
最悪の事態は街中でラグナロクを発動されること。それだけは避けなければならない。荒野の内部ですべてを終わらせる必要がある。
作戦室へ移動したラディアンは中を一瞥し、まだ残っていたローディに声を掛けた。
「精が出るな。進捗はどうだ?」
「想定外の事態だけは避けたいですね。なので単純な状況を演出して、一気に畳み掛けるのが理想かと。ただ、人選に迷っています」
「ふむ。クレセント殿が戻るまで三日は掛かる。じっくり、検討するように」
続けてラディアンはアルの様子を訊ねた。先ほどまでグルーエルがアルの個室を訪ねていたらしく、まだ起きているだろうとのこと。
「アル。少し良いか」
「どうぞ」
直接確かめようと声を掛けると、中から普段通りの声が返ってきた。
ルーファスからはアルの様子を気にかけてくれと頼まれている。彼ほどの優れた洞察力を持ち合わせていないラディアンは、どう切り出すべきかと思案しながら扉を開けた。
「こんな時間に来て言うのもなんだが、まだ起きていたのか」
アルには日中の魔力供給を安定させるために、日の出前に起きてもらう必要がある。ラディアンも長話をする気はない。
「ちょっと考え事してた」
その割には思いつめたような顔ではなかった。いつもより少しだけ覇気が感じられない。その程度の軽い印象。
アルの生い立ちは多少なりとも知っている。彼にとって、ルーセントはろくでもない父親だっただろう。
それでも、何かしらの感情は必ず持っている。それが憎しみであれ、哀しみであれ、どんなものでも心に影響を及ぼす。
「無理もない。ゆっくり、消化するといい」
ならば、重荷にさせてはいけない。見て見ぬ振りもさせてはならない。そんなラディアンの返答によって、アルの表情に変化が見られた。
「ラディは俺を冷たい人間だと思うか?」
真剣な表情の中には少しの戸惑い。
「どうだろうな。私には経験の無いものだ。判断する基準を持ち合わせてはいない」
「まぁ、そうだな。カルロスにも聞いてみたけど、あいつは物心ついた時には両親はいなかったみたいで、似たようなこと言われたな」
「なにか思う所があるなら、私で良ければ聞こう」
解決できるとは思わないが、負担を減らすことならできるはずだ。
「前に自身を見つめ直せって言ってただろ? あれから判断基準の基というか、何かあった時に感情の源泉を探してるって言うのかな。兄上が動揺してるのを見て、俺は薄情なのかなって考えてた」
「そうとは限らないだろう」
アルは感情が揺れなかったことで、クレセントと比較して自身の性格を測ろうとしていた。
「人の死は、確かに感情を揺さぶるものだろう。だが、それは関係性に大きく左右されるものだ。クレセント殿と比較しても意味がない」
極端な話、今もどこかで誰かが命を落としている。それを理解してなお心はそう簡単に乱れたりはしない。
「比べるならば、アルがその手にかけてきた教会の者。その時に抱いた感情の差異で、自身を推し量るほうが賢明だろう」
「そんなもんか」
「そうだ」
どこまでいってもアルはアル。召喚術に対し、人一倍の興味を示す存在。
父親の死でさえ召喚術の糧にしている。そう考えると、アルは薄情なのではないかと思ってしまうラディアンであった。