10話 鉄の森
【鉄の森】へと足を踏み入れる。
緩やかな曲線を描いた一本道の階段を、一歩ずつ降りて行く。
入り口付近は整備されているようで、暫く進んでいくとダンジョンらしい様相を帯び始めた。
荒々しい表面は微かにだが光を放ち、この中から長い年月をかけて魔鉱石へと変容するものが現れる。
出来たばかりの魔鉱石の大半は質が悪く、そのまま放置されることが多い。売っても二束三文にしかならないからだ。
それでも採取してしまうほどに金欠な冒険者もいるが、ギルドからの評価は落ちることになる。
長い階段を下り切ると、少し開けた場所に出た。
ここからはいくつかの分かれ道が現れる。
分かれ道の先にはまた似たような開けた空間。それらが網目のように広がり、合流や分岐を繰り返す。
例えるならば蟻の巣だろうか。
その先を進んでいくと、最終的には一つの大きな広間へと辿り着く。
さすがにシーレの能力をもってしても、道の先に広がる大きな空間を詳細に把握することはできない。
能力に指向性を持たせることで遠くを確認することはできるのだが、広範囲の空間ともなると、その性能は著しく低下する。
狭いダンジョン内でこそ真価を発揮する能力である。
「この辺はまだモンスターが少ないみたいだな」
【鉄の森】には大きな段差がいくつもあり、横よりも縦に広くて深い。もう少し先へ進むとそこそこは居るみたいだが、あまり大きな動きは見せていない。
それでも人の気配を感じる距離まで近付くと襲ってくる。凶暴であることには変わりない。
アルたちの敵ではないようだが。
「よっ、ほっ」
段差の度にぴょんぴょんと飛び跳ねながら降りるメア。その足取りは軽い。
「機嫌が良さそうだな」
「そうじゃな。予感がするのじゃ。ここに居るとな」
野生の勘だろうか。メアの表情からは確信めいたものを感じる。
しかし、ここに居たとしても見付けられるかどうかは別問題。なので、気を引き締めながらアルは進む。
そうして大広間へと辿り着く。
天井は二十メートルはあろうかというほど高く、四方はそれよりも広い。
壁や天井にはいくつかの魔鉱石が散見され、その輝きは玉石混交だ。
そしてこの広間の隅の方で群れる三十匹ほどの犬。召喚獣なら纏めて狂犬と呼ばれる種族だが、目の前に居るそれらは白銀犬という種類。
名前のとおりに白銀の毛色。その体毛はとても硬く、人体に刺さるほどだ。
なので召喚獣としての人気はないが、モンスターとしては少しばかり厄介な相手である。
こちらに気付き、一斉に迫りくる白銀犬。
一歩前に出たメアは薙刀の石突で地面を抉る。それは礫となって白銀犬に飛来した。
その一撃で半数は死に絶え、礫の回避に成功した白銀犬も薙刀の一振りで霧散する。
残るは致命傷を免れた数匹だけ。ゆっくりと近付き止めを刺す。
「ほれ、モンスターは妾が相手をする。お主は探索に集中するのじゃ」
待ち切れないといった様子のメア。これなら自分は何もする事がないなと、アルは探索に集中することにした。
大広間から伸びるいくつもの分かれ道。その先を一つひとつ確認する。シーレとの意思疎通を行いながらも、アルは高い壁を視認していく。
歩きながら確認作業を行っていると、天井にほど近い壁の一部分が気になった。
「シーレ、あそこはどうなってる?」
シーレに確認してもらうと、下からは見えない位置に穴が空いていた。
そして、その先には狭い道が続いていることも確認。
「メア。ちょっと頑張ってもらう必要があるかもしれん」
さすがに今のアルでも道具がないと登れないであろう高い絶壁。たとえ道具があったとしても、壁を登る技術のないアルには難しいだろう。
壁を削りながら足場を作るのは時間が掛かりすぎる。その足場が崩れないという保証もない。
なので、アルはこの難題をメアにぶん投げることにした。
「なんじゃ、そんな事か。妾に任せておれ」
穴周辺の状態を説明すると、頼もしい返事が返ってきた。
メアからすると簡単な事らしく、躊躇する素振りも見せなかった。
人と違って召喚獣は怪我の治りが早い。
召喚主からの魔力供給が途切れない限り、手足が千切れようが全身の骨が砕けようが次第に治っていく。魔力体なのだから当然といえば当然か。
どんな無謀な挑戦だろうと臆することがない。
死ぬこともないのだから恐れを知らない。
何もできる事がなかった虚無な時間こそが、メアにとっては一番の恐怖なのだろう。
「頼りにしている」
そう言ってアルは獅子姿に戻ったメアの背中に乗った。
壁を登ること、それ自体はメアにとっては造作もないことである。だが、向かう先は獅子姿のメアが通れるほど広くはない。ならばどうするか。
駆け登ったメアは、前足二本で崖にぶら下がった。
メアの体を伝って崖上に登るアル。ぶら下がった状態で人の姿に化けるメア。
差し出されたアルの手を取り、二人は無事に上まで到達した。
穴から続く道の先には洞窟特有のゴツゴツとした表面ではなく、滑らかになった場所がある。
きっとそこに例の祭壇があるのだろうと、期待に胸を膨らませながら進む。
少し歩くと壁や天井、床に至るまで土や岩ではない何かに覆われた表面が姿を見せる。祭壇と同じ素材で出来ているのだろう。
「暗くなってきたな」
アルは光の精霊石を取り出した。
これには魔鉱石の光そのものを増幅する術式が組み込まれている。手にした本人の魔力に反応して光を放つ仕組みだ。
ダンジョン内は暗い場所も稀にあるのだが、そういったときに光量不足を補うために持っていると便利なので持ち歩いていた。
そうして見付けた地面に埋め込まれた光る物。メアが封印されていた場所とは違い、狭い空間にそれはあった。
「矢張り、ここにおったな」
「……だな。なんか緊張してきた」
「気負う必要など無いであろうに。召喚主とは一蓮托生じゃ。気楽に構えておれ」
「そうだよな」
三体の同時召喚になることで、魔力量は足りるのかという不安は残る。
しかし、それよりも自身に齎される強大な加護への期待が少し上回る。
少しばかりの不安と期待を抱き、埋め込まれた精霊石に触れた。
「……やっと、出られた」
言葉と同時に現れたのは、美しい銀の毛並みをした狼であった。
メアとは違い、通常の狼と似た大きさ。一メートル中ほどだろうか。それでも強さのほどは窺える。
「わたしはフェンリル。盟約、交わそう」
「俺はアル。こっちはメア」
「しってる」
言葉少なく答える狼。仲間の一人を見付けたようで一安心のアル。
「久方ぶりじゃな」
「……だね」
鋭い爪や牙を見せる狼は、思いのほか大人しい性格をしていた。
契約の意思は既にあるようなので、あとは真名を与えるだけ。
「よし。それじゃあ……【リル】なんてのはどうだ?」
「盟約、交わした。アルに、ついていく」
アルは意識を傾ける。
【力の象徴】ほどの変化は感じられなかったが、その加護の名は【瞬速の極】。使いこなすのに時間が掛かりそうな加護だなとアルは感じた。
加護は強く意識することによって、その効力を上昇させる。召喚士で一番重要なのは、加護の力を理解し、深めることにある。
二つの加護を同時に意識するのは難しい。二体同時召喚が忌避されている要因である。
鍛錬の大半をこれに充ててきたアルであったが、シーレの加護とメアの加護、二つを同時に意識することすらまだ充分に熟せていないと自認している。
メアと出逢ってまだ数日。それも仕方のないことではあるのだが。
「後はそれを回収して終わりじゃな」
メアが地面を破壊し、精霊石を回収する。
「よし。帰りに少しだけ魔鉱石を採取したら帰るとするか」
そうして一同は帰路についた。
帰り際の崖の手前。獅子姿に戻れるように壁や天井を破壊するという脳筋プレイで難なく通過。
リルはそのまま飛び降りた。
これだけ高いのに大丈夫なのかと心配になったアルだが、どうやら怪我はないようだ。
「待って。足、しびれた」
メアのように壁伝いに降りなかった者の末路である。
手持ち無沙汰になったアルは、気になっていたことを確認するために問う。
「リルも人の姿になれるんだよな?」
「なれる。ちょっと待ってて」
足の痺れが取れたことを確認したリルは、微かな光と共に姿を変えた。
それは一五〇センチほどの小さな少女だった。
まだ成人前であろう幼い顔立ち。
首元辺りで切り揃えた黒髪に黒い瞳。
そして何より一番気になっていたこと。アルの予想したとおり、和服を身に纏っていた。
「それって確か……忍び装束だったか?」
「うん」
「詳しいではないか」
「実物を見るのは初めてだけどな」
知識として知っているだけで、着ている人には出会ったことがない。それほど珍しい衣装だった。
予想通りではあったが、このままでは見世物か何かだと注目を集めそうだと苦笑するアル。気にしても仕方のない事だと割り切ることにして、再び歩き出した。
そうして出口に到着した三人は予想外の事態に遭遇する。
「そこで何をしている!?」
外に出ると、数人の兵士たちに声を掛けられた。
遠くを見れば、馬車の近くに群がる数十人の兵士たち。入り口前に放置されていた天幕などが全て回収された後のようで、きれいさっぱりと無くなっていた。
アルは油断していた。出口までを把握し、その先の確認を怠っていたのである。
しらを切り通すしかないと覚悟を決めて、慎重に言葉を選ぶアルであった。